阿蘇国造神社の参拝を終えて、夫が次は霜神社に行きたいというので、一緒に行きました。
霜の名前は、健男「霜」凝日子神社にもあり、また、熊本の阿蘇には鬼八の伝説では、鬼が霜で民を困らせるとあり、そちらの伝説に健磐龍命と鬼八の対決の話が残ります。
まず、阿蘇の鬼八は阿蘇神社の御祭神、健磐龍命の家来でした。命が往生岳から遥か彼方の的石へ矢を射ります。
鬼八はその矢をとってくるお役目でしたが、100本目を手抜きして足の指でつかんで投げ返します。
それを怒った健磐龍命は逃げる鬼八を高千穂まで追っかけて殺します。鬼八は健磐龍命を恨んで阿蘇谷に霜を降らします。
霜には弱い。農作物が出来ないから。命は鬼八の為に霜神社を創り、毎年「火焚き神事」をして鬼八の霊を暖めている、というのです。
まるで、鬼滅の刃みたいに、切っても切っても死なない鬼八の話もあるようです。
ちなみに、鬼滅は↓。
高千穂では、鬼八と神武天皇の兄の三毛入命の対決話がありました。
高千穂神社は夜神楽を見るために行きました。鬼八を三毛入命が踏み潰した様子が拝殿に彫刻としてあります。
高千穂に伝わる鬼八伝説は地方一の豪族の親分としてでてきます。
鬼の岩窟の隠れ家を持ち里人を襲いますが、最後に鬼八は殺されます。
大分の安心院にも鬼の洞窟と言われた場所がありました。
八岐大蛇ではありませんが、力のある勢力が跋扈した時代、勝ったり従わせたり交わったり戦ったりしながら土地を支配を広げていく過程が、九州の色んな場所であったのかもしれません。
それでは、鬼八とは忌み嫌われる存在なのか、、
地元の人は大切に祀って守り続けています。
鬼とは純粋に何だろう、、、と思ってしまいます。
異国から命からがら逃げてきた、言葉も身なりも風貌も違う、昔の言葉でいう「異形」の人かもしれない。今でいう「異国」の人。
または、生きる術を、襲って奪う事でしか命を保てなかった弱者かもしれない。
忌み嫌われ差別された人間かもしれない。
または、力に負けて征服され、その土地では生活する場が無くなり洞窟に隠れて生活することを余儀なくされた存在かもしれない。
征服者からみたら、従わない方が鬼で、また、征服される側からみたら、征服者が鬼なのかもです。
ただ、鎮魂しなければ癒されない、歴史の闇のようなものも感じてしまいました。鬼滅にあるように、日の光、あたたかさが必要な存在かも。今なお人は御霊を鎮め癒そうと祈りを大切に続けているのだと思いました。
自分の心でいえば、我欲、なかなか鎮まらない思いや、冷たい心、差別心は霜かもしれません。それならば、鬼って誰の心にも多少はいるかもとさえ感じました。
朝日で毎日、溶かして生きる。日はまた昇る。日の国、日本🇯🇵🗾🇯🇵🗾。
穢れなき少女が神事に携わるようですね。
火焚き神事
カラスの羽
参拝後、また黒アゲハがヒラヒラ。
ここらへんは、田んぼに囲まれた所で、参拝者も地元の人以外は殆どないのでしょう。。
長閑なところで氏子が繋げる神事が日本にはあります。日本は、神国だなぁ、田舎の津々浦々にまで神々の息吹が注いでいる気がします。
霜神社から車で少し行った所に火焚き神事を行う神社がありました。
そちらも参拝します。
こちらの神々は自然の精霊のようなイメージです
火焚き殿が自然発火により焼失し再建されたことが記されています。
黒トンボ。
参拝後、田園をあとにしました。
田んぼとトンボと阿蘇の景色。
大自然。太古もこの風景は変わらなかったのかもしれません。
過疎を思いしるのは、民による神事(祭り)の継続が難しくなることだ、と大入島の方が語っていました。
しかし、まつりを大切に思う人がいる限り、その思いは神々に通じると思っています。
土地の神様を大切に思う心は、その土地があるからこそ、住まわせて貰い、風雨嵐霜雪から守られて火による暖をとることができ、また、天からの水や、大地から食の恵みをいただける、その受け身の有り難さを感じる心かもしれないなぁと、長閑な田園に広がる地にある神社を参拝して感じました。
自然に還る大切さを感じる神社と神事でした。参拝させていただきありがとうございました。