Oh My New York!!

NY勤務を経て、コロンビア大学のMBAへ。現在2年生。大好きなNYでの日々を綴ろうと思います。

20年前、そして1年前

2007年01月24日 | Columbia, MBA
最近、ふと過去を振り返る時間があったので。

○20年前

20年前の今頃、中学受験をした。雪が降って、駅から学校までの道で滑りそうになったこと、「2次まで進めば体育だから何とかなる、1次が勝負!」と感じていたこと、算数の手ごたえがすごく良かったことを覚えている。縁あって合格。クラス分けは、偶然今と同じ「D組」。付属の小学校から&受験してくる人間が4対6くらいの割合で混ざっていた中学。受験組の自分は、やんちゃで陽気な付属組に押されて最初結構シャイだった記憶があるが、授業も野球部もほんとに楽しくて、みるみるうちに学校が好きになり、ほんと毎日学校に行くのが楽しかった。。。
と、そんな20年前から付き合いのある友達と会った。彼は今は東京にある米国銀行系のヘッジファンドで働いていて、NY出張中。肩書きは、何と「部長」!方や、僕は「学生」。一通り、仕事の醍醐味やMBAでの学びについて意見交換した後、うちのクラスのパーティーに連れて行ったり(案の定「若さ」にびっくりしていた)、NYのアングラの世界を覗いてもらったり、アルゼンチンステーキを食ったりと楽しんだのだが、やはり友達話が懐かしい。
かれこれ5年近く日本を離れてしまっているので、友達ネタのアップデートが始まると、興味が尽きない。大多数がなんだかんだと繋がっていて、中学3年間の同級生の消息も、大半はフォローできた。民間企業に進んで、若手から中堅という扱いにシフトしながらバリバリ活躍しているケースが多いんだろうと思っていたのだが、出席番号1番から48番まで(全員憶えていた!)一人一人流していくと、起業、弁護士、医者、指導者、教授と共に研究活動、自営業継承、米国バイオ企業転職、海外駐在、画商等々、すごくバラエティーに富んでいた。付属校とはいえ、高校になってからほとんど会っていない面々もいるし、これは、中学の同窓会とかしたらかなり楽しそう。MBAは僕を入れて二人しかいないようなので、希少価値はあるかな?でも、思い切って会社を辞めた、あるいは転職したなんていうのは、もはや全く珍しくない感じ。皆、勇気を出して、自分の道を進んでいる様子。

○1年前

最近MBA受験生から相談を受けるケースが多く、1年前の今頃のことを思い返して、返信している。昼休みにスタバでお茶をしている最中に掛かってきた、???という番号からの電話が、最初の合格通知だったとわかった瞬間。その後、当初の放心状態から、じわじわーーっと喜びが実感に変わっていった数日間。歓喜の中でのプエルトリコ旅行。更に波に乗って届いた追加の合格通知。そして、連日国際電話を繰り返して色々な方に相談に乗って頂いた上で、NY勤務のままの退職の決断。あの苦しかった日々とその後の感動を、久々に思い返した。
最近、コロンビアの日々が当たり前になってきているが、そんな時、必死でGMATと格闘している後輩、あるいは、たった15分アドミの人にアピールするために、2泊の強行日程でコロンビア訪問を計画している後輩の様子が伝わると、まず自分自身が今の日々に感謝しなくてはいけないということ、そして、是が非でも、彼ら彼女らにコロンビアで活躍して欲しいという思いが強くなる。「強い思いって通じるんだな」ということを、身を持って証明して欲しいと感じる、素晴らしい日本人たちが、コロンビアを目指している。GMATは本当に辛い試験だが、GMATごときに負けて夢が適わないことの方が、後々もっと辛い。僕がGMATで苦労していた頃、大親友が、「山は頂上寸前が一番険しい、空は夜明け直前が一番暗い。今が一番苦しいとき。これを乗り切ればきっと答えが出る」と励ましてくれて、胸が奮い立ったのを思い出す。夢を追いかけている時は、それが適うまではほんと辛いが、過程においてドライブは掛かり易い。本当に、素晴らしい後輩たちに入学して欲しいと思う。と同時に、自分も、もう少し自分を追い詰めて、あの無我夢中でアクセルを踏みまくっていた勢いを維持していかなくては。
コメント
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