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大善人へ身魂磨き

三種の神器と祈り

日本は、三種の神器があります。

八咫鏡、勾玉、草薙の剣です。


この3つは、形があって皇室により護られています。

この3つは、御神体。

鏡は天照太御神様
勾玉は月読尊
剣は素戔嗚尊

かな。

御神器は形があり引き継がれていますが、剣には喪失したり色々な歴史があります。

皇室は祈りと共にあり、目に見える形より見えないものへの祈りと共にあります。

皇后様は病になり、時にはそんな辛い中でさえもマスコミや皇室内からでさえも非難をされました。皇后様に向けられた矢を、盾になり守り抜かれて、優しくあたたかくお支えになったのが天皇陛下です。私は天皇陛下の御心を尊敬しています。

その御心は、目に見えるものを追いかけたり、高いところから見下ろすような視点はなく

水の研究をされていることからもわかるように、高いところから限りなく低いところまで流れていくような優しい視点がおありになります。

弱者や辛い中にある国民に常に心を寄せてくださる限りない慈悲を感じます。

3つの御神器、皇族でさえ見ることを許されないもの。それは、視たり、そのものを手にしたりすることがあまりにも畏れ多いからだと思っています。

形あるものが畏れ多いのではなく、この三つの御神器の背後に隠された、ものすごく奥深い御心や、歴史が込められているからこそ、畏れ多いのだと思います。

それを心に、祈りを継続してくださっているのが天皇陛下です。
そこには、私はなく、とことん公なのです。

愛子さまが、皇室は国民と共にあり、そして祈りと共にあると仰っておられました。
初々しいお姿と、そのお言葉に天皇陛下の御心を確かに受け継がれ嬉しく拝見しました。



皇室は、天照大神を祖としますが、3つの御神器に込められたものを護られていることを、個人的には凄く大切に思います。

御神器の八咫「鏡」は、太陽の神。
鏡の意味合いを持たせたのは、相手の痛みを自分の心の鏡に丸ごと映し、人が思いやりそのものになるのが心の鏡です。また限りなく温かく与え続けるのが太陽の陽光。つまり、愛だと思っています。

勾玉は、月の神。海の満ち引きにも関係し、海の恵み、水の循環を陰から支えます。闇の中にあって、光ります。人は良い時ばかりではありません。闇のような中を歩き続ける時に、一点の光りがそばにあれば、誰かの優しさに触れたら、人はそれを頼りに生きていけます。
弱いものに強い光を当てるのではなく、限りなく陰から寄り添う光。それは、優しさです。

また、勾玉を太極図の片割れとみますと、自分が白、相手が黒だと戦いになりがちですが、白の勾玉の中にも一点の黒があり、黒の中にも一点の白がある。
だから、相手の中に自分を見たとき、認める気持ちになります。





草薙の剣。素戔嗚尊。武の神。


フツヌシは武の神様であり「経津主神」としても香取神宮はじめ様々な神社でお祀りされています。


何故剣が御神器なんだろうとはじめは思っていました。


神話では、バサバサとまつろわぬ者達を斬る場面もあり、そこを読む度に嫌な気持ちも湧いてきましたし、神武天皇即位紀以降非常に多いです。


タケルと呼ばれる者同士で闘うのです。


古代史を読むのが好きなので、読みこんでいくうちに、消された勢力のうっすらと残るヒントから、ああ、可哀想に、まつろわぬ民は、酷い呼び名で蔑視されたり、殺されたんだなぁと同情したりする自分がいます。


話しは飛躍しました。


遺恨について考えました。


太古の時の権力者により、記紀神話の時代から国内でも負けたら鬼のように扱われ、また、蜘蛛やら、蝦夷といわれる民がいました。


剣(武器)が人を殺すと何代もにわたり遺恨を残します。やった方は忘れても、やられた方は水に流せない、たたかいはそうして時代を超えて繰り返され、祟りは、遺恨を残しお亡くなりになった人々の無念を想像させます。


白黒つけなければ、たたかいは免れますが、誰かを批判したり、審判したりする視点は多かれ少なかれ持ってしまいがちです。


剣の刃、諸刃(もろは)のつるぎは利益をもたらす可能性がある一方で、損失をもたらす危険性も孕む例えです。


剣には刃があります。刃の漢字にはメがあります。


メは、「攻める」という漢字にもある一方、「交わり」という漢字にもあります。

爾(なんじ=汝)の敵を愛せよ。は聖句ですね。難しい漢字の爾にはメが四つもあります。自分の4人の敵と、まずは交わろう、と読み替えます。


「交わり=メ」、これは剣の隠された意味かもと思いました。


武器は持っても、使用せず、と偉大なる老子様も仰っています。


日本は、太古から争いを繰り返し、その後大戦争も経験し、原爆というもの凄い悲しみを経験し、原発事故さえ引き起こし、爪痕を未だに残しています。

隣国からは大戦で引き起こした遺恨や敵対心を未だに露わにされます。


たたかいの武器がもつ負の連鎖を断ち切るのは、交わり、平和にあると思います。

人の心の交わりがもつプラスの大きさを理解する事だと思いました。




尖った剣のような心と心をなんとか交わらせるのは、人の善なる心によります。


怨みをうんでしまったら、解消には時間がかかるし、簡単にいかないけれど、

武器を使うか使わないかは、人の心次第。たたかいの苦海の輪廻を終わらせるには和(+)しかない、と思っています。


天皇陛下は、平和を祈ります。和です。大和の国、日本。昔は、倭の国。倭は、「人」の心に「委」ねられている。


記紀では様々な書かれ方をされ、根の国から天国までつながる素戔嗚尊は、まさに、和をどの人にも、どの国にも、どの世界にも開こうとする武の神、剣の神、交わりの神だと思っています。


日本は祈りと共にある国です。神の国。三種の神器に託された心気をもてる国民のいる国だと思います。


今の緊迫した世界の状況を、痛みをしり伝統もある日本ならではの方法で、解決策を模索しながら世界に示せるといいなと思っています。



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