WINSの中心で『先生!』と叫ぶ

ゴール前の鞍上に『先生!』と叫んで最後の一押しをする、それが至福の時・・・。

桜木健一

2006年09月08日 17時28分43秒 | Weblog
・大阪市阿倍野区美章園の出身 『“杭全街道”も知ってますよ』(本人談)
(杭全街道:阿倍野交差点から杭全交差点までの東西)
ttp://maps.google.co.jp/maps?q=%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E9%98%BF%E5%80%8D%E9%87%8E%E5%8C%BA%E9%98%BF%E5%80%8D%E9%87%8E%E7%AD%8B3-9
(ポインタ左下すぐの“阿倍野”が「阿倍野交差点」。阿倍野交差点→阿倍野区役所→美章園駅→桑津南口→杭全交差点)

・“おば(伯母or叔母は不明)が難波に所有していたビル”の3階にあった劇団に入団したのが、芸能界へ入ったきっかけ。

・健一の“健”は「高倉健」本人から貰った。
「明日までに芸名を考えて来い!」という事務所社長の言葉に困り果てた桜木は、当時世話になっていた高倉健のところへ相談に行き、高倉本人了承の元、“健一”の名を貰った。名字は“桜井”か“桜木”で悩んでいた。高倉に「生き物の名前を付けるのは良くないんだがなぁ」と言われたが、結局“桜木”にした。

・「柔道一直線」は全編アテレコ(アフレコ)だった為、毎日が撮影所とアテレコを行うスタジオの往復だけだった(収録したものがフィルムで上がると、スタッフにタクシーでアテレコ現場まで連れて行って貰い、アテレコが終わると撮影所へトンボ返り、の繰り返し)。しかし撮影が楽しかった為、全く苦にならなかった。また当時の住まいは、収録が行われていた撮影所のすぐ横にある食堂の2階だった。

・「柔道一直線」の人気が出始めた頃、ロケ現場へ向かう電車の中で、柔道一直線の特集記事が組まれた「週間少年キング」を読んでいる男の子と遭遇。自分が「一条直也」であることを何度もアピールしたが結局駄目だった。

・小川直也(バルセロナ五輪 銀メダリスト)の「直也」は「一条“直也”」から付けたもの。
(毎日放送ラジオ「さてはトコトン菊水丸」06年9月8日放送より)


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