ハイフェッツ(1901~1987)のヴァイオリンは、まったく好きではありませんでした。
同じヴィルトゥオーソでも、ピアニストのホロヴィッツの演奏は好きです。凄まじいテクニック、青白い光が走るような音色、振幅の大きさ、どこをとっても共感します。
ハイフェッツはとにかく上手く、非の打ちどころがない弾き方はどこにも隙がないと思うほどです。そのうえ音色はいつも明るく健康的で、”こんな演奏を平然とこなしている”という風にしか聴こえませんでした。
しかしある時ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のCDを聴いて、突然考え方が変わりました。それは、ハイフェッツにはこの弾き方しかできなかったのではないかと思ったのです(もっとも、それは誰にも真似のできない弾き方です)。芸風は全然違っても、自分の弾き方を突き進むしかなかったという点では、ハイフェッツとホロヴィッツは共通していたのです。
そのとき、彼自身の意志の強さが演奏全体を一貫していることに気がつきました。
・ハイフェッツ(ヴァイオリン) ミュンシュ~ボストン交響楽団(RCA BVCC-37221)
第一楽章の(4:28)では、ヴァイオリニストの息遣いと高度なテクニックが意気投合したかのような下降音形が聴こえてきます。(9:57)のように、音楽が思索にふける場面にきても絶えず力強さを失わないところも買いたいと思います。
(12:08)~ オーケストラが最初のメロディーを再現するところに向けて、独奏ヴァイオリンが一気に高みへ到達するところです。胸が弾むのを禁じえません。バトンを受け継いだオーケストラも最高の力強さで応えています。
(16:59)~のカデンツァは、「ハイフェッツが弾くとこうなる」という感じのするところです。この演奏がまだ理解できなかった時は、”なんでわざわざそんなに難しく弾こうとするの?”と思っていました。
(19:40)~ 独奏が終わると、そこまでの情熱的な動きから一気に静かになります。第一楽章で一番静かな部分が最後にやってきて、耳をそば立てます。最後は飛び跳ねるような激しさで終わります。
第二楽章はベートーヴェンの音楽の中でも、ピアノ協奏曲第4番の第二楽章、あるいは5番「皇帝」の同じく第二楽章と並んで、特に精神的に深いものの一つだと思います。ゆっくりした音楽の動きに独奏楽器の静謐さが組み合わさって、何という深い音楽だろうと思わせます。
こんな場面でもハイフェッツのヴァイオリンは力強さを失いません。
(0:59)~ 一挺のヴァイオリンで、地平線を端から端まで引いてしまおうというほどの、真っ直ぐな強さを感じます。(1:25)のように心の底まで響く音も随所に聴かれます。
(5:08)~ 芯のある音です。ハイフェッツが弾くメロディーに、伴奏はピッチカートを奏しています。ヴァイオリン・ソロとオーケストラが掛けあう、一つの理想的な姿が示されています。
第三楽章に入るといよいよテクニックが最高潮に達してきます。(1:43)に向けての高揚感など彼ならではです。すべての音に、あまねく眩い光が照らされる弾き方!
全篇を通して、類まれな力強さと類まれな表現力が結びついています。ハイフェッツの強い意志と高い教養がそのまま投影された演奏だと思いました。そしてベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ハイフェッツのスタイルにぴったりの曲だったに違いありません。