
大日本帝国陸地測量部が明治19年調査した地図をもとに、東浦路の探索を始めたDANさんのお誘いを受け

上ノ山から白浜海岸まで昔歩いた記憶があり興味があったので、
下田市・柿崎の玉泉寺より河津町・菖蒲沢区間の探索に同行させてもらいました。(地図は下田から白浜区間)

まずは現在のR135ではなく、玉泉寺手前を通って行き、

上ノ山の信号を渡ると直ぐに、吉田松陰先生の看板。福浦の上陸の碑は知っていたが・・・。

で、スタコラサッサと白浜海岸

その後縄地、金山の廃坑など在り

風情ある石畳の路も。(明治以降のものだそう )

しかしガレた沢や倒木や藪を漕ぐ行程だ。






しかし随所に石造物があり、癒され



昔ながらの水準点もあり、また

山中にはトコロテンを煮た巨釜? や昔の瓶など捨てられていて興味深かったです。
しかしあまりにも古道はハードと感じさせられたのでした
この経路は「現在歩ける道」ではなく、「幕末当時は実際にどこを歩いていたか?」を出来るだけ詳細に調査しマッピングしたものです。
よって物理的に歩行不能箇所や歩行困難な経路も含まれます。
・スタートは海善寺近くの水準点とした
・「川端」前を通って稲生沢川渡船で渡ったことにしてあるが、実際何処で渡していたかはわからない
・玉泉寺から上の山へ向かうルートは荒川区臨海学園内を通り、国道歩行者信号付近は小山を10mほど登っている(一部痕跡確認 崖か何かで現道のようにまっすぐ歩行できなかった模様)
・白浜神社鳥居前小川沿いとプリンスホテル敷地内までは藪漕ぎあり
・プリンスホテルエントランスから北は駐車場整地と斜面で通行不可(遊歩道う回路あり)
リアル天城越え下田街道を探索していたらLさん宅の裏山だった!!
不審者通報されそうです(^^;)
15日は前の計画通りイズーの先の横道で7:30で
いいですね?
つっこみ、下田橋は渡らないのかと思っていた所です。
玉泉寺周辺・白浜までの山道に何があるか楽しみです。
いろいろ教えてもらいながら歩きたいと思います。
探索中で一番厄介なのは棘攻撃で針のようなやつがたち悪いです。
「昔の写真」の白浜や今井浜の画像が参考になりました。当時の家並みなんかで経路を想像しやすいですね。
DANは歩いて調子が良くなったようですが、私は荒れた沢登りでヘロヘロ。
しかしコース全般、石造物がたくさん見られて良かったです。
また昔の生活など垣間見れ、これから付近を通るたびに思いに浸るような気がします。
ありがとぅ御座いました。
初めての道でルートが荒れ気味だと長く感じたと思います。弁天島から菖蒲沢入口付近まで4時間ちょっとでしたので、幕末当時海善寺から出発して河津で昼食が一般的ってのがよくわかりました。
それから参考にした古地図は大日本帝国陸地測量部が明治19年調査したものですので念のため。
それから石畳画像の場所は重機で整備してありますので石畳は明治以降のものかと。
峠直前の石段は幕末にはあったと思います。
石段は撮ってなかったです。二本杉歩道の石段が思い浮かびました。
やはり山道なので、わりと段差があるなと思いました。