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大善人へ身魂磨き

古代からの神の道

日本の縄文信仰には道祖神信仰があります。交通の神、性の神、邪気を防ぐ要塞の神などいわれますが、三峯神社の摂社のひとつが塞の神でした。




古来は特に、倭国よりも文明が発展して様々な海から渡る渡来人を日本は寛容に受け入れ発展させ、まるで布を織るように大和を発展させ文明を築いたように思います。


戦いではなく、和により発展の道はある。交わりにより自分も他も祖先も子孫の命も守り抜く。


日本の土着の神道も、仏教が入ったときには、戦いはあり、物部守谷は滅ぼされたと言われていますが、私は物部氏は、沢山散らばり残っていると思っています。

信濃に守谷(モリヤ)の地名を残したり、私の実家にも物部川があり、古代神道のイザナギ流は高知県の香美(カミ)町物部村に民間信仰として残ります。


片田舎で、カミを民は純粋に守ります。

母の実家津野(ツノ)町は、高知のさらに奥の奥です。母は高知市に住む父と結婚した時、大都会に出てきたように感じたようです。


田舎などの奥に行けば行くほど元の形は残りやすい、守りやすいし、汚されない点もある気がします。神社の奥宮は山や行きにくい所にあります。


そんな田舎出身の母は、高知市に住んでも、実家の習わしを繋げて、神様に感謝し祀り守り続けています。



母 氏神様にて(妹の写真より)

日本人は今は教会(キリスト教)で結婚、新年やお祝いは神社(神道)、亡くなればお寺(仏教)など、海外の人からは違和感だらけのようですね。しかし、日本人は私も含め比較的、宗教に寛容で違和感なく生きている人が多い気がします。


日本人には他を排除するような強い宗教感が無い人が多いのも、他を排除するのではなく、和する過程を経たものだけが命を守る事ができると悟った祖先の結晶がDNAに残っているからかもです。


宗教は人の心を和するためにあれば良いのに、細部の違いや解釈を末代の人がいれたために、分裂や戦いさえもおこしています。


仏陀やキリストの素晴らしさに触れた人が伝えたかった道は、後世の人により宗教と形を変え、それを信じたものだけが救われると語ります。


仏陀やキリストは、苦難の時代にあってさえも、人を救った、神人合一の偉人だったと思っています。逸話から、超人としての能力はあったと思いますが、優しさと愛や忍耐のような心をもつ大切さを説いた御方。


仏陀もキリストも宗教を作ろう、とは言っていなかった。尊きことをするも、自分を驕らず、苦しみの渦中の人を救うことはあっても、何分いくらでとは言いません。


分離、分裂、差別とは無縁であり、また、自分たちだけが特別とか、自分を信じるもの以外は救われないともいいません。


宗教が争いを起こすのとは、対極の考えを広めたかったのだと思います。


「自然」を愛する道は道自ずと然り。

道を自ずと分つと「自分」となり、

自分が、我となると、

我よしとなり、

それが形として現れたのが

悪口、いじめ、差別、

そして最後は

戦争、悲しいかな核兵器による地球破壊

かもと思っています。


教祖経典の存在しない、日本人が古代からもつ神の道は、自然に神を見て、自然が変わらず生き続け恵をもたらすことに感謝し、また、自分もそうありたいと願う大和、大輪の美しい和の輪の道なんだと感じます。


和を以て貴しとなす。



高知県南国市琴平神社


ですね!


3本脚の八咫烏は、太陽からきた、まるで光の中の黒点のような鳥です。3本脚に、交わり結び陰から導くようなイメージを感じます。





熊野大社


八咫烏

大和魂、サムライJAPANにも通じます。日本サッカーは、個人プレーよりチームプレーなのも、ヤマト魂の発露プレーだと思います!ワールドカップ出場おめでとうございます🎉応援します📣。






山奥にあるようなヤオロズノ神社や自然、磐座や御神木に、古代から人が込めた神のメッセージの息吹を感じます。

神社で心があらわれるのは、


木々や人が確かに生きて繋いだ何かに、

心が喜ぶのかもしれません。


人々が神社で心を合わせ、神がご神威を増すのは、その祈りがまた、日本を守り、守護することにも繋がる気がしています。







四季折々。桜の季節。この花を眺める度に、日本に生まれた事に感謝します。


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