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映画政策の国際比較

2010-01-07 19:57:29 | 日記
今度の週末に開催される某学会の大会で、映画人兼研究者として、現在の日本の映画政策の問題点を指摘する予定である。

「メディア芸術」なる造語の曖昧さその他、国際的に見てかなり特異で非歴史的で恥ずかしい、ここ10年来の日本の映画政策の急所を論理的かつ誰もが納得するように話すつもりだ。

そもそも日本映画は「復活」などしていない。
映画館の利用者は年間1億6千万人、つまり国民一人当たり平均して1.3回しか映画を見ていない。アメリカ人は平均6回以上(2007年)、イギリスを含むヨーロッパの主要映画製作国では3回前後、カナダ人もおそらくその程度は観ている。
そんな需要の少ない国で、日本語という特殊な言語で、民放テレビ局という国内市場に頼り切ってきた業界主導により製作されているのが、今の日本映画である。
「国際的に評価されている」のは一握りの監督達であり、彼らの作品も別に世界中でヒットしているわけではない。ヨーロッパの「アートハウス」館で細々と上映されてるのが実情なのだ。

日本は近年、年間300本も400本も映画を制作するようになったが、それだけの映画を必要とするほどの需要は国内にない(既に述べた通り、それは海外にもない)。「製作バブル」だったのである。
1年、2年もの間、企画からシナリオの練り上げ、製作にかかった費用と時間は、多くの場合は映画作品の「お蔵入り」によって水泡に帰す。テレビ局や東宝・東映・松竹が関わった大手の作品はそうはならないが、それはつまり、アメリカでは半世紀以上前に違法とされた寡占状態がまかり通っているというだけのことである。

日本の映画政策は予算的にも欧米の主要映画製作国に比べて非常に少ないが、その少ない予算の大半は製作への助成に回され、ヨーロッパの場合と違って非大手による「アートハウス」映画の配給や興行には全く助成がない。

これでは、観客の嗜好がアメリカ映画と「テレビ映画」(テレビ局テイストの、多くの場合は我々映画人が見てうんざりするような映画)に偏るのを助長するようなものだ。
そして、この「テレビ映画」は絶望的に現代の世界市場には通用しないのである(日本の民放テレビ局は冷戦時代における強いアメリカ志向の下に生まれ、現在でも冷戦時代の「一億総白痴化」をもたらした低俗な嗜好から抜け出していないからだ)。

日本が目指すべきなのは、むしろヨーロッパ的な映画政策である。なぜなら、日本はアメリカのように強大な映画輸出国ではなく(そうなる可能性もない)、国民の映画館利用回数は主要映画製作国中で最低レベルにあり、公的な補助のない自由競争のもとでは映画的な質の維持は到底、望めないからである。