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意外と知られていないと思うのだけど、ピカソの生誕地はスペインの南アンダルシア地方、地中海に面したコスタ・デル・ソル(太陽海岸)の玄関口、マラガである。
マラガは古のフェニキアの都。
実はマラガに2004年にオープンしたピカソ美術館の地下には遺跡が保存されているのだ。
美術館を訪れた人なら誰でも見学することが出来る。
パブロ・ルイス・ピカソは1881年にマラガで誕生した。
マラガで過ごしたのはほんの10年ほどだが、人間形成の核となる大事な時期に、この光あふれる
アンダルシアの古き都で過ごしたことは少なからず彼の心の中に強い光を与え、風にそよぐパルメラが大地に映す影のように、濃い影を落としたにちがいない。
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ピカソはその後バルセロナに移り住み、マドリードでも美術学校で学んだのちに1900年にパリへ。
その生涯のほとんどの歳月をフランスで過ごしたために、バルセロナのピカソ美術館や、出来た
ばかりの生誕地マラガのピカソ美術館が所蔵している作品は数多くはない。
マラガにピカソ美術館がオープンする以前にあったマラガ市立美術館。
様々な画家たちの作品が並ぶ中「Sala de Picasso」という部屋があり、そこにはマラガに残されている数少ない作品が集められていた。
その中で一番印象に残ったのが、闘牛を題材に描かれた一連のシリーズになったアクアティント
(版画)でタイトルは
「LA TAUROMAQUIA O ARTE DE TOREAR」1957
静かなCAMPO(野原)で草を食む平和な牛たちの姿から、闘牛場へ連れて行かれて、闘牛が始まり雄牛とマタドールが命を賭けて戦い、そして雄牛が命を奪われて闘牛が終わるまでの物語になっている。
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この作品はシンプルな墨絵のようで、とてもラフで無駄のない線で躍動感あふれる闘牛の光と影を
見事に描いていて、ピカソの才能を見せ付けられるのだ。
見せ付けられると言っても、本当に素晴らしくて何度見ても飽きることがない。
ピカソの闘牛好きなのが伝わってくるような作品だ。
今回の展覧会にはそのうちの何点かが展示されていた。
もちろん版画なのでオリジナルは1枚ではなく、今回はパリからやってきたものだ。
ピカソ美術館の近くにはピカソが洗礼を受けた教会が今もあり、細い道の突き当たりはピカソの生家のあるプラサ・デ・メルセが開けている。
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ピカソの作品の中に多々登場するパロマ(鳩)が広場にはたくさんいる。
幼いピカソもここで妹と一緒に鳩を追ったりしていたのだろうか。
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この生家のある広場から10分足らずで海岸にたどり着ける。
青く明るい地中海の海岸。マラガ港はたくさんの船で活気にあふれ、その向こうにはマラゲータの浜辺が広がる。
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マラゲータの浜の側には少々小ぶりの闘牛場がある。
幼いピカソもここで最初の闘牛を見たのだろう。
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大きなパルメラ(椰子)が大理石の遊歩道に影を作り、古の港町は地元のマラゲーニョ、マラゲーニャたちや、バカンスにやってきたヨーロッパ人や、仕事を求めてやってきたモロッコ人などでにぎわっている。もちろん日本人もたくさんやってくるが、それほど数が多いという感じはしない。
丘の上にはアラブの要塞であったヒブラルファロ城の跡があり、もう少し下がったところにはアルカサバとローマの円形劇場の遺跡、テアトロ・ロマーノが保存されている。
現在もマラガのセントロで一番大きなメルカード(市場)の建物は、なんとフェニキア時代の船のドックだったらしい。
フェニキア、ローマ、アラブ・・・様々な民族が栄華を極めては衰退して去っていった激動の歴史の一端をうかがうことができる。
地中海に向かって開けた港町だったマラガの宿命なのだ。
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ピカソが10歳まで過ごしたマラガ。
三つ子の魂百までもと言う。
ピカソがこの地で最初の光を見てから、感受性の基となる一番大切な時期を過ごした都。
その後様々な土地や人間との出会いが彼の人生や作品に大きく影響を与えたのだろうけれど、
このマラガでの10年は強烈な印象として彼の心の中に生き続けていたことだろう。