ニイガタのおっさんの独り言2

機種変して以前のブログがダメになった💦

メッキが剥がれると?

2024-07-14 08:51:00 | 随筆
先日の都知事選で候補者の物言いに投票した有権者からも戸惑いと後悔が広がっているようだ。

まさに「メッキが剥がれた」とはこのことをさすのだろう。

まあ、自分のポリシーやステイタスはそれこそ「自由」で人がいるだけその種類は千差万別である。

しかし、それはあくまでも個人なら許される事であって自分の置かれる立場や責任によって使い分けるのも当たり前の話だ。

例えば岸田総理はアンチから叩かれまくっているが、おそらくプライベートでは「人の良いおじさん」なのが人柄を見ていれば伺える。

しかし、それはあくまでも個人としてであり立場や責任が加われば「人の良いおじさん」ではすまなくなってくるワケだ。

個人的な意見としては「人種差別」「男尊女卑」「同性愛嗜好」など今の世の中では「ちょっと大丈夫か?」と思えるような考え方を持っていたとしても良識の範囲なら問題はないと思う。

まあ、人殺し趣味や暴力的なことは論外だが。

しかし、これが公人や仕事などの立場や責任が加われば話は変わってくるのは当然のこと。

いわゆる「ビジネスとプライベートを分ける」のが当たり前でありコミュニケーションのあり方だろう。

最近の若い人たちはこの使い分けがヘタだ。

いや、できない気質なのだろうね。

思ったこと考えた事は口に出さないと気がすまない。

また反論される事を異常に恐れてその場限りのイイワケに熱弁をふるう。

まさにネット住人のそれだ。

しかし、人とは信頼関係で繋がっているわけでアナタを理解してくれる人は信頼しているがゼロベースではただの危ない人にしか見えないのが普通だろう。

まあ、他人とは勝手に期待をぶつけてくる生き物なのでその重責に耐えられないことも多々あるワケだが、せめてビジネスとプライベートの区別ぐらいはつけられるようにしたいものだね。

犯罪多発に対して

2024-07-11 06:45:00 | 随筆
最近は強盗犯罪が多発しており刑法の改正が必要だと感じるようになった。

特にこの犯罪は致死、致傷、あるいは殺人にまで発展する可能性の他、最近ではSNSによる闇バイトが問題視されているのはご承知の通り。

また、簡単に人を傷つける殺すなど自分勝手な理由づけで法律を軽んじているところもある。

理由があれば許されると考えているのも問題だ。

また、外国人の犯罪も多発している。

先日の都知事選であれだけのことをやった不届者に対して手が出せないでいる選管や警察の問題と同じく犯罪抑止にならない刑法改正は今の日本には必須だと感じるのだが?

生きにくい世にしている原因は?

2024-07-09 17:16:00 | 随筆
以前、「老害」という造語について私の意見を述べたのだが、今回の都知事選のゴタゴタや自分たちの主張を通す為に規制ギリギリの危ない橋や何でもかんでも「表現の自由」に結びつけやりたい放題では「やがて生きにくい世の中をつくる」だけであると認識しているのだろうか?

今までは「社会(人として)の良識に基づいて」問題を起こす人間は少なかったと思うが、今は「自分たちに都合の良いように思考し行動し言い訳する」人たちが増えたのだと感じる。

もちろんそれが国の社会の、あるいは人としてのルールを逸脱して世の中の弊害になれば法律という最終手段で縛られることとなる。

まさにこの人たちは自分たちの主張、利益を追求するがあまりその壁を破り最終的な縛りを自分たちに課すこととなるだろう。

いや、そうなればまた抜け道を探して行動するのかもしれないが、さらに強い縛りを課されることになるのは間違いない。

今よりも生きにくい世の中を作っているのは実は自分たちだと言うことだね。

そして伝家の宝刀である「表現の自由」はその時世の人たちから共感を得られるかどうかははなはだ疑問に感じるのだが?

今をやりたいように生きるのはとても大切な事なのだが、一時の感情で言い放った言葉がやがて自分を苦しめることの無いようにしてほしいものだね。

返ってくるカルマ

2024-07-07 20:11:00 | 随筆
自分たちの意見を正当化するために「老害」などの造語を作っている若者たち。

あなたたちがいつまで若者で居られるのか考えた事があるだろうか?

小学生からしてみれば二十代はオジサンやオバサンなわけで、昔から三十代は「三十ジジイ」「三十ババア」と言われる年代だ。

「いや、オレ(ワタシ)は気が若いから」といくら言い張っても歳はごまかすことができない。

やがて、自分よりも若い世代から奇しくも自分たちが作った「老害」のレッテルを貼られることとなる。

いつまでも若いと勘違いできない時がやってくるワケだ。

あくまでも今の自分たちを正当化するだけの軽い語句だからそれを作ってしまったことを後悔する時が必ずくることを肝に銘じておいた方がいいだろう。

そして今の世論を軽い気持ちで操作してしまったことを後悔するべきだね。

どこまで許される?

2024-07-02 19:09:00 | 随筆
周りから叩かれるとすぐ「言論の自由」「表現の自由」と言い放つ人たちが多くなってきているのが昨今の我が国なのだが、ある意味マスターベーション効果で自分たちだけが気持ちよくなれば他人はどうでもいいという考え方なんだろうと容易に想像はつく。

それが都知事選にまで影響を及ぼすとは日本という国は終わりつつあるのかもしれないね。

さらにやったもの勝ちで取り締まることもできないのはもう末期症状だ。

さて、今回は「表現の自由」について語らせてもらうが、古今の映画やドラマ、はたまたアニメやマンガにおいても行き過ぎた性的表現の作品が増えてきているのも情け無い話だと感じる。

もちろんストーリー上の演出で必要だという言い分も理解できるし全て否定する気もサラサラない。

しかし、社会常識的に「これはアウトだろ」というものが多くなってきてるのも事実。

まるで同人誌やエロ本まがいの描写ではいくら深夜の時間帯であろうとも「全く問題がない」とは言えないだろう。

世間ではそんな作品を「低俗」と言うわけだし原作者や制作会社、あるいは放映局のガバナンスを疑ってしまう。

ひとつ例題として紹介したいのだが、深夜時間帯のアニメでスポーツものの新番組が放映されるようで予告の映像の中に女の子の股間のアップが表現されていたのを見かけたのだがちょっと見るに耐えなかった。

今は女性アスリートから性的表現による写真などがネットに流出しているとの訴えも記憶に新しい話題ではあるが、これはそういった興味をひくものの一因になりはしないか?と危惧してしまう。

しかも、地上波の局の放映だから上の人間は承知してるのかはなはだ疑問だ。

なんでも自由の世の中になったとはいえ行き過ぎのような気がする。

いや、そういった作品が見たいのならブルーレイでもDVDでも個人趣味として見ればすむことだが、いくら深夜時間帯であろうが地上波局で流す作品ではないと思うのだがどうだろう?

まあ、私は予告編しか見てないからあまり強くは言えないし、もしかするとたまたまアップ表現があったのかもしれない。

昔から性的嗜好は人の数だけあるワケだが、昔だって入手するのに手間やカネがかかるのがこの手の作品だと思うので、それを公共の電波で流す意味を関係者はよく考えるべきなんじゃないの?ってオジサンは感じるね。