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大善人へ身魂磨き

時代の変化に期待する

当たり前なんてこの世にはなくて、全てありがたいとよく言われています。当たり前と感じる環境は確かに有難い。


今は人をあやめてはイケナイは当たり前、法でも罰せられますし、法がなくても殆どの人はしません。


しかし、江戸時代や明治初期辺りまで、この当たり前は当たり前ではなかったです。


頭を垂れよ、無礼者!なんて言って、刀を振りかざしたり、藩と藩が自分の信条と違う!なんて、斬ったり斬られたりし、それを正義とした時代もありました。


今の時代の法律に当てはめると、そういう人達はみんな死刑ですね。

そんな感じなのに、昔はそういう人も罰せられず崇められたり、今でも、そういう国はあります。


過去世とかわかる方がいるようですね。私は知るのが少し怖いです。なぜなら、呑気に田舎で農作業したりして人生を終えてたら良いけれど、万が一、人をあやめてたり、

更には、無いとは信じたいけど、悪い殿様で民を見下し富を我が物としてのさばっていたり、悪代官だったりした日には、

何世も生きて償わなければならないから。


「人をあやめない」という当たり前の感覚でさえ、そういう感じでかなり近年まで当たり前ではなかったし、人により罪に問われない時代もあったのです。


人をあやめない、これは、自分も含まれています。


大人も子供も、自分も他人もあやめない。それが当たり前になる世界と、そういう世界に生きる事を有難いと思える時代がくるといいですね。


自分で命を絶つ人が多いのが、今の日本。


誰かがその選択をすると、世間は犯人探しが始まります。これは怖い。〇〇のせいで△△はその選択をした。辛い事がおこった時に、あなたのせいだと、他人から言われたくないのは誰しも同じ。ただでさえ、そういう辛い時には、自分の心を自分は責めがちです。


死を選んだ方は、あちらの世界で凄まじい後悔をするようです。〇〇のせいで、というふうに自分に近い人が自ら選択した死の責苦にもがいているのを非常に辛く感じるようです。


また、その選択をした自分のことを激しい後悔のもと猛省するようです。飯田史彦先生の生きがいの創造は死後の魂について教えてくれます。


死を選択するのは、今の最悪の状態で全てを止めてしまいます。振り子は振り切ったらまた逆に向かうのにです。


心が変わる可能性を放棄してしまった事を一番後悔するのは自分のようです。


自分をあやめない。命をあやめない。それが、時代が流れていく中で当たり前になる世界。自分で死を選択する人がゼロになる世界。生きることを否定しない、そういう有難い世が、時代の流れとともに到来するといいですね。







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