私が小1の夏に終戦、国民学校から小学校へ
幸か不幸か私は空襲の怖い経験は無く、でもこの田舎町にもB29の機銃掃射があり、慌てて学校からの帰宅途中で撃たれて亡くなったり、田んぼの草刈りをしている方が亡くなったり、縁側で腰掛けていた同級生の膝小僧に弾が入ったり、低空飛行で操縦士の顔が見えたと人々が云っているのを聞いた覚えがあります、
学校には、校門を入った所に奉安殿と云う天皇陛下が祀ってある社に毎日いち礼を上級生として教室に入って行ったことも、終戦後の2学期には突然無くなっていたことも、座る椅子も無いくらい児童がいたのにいなくなったことも、恐ろしい体験をしていない我々にもぼんやりと(終戦だ)と、どうなるんだろうとは・・・
でも、幸いにも田畑があったおかげでご飯には不自由もせずに、闇屋さんがお米を仕入れに毎日のように来られていたのを、思い出します、私が高校に通っている2年くらいまでは 大阪までの黒い煙を吐く汽車で闇屋さんがずっと乗車していました、そう云えば定期券を持っていたような、
高校の修学旅行の時に、グループでの行動をしていて夜も寝ずにおしゃべりをしていた時に昔話になり「田舎の子は意地悪やった」「そうそう落ちた柿の実を食べたらドロボウや!と言われた」私は「町の子は怖かった!すぐ大きな声で怒鳴るんやもの」と、子供ながらにも命を懸けて同胞が戦っていたんですわ、世界で初めての被爆をされた方々、肉親を亡くされた方々、直接に間接に人類の滅亡に繋がります、
今も、何処かでくすぶり続けている戦い、もっともっと声を大きくして反戦、平和を叫びましょう!!オォ~~
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