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大善人へ身魂磨き

織田信長

歴史の中で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康あたりの動きは、リーダーの性格が時代を創っている感じがします。


豊臣秀吉と家康については、以前少し書きましたから、織田信長について書いてみます。


友達の娘さんが、何年か前に、入試で織田信長と書かないといけない所を、織田信成(スケート選手)って書いたらしく、そんなん書くの娘だけだわぁ、落ちたかなぁ、、と心配していました。

合格してましたけどね。笑


末裔の信成さんと違い、織田信長は、破天荒なイメージもあります。当時、外国からの宗教キリスト教には寛大である一方、比叡山延暦寺を焼き払ったりします。


これだけみたら、うわっと思ってしまいましたが、何だか裏がありそうで調べてました。


信者と書いて儲ける。

だから宗教にはお金が絡むと聞いたことがあります。


私は神様は信じていますが、特に何教を信じているわけではなく、絶対的な存在がいて、森羅万象を形にする何ものか、それを神様だと思っています。


織田信長の殺戮は、比叡山の僧兵、神仏の名前を盾にして堕落した集団を討ったのでした。


比叡山延暦寺は、天台宗の最澄からの流れがあります。


空海と最澄の時代(平安時代初期)の後、空海はあまりにスーパースターだったので、師が凄すぎて、空海を弟子が超えられなかったそうですね。


それに対し、最澄の天台宗の教えは、様々な鎌倉仏教へと繋がります。


浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、禅宗(臨済宗、曹洞宗)の全ての開祖が比叡山延暦寺と縁があります。

最澄の説いた教えの余白から、様々な解釈を元に派生させた流れのようにも感じます。


しかし、織田信長の時代、比叡山延暦寺は、僧兵の温床となりました。天皇をも悩ます存在、神や仏の名をかざして利権を獲得したり横暴により人々を圧する存在でした。


その姿勢を織田信長は過激な方法で滅したといえそうです。中途半端では変わらないくらい酷かったのかもですね。


僧と兵が神仏への祈りをするものに共存するのか?もはや、僧兵とは尊い僧の名前だけを振りかざす、悪の権化だったのかもしれないですね。そこに、比叡山延暦寺焼き討ち。善悪は正神が判断されるのでしょうね。


織田信長は、上下関係が厳しいあの時代にあって、キリスト教を認めていたことからは、人が人を差別する社会や、時代のリーダーになっても権力を振りかざすのを拒否していたのかもしれません。


歴史上では、諸外国から持ち込まれる様々な物が国のためになるのなら、積極的に繋がったようにも習いました。


本能寺の変では亡骸は見つかっていない不思議もあり、不思議な存在だと思います。


教科書に書かれた事実の背景を調べながら、何故その行動をしたのかなぁ、こう書かれているけど本当かなぁと考えると面白く感じます。


また、僧兵ではありませんが、宗教を盾に人を騙す存在や、自分をまるで神様そのもののように言いながら、人の金を巻き上げる存在はいつの時代にも、今もいるのかなぁとも思いました。



空海さんのお言葉を紹介します。


仏の教えは一言で言えば、自分の利益と他人の利益を一致させることである。




あなたの苦しみをとってあげたいは、仏様だと思いますが、


貴方の苦しみをお金を払ったら取りますよ、とかは、昔の僧兵に近いのかなと思ったりします。


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