さて、今日は10年以上前に記した私の日記から紹介します。
ハンセン病問題の全面解決に取り組んでいる竪山勲さんの話に心が痛んだ。隔離政策により、外の世界から断絶されたハンセン病施設にいた子供達が、コンクリートの壁に穴をあけて外の世界を見ようとしたことが紹介されていた。
ハンセン病の子供達が一生懸命開けた小さな穴。でも、その穴から故郷を思っても出ることが許されなかった。悲惨な現実がほんの少し前でも日本にあったことを経験者として伝えているからこそ、知ることが出来た。
脳脊髄液減少症も、患者の心の中にだんだんと社会やもしかしたら家族とも壁ができるのかもしれない。苦しむ期間が長ければ長いほど、人々の無理解にさらされればさらされるほど、患者の側の心の壁は厚く、高くなってしまう。
脳脊髄液減少症を取り巻く環境の中にも
無関心、無理解というマイナスの「目に見えない壁」も存在しているように思う。交通事故が絡むと「大人の利権」がその壁を一層高く厚くしてしまう。
「悲しみの壁」をどうやったら乗り越えることができるのだろうか。
ハンセン病の子供達が一生懸命こじ開けた穴と痛みは違うけれど多くの困難と悲しみがある点でどこか似ているように感じてしまう。
おかしな現実は必ず良き方向へ正されていくと信じている。歴史がそれを物語っている。
「悲しみの壁」の穴から患者の実態を想像することそして、家族や友達に伝えることそんなちょっとした日常の中にも、壁が崩れるきっかけがあるかもしれないと感じている。
ここまで。
妹が脳脊髄液減少症の苦しみの真っ只中にいた時、この病の置かれた医療差別の現状に疑問をもち、仲間と署名を集めて国会議事堂の議院会館に10万筆以上の嘆願署名を持って行ったことがあります。
当時この病を発見し、治療にあたってくださっていた篠原先生
その際には、心ある方々が沢山署名してくださいました。署名は周知活動の為にかなり頑張りました。知らない方に知ってもらいたかった。
事故に遭った被害者であり、さらに身体は苦しみの極限なのに、そんなにお金が欲しいの?嘘言うんじゃないと治療もしてもらえなかった患者達。車社会、各自にもし同じ事が自分に起きたらどうですかと、自分のこととして考えて欲しかった。
その時あたりに記した日記です。
竪山さんの絶大な力と患者、患者家族、縁者の働きで、医師からも見放された病は数年後保険適用になりました。患者の前に立ちはだかる最初の岩が開きました。
身体の脳と脊髄を覆う硬膜に穴があき、脳脊髄液が漏れ続けると、人は時間をかけてゆっくりとどんどんと立つ事も、座る事もできなくなります。寝ても覚めても辛い。視覚も聴覚も味覚も異常をきたします。
脳脊髄液は湧き出る身体の泉のようなもので、絶えず循環しながら脳髄を守る液。それが漏れ続けることで、身体は計り知れないダメージをうけます。
知らないと誤ることは沢山あるし、医師だって人ですから、知識にない病は否定していました。医学的見地から脳脊髄液が漏れるなんてあり得ない、保険金絡みの詐称病だと治療を放棄されていました。
しかし、寝たきりの身体の患者が車椅子に横たわりながら国会議事堂の議員会館まで辛い身体に鞭打ってに訴えに行きました。
数年たち、やっと認められて、破れた硬膜の穴を塞ぐ治療が受けられる病院が増えました。患者はスタートラインにやっと立てたのです。
経験者しかわからないことはあります。声なき声を上げることさえ出来なくなった沢山の患者がいました。
ハンセン病など今では治る病でさえ、長い歴史のなか、近年まで、国、行政、司法、社会、近隣の者からの壮絶な差別がありました。その歴史を知り語り続けることにより風化させてはならないと思います。
強制断種、強制堕胎、子供が生まれても、その日に我が子を国の政策として殺されたハンセン病患者が実際にいたのです。
同じ過ちを人が繰り返さないように、この過ちは看過したり許したり出来ないレベルだと思います。
無実を訴えるハンセン病患者を特別法廷にて死刑を言い渡し、翌日に死刑執行したのです。あり得ますか?
何度もすみません。これが菊池事件の署名を私のブログでお願いする最後です。
こちらに詳しく詳細が記載されています。もし自分の身に起きたら?と考えてみてください。署名用紙もあります。8月10日に持参するようです。
何か立ちはだかる壁があれば、そこを打ち破ること、もしくはよじ登って先に向かう事は人の誠の動きにかかっているのかもしれないと思います。
一筆でも大丈夫です。もし、賛同していただきましたら、心から感謝いたします。よろしくお願いします。