心を文字や言葉で解放している言葉はその思いが純粋だからか心に響きます。
誰も経験や体験をしないとわからないことはあります。
ところで、経験にはもしかして分担があるのですか?と私は神様に聞いてみたいです。
何故なら、自分では上手く言えないのに、自分の心で呟いているのと同じだと感じる言葉を他の方のブログで見せられることがあるからです。
神様の分け御魂をもつ一人一人が神様から委託された経験や体験を通して、このケースでは、あなたはどう感じ何を学びますかと問われている気もします。愛を保てますかと。
辛そうに思える経験も、自分の視点を広げるだけでなく、自分を高めるためにおこることだと思っていいんですよね、と聞いてみたい。
他の人の経験はその人が担当します。だから、同じ気持ちにはなれません。しかし、辛い時ほど、誰が本当に優しいかわかります。
貴方が辛い思いをしたのは、自分に責任があるんじゃないかとかいう言葉を言う人がいます。遠回しに、自分を責めないようにと言ってくれているみたい。
私の好きな中国ドラマ十里桃花の善い神様は、何か悪い事が起こると自分のせいだといいます。他者の辛さを受け取り昇華して上げようという優しさですね。
良くないと一見思われることは、ただ、因果とか不調和とかを解消する為におこり、誰かのせいではありません。また、自分のせいだと自分を責めたりしたら、これも新たに自分の中で不調和を生みますから良くない気がしてます。
より善くなる為に起こる事だと出来事を俯瞰してみると、本当にその通りになる気がします。