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ロシア版ホームズの連作をDVD化しましたAlt-artsです。
映画やDVDについて徒然なるままに書いていきます。

映像文化の分岐点

2010-02-21 00:38:47 | 日記
 私の会社が扱っているのは、今のところ主に映画のDVDソフトである。
映画にこだわるのは、単に私の実務家及び研究者としての経歴のせいばかりではない。

 歴史的事実として、映画は他の全ての動く映像メディアに基本的な“文法”のようなものを提供し続けていた。ところが、最近はこの歴史的事実を知らない人々が急増しているように思われる。“メディア芸術”なる曖昧模糊とした概念が国の文化政策に入り込んでしまっていることも、その傾向に拍車をかけている。
 テレビ番組でも、1980年代前半までの最も優れた作品に関しては、今観返して見るとかなり映画的な作りであることが分かる。ロシア版ホームズの連作はもちろんそうであるが、ドキュメンタリーのミニ・シリーズでもエミー賞受賞クラスになると非常に映画的なのだ。
 例えば、先日も取り上げたカール・セーガン脚本による「コスモス」を観直せば、そこで用いられている一続きの動きに対するショット分割や、ディゾルヴ等のショット交替の手法、主観ショットの適切な挿入、ナレーションが重なる映像の適度にリズミカルで変化に富む編集に気づかずにはいられない。
 ロシア版ホームズの第一作や「コスモス」が製作された1979~1980年当時はまだ、フルCG映像などは存在しなかった。画面サイズはもちろん、SD(4:3)であり、高画質の素材はフィルムで撮影するのが常識だった。メディアがまだアナログで、コンピュータ等のデジタル機器の使用(現在の日本の文化法における“メディア芸術”の規定にそうある)はほとんど全く行われなかった(もっとも、「コスモス」は『スター・ウォーズ』の後なのでモーション・コントロール・カメラを用いた可能性はある)。

 現在巷に氾濫している「エンターテイメント」大作とこれら30年前のテレビ放映用の作品とでは、どちらがより知性や想像力を刺激するだろうか? どちらがより、多くの潜在的観客(テレビ向け作品の場合は視聴者と呼ぶべきだろうが、「放映」よりソフトによる鑑賞が多い旧作の場合は、観客と呼ぶ方が相応しくないだろうか)にアピールし得るだろうか?
更に、(これがもっと重要なことだが)どちらがより、人類の発展や文化の継承に貢献しうるだろうか?

 そのように考えてくると、どうやら1980年代後半から90年代に入る頃に、動く映像文化全体が一つの分岐点を迎え、我々は全体として、それ以降間違った道を歩んでいる気がしてならない。映画が築き上げた文法のようなものは、物語を効率的に語るためだけにあるのではない。それは見る者に、視覚と聴覚を通じて一貫性のある思考や感情の流れを伝達するためにもあったのだ。ビデオクリップの断片性ではなく、我々が普通に生きていて感じ、考えるプロセスに似ていながら、それよりも何倍も凝縮されて体系化された、知性と感情と感覚が一体になった体験を与えるためでもあったのだ。
 映画的な映像作法は、人類の体験や知識の、言わば濃縮エキスを作るための一手段として、1980年代前半まではかなり有効に機能していた。だから教育映画とか科学普及映画のようなジャンルも存在したのである。

 今はどうだろうか?
 映画を「エンターテイメント」の概念に押し込め、その上さらに経済効率によって計るというのは、全ての動く映像メディアにとって自滅への道でしかないように思われる。