心が満ちる山歩き

美しい自然と、健康な身体に感謝。2019年に日本百名山を完登しました。登山と、時にはクラシック音楽や旅行のことも。

越後駒ヶ岳 穏やかなピークと個性的な眺望の山

2020年03月20日 | 谷川・苗場・越後駒


越後駒ヶ岳(2,003m)

 「 汽車旅行で窓から遠く見える山を一つ一つ確認していくのは、私の大きな楽しみである。上越線の清水トンネルを抜けて、越後魚沼の野を下って行く途中、私の眼を喜ばす山が次々と現われてくる。 ~
 ~ 小出に近づくと、今度は八海の左に駒ヶ岳が出て、それが完全に八海から離れ、ついで駒の右に中ノ岳がふたたび顔を出す。そして小出からは、中ノ岳を中央にして、右に八海、左に駒、三つの山がキチンと調和のある形で並ぶ。ここで初めてわれわれは魚沼三山という名称の当を得ていることを合点する。 ~」(深田久弥『日本百名山』(新潮社版))

 冬に、越後湯沢から上越線の下り電車に乗って、山々の雪景色を眺めるのは楽しいものです。晴れればとても幸運です。上越新幹線ではなく、在来線の上越線です。
 どれがどの山かは、ほとんど自信がありませんが、陰影がついて立派な雪深い山ばかりです。線路際には、真っ白になった田圃が広がっています。
 越後駒ヶ岳や巻機山は、近くから眺めるより遠くから(電車の窓から)眺める方が、かえってピークがはっきりした山に見えます。


 登山口の枝折峠までを結ぶ国道352号線は、山に入ると道幅が狭くなります。すれ違うのが難しいくらいです。この区間は2006年まで、午前中は峠への登り・午後は下りの一方通行規制が敷かれていたといいます。
 標高1,065mの枝折峠につくと、付近には車がびっしり止められていました。朝日を浴びたススキが眩しいです。
 352号線は枝折峠から銀山平へ下り、その後奥只見湖の湖岸をなぞっていきます。地形図を見ただけで、無数の急カーブからただならぬ雰囲気が伝わります。

 登り始めると、早くも今日の目標が正面に現れます。
 「日本百名山」で”駒ヶ岳”のつく山は4座あり、その中で最も標高の低い山が越後駒ヶ岳です。
 高さは低くても、個性的な山です。甲斐駒や木曽駒の鋭さとは逆の、緑色の布を纏ったように穏やかな、しかし1点のピークに目を惹きつけられます。
 眼下では雲海が滝雲になって、谷に向けて勢いよく落ちています。
 歩きやすい道でした。地図(2013年版の『昭文社 山と高原地図「越後三山」』)上で、「小倉山」から「百草ノ池」まで1時間10分と表示されているところを、半分の35分で歩けてしまいました。
 普段の山歩きでは、コースタイムが厳しいと感じることばかりですが、越後駒ヶ岳は逆でした。
 百草の池は、尾根上にぽっかり空いた小さな池でした。登山道の補修に使われるのであろう資材が置かれていました。
 山頂が近づくと傾斜が急になりました。穏やかなピークは、実は大きな岩でできたピークでした。青空に、三日月が逆さまになって白く見えていました。


 頂上の眺望が、また個性的でした。単に360度見渡せるとか言うのではありません。越後駒の頂上から見える山の数はとにかく多いです。それも、日本アルプスのようにいくつもの山が脈々と連なっているのではなく、一座一座がばらばらに、全然違う個性を放っていました。
 文字通り真っ平な平ヶ岳は絶対この地に聳えていなければいけないと思わせるし、燧ヶ岳の上空は空気がピンと張りつめているようです。
 越後駒の10日前に登ったばかりの至仏山は、尾瀬ヶ原から眺めたのよりも、ずっと凛々しい姿をしていました。
 八海山は、ここ越後駒の間近にでんと構えて、ギザギザの岩峰をこれでもかと見せ付けているし、荒沢岳の複雑な稜線の伸び方は、険しさを推しはかるに十分です。
 多士済々な山々が、みな勝手な場所に陣取って、越後駒ヶ岳の方を見ている感じでした。これは他の山では感じたことのない空気でした。
 よく晴れた日には佐渡までのぞめるそうですが、この日は遠くが霞んで見えませんでした。

 来た道をそのまま戻り、1日1本しか来ない小出行きのバスを夕方まで枝折峠で待ちました。
 今は全国どこでも、大きなLED画面の付いた路線バスばかりですが、小出行きのバスは、運賃表が手書きでした。
 運賃の数字は、黒インクを使ったスタンプでした。
 バス停をすぎるたびに、紙製の古めかしい運賃表が1枚ずつパタンとめくられるのです。






 (登頂:2013年9月下旬)     



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