碑文より
海女発祥の地 鐘崎
先祖は鐘崎海人と呼ばれ、進取の気性に富み、航海術に秀で、各方面で大活躍をした。
特に潜水の技術に優れた鐘崎海女は「西日本の海女発祥の地」として有名である。
海女の出稼ぎ地であった能登・長門・壱岐・対馬には枝村(分村)ができた。
海女の使用した道具は、県の文化財に指定され保存されている。
功績をたたえ、航海の安全と豊漁を祈る。
平成7年4月吉日
筑前鐘崎海女保存会
その時に聞いた海女さんの話を紹介します。
海女さんは、最高18メートル潜るらしいんです。アワビやウニを探します。
海人族を支える女も強いです。
何故女性が潜るかというと、皮下脂肪らしいです。皮下脂肪のない男性は水圧に耐えられないらしいです。
海女さんの服とか、様々なものを宗像大社の資料館で観ることができます。
海女さんは大の文字を頭に書いて潜ります。
大は★。
ヒトデみたいに角があり、怖い海の生物から守ってもらう魔除けの意味がありました。
(以前、沖縄で猛毒の縞々模様の海蛇に遭遇した経験があり、海は好きですが海の生物は侮れません😅)
そして、もうひとつ注目した話が、、海女の出稼ぎの話でした。
宗像大社にも、福井あたりから観光客が来て案内していると先祖のルーツが実は宗像だという方がいらっしゃるというのです。
海沿いから太古、出稼ぎにいって、そのまま日本海側の違う土地に根付く女性もいたようです。
長い階段を登ります。
拝殿に向かう最後の階段にふたつの文字が。
忠貫日月
孝動山川
なんだか心を掴まれる4字熟語です。
ゆっくり登る先をいく夫は参拝をしていました。私がつくと、気をつけて百足がいるよ、、といいます。
百足がいました。
毘沙門天様の御眷属神かな?と思いました。☺️
毘沙門天
貴船川の側にあります。福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿,大黒天にならぶ人気を誇るようになります。
室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められました。(ウィキペディアより)
大分県竹田で泊まった旅館の女将さんが源義経を匿った竹田の武将、緒方氏の話をしてくれました。
緒方氏自身は平重盛の家来だったのですが、重盛の死後は源氏について壇ノ浦の戦いでは源氏側につきます。
四国もそうですが、九州にも平家落人の話が色んなところに残ります。
その後、緒方氏は頼朝vs義経側の際も義経側につきます。そして、義経が敗北すると緒方氏は鎌倉幕府から目をつけられてしまうことになります。
鞍馬寺といえば、義経と天狗伝説がありました。
やったりやられたりの歴史がありました。
海賽銭箱にいたムカデから、毘沙門天→鞍馬寺→義経へと、話が海女さんから飛躍してしまいました。😅
つづく
つづく