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大善人へ身魂磨き

忌部氏 3 綱引き

昨日の続きです

朝廷での祭祀の力は中臣氏により削がれたものの、忌部氏の地方氏族は随所に跡を残しており、忌部氏ゆかりの神社も点在します。

しかも、昔話にも、忌部氏は隠喩されていないかな?と思っています。こちらは空想ですが。。

かぐや姫(竹取物語)に出てくる、姫を金と権力で手に入れようとした悪人が忌部氏と対立した藤原不比等をモデルとしているのではないかということでした。


実は、竹取物語流布本にかぐや姫の名付け親は「みむろいんべのあきた(※)」(三室戸斎部秋田)とあり、

また竹取の翁の名は「さぬきのみやつこ」のようです。つまり、作者を忌部氏の人とする説や、讃岐忌部と作者の関係を指摘する説があるようです。


(※)ミムロについてですが、御諸山の「みもろ」は「みむろ」がなまり「むろ」とは皇室の室(むろ)、天皇がおわす所のことで、天照大神の孫のニギハヤヒ命が飛騨から降りて住んだ所が御諸(みもろ)です。その山は御諸山(みもろやま)と呼び大和の御諸山はニギハヤヒ命の山なのだといわれています。御諸山は、三輪山(みわやま)に変わります。


時代は安土桃山時代になりますが、織田信長に関しても、忌部氏との関係が語られています。


戦国大名織田氏は桓武平氏を称しますが、織田神社神主家は同族の斎部氏説が有力であり、織田氏は劔神社の神官である越前忌部(斎部)氏の支流のようです。


桓武平氏は清和源氏と戦いましたね。。四国は平家落人伝説の宝庫です。。。平家物語は諸行無常、驕りの愚かさを後世まで伝えます。


出雲の国譲り、蘇我氏と物部氏の対立、中臣(藤原氏)と忌部氏の対立、平氏と源氏の戦い、戦国時代の混乱、歴史の中で様々な対立が見受けられます。


何らかの因果が繰り返すパターンがあるのかなぁと思ってしまいます。


権力闘争は、人数が増えると綱引き合戦みたいなイメージです。

運動会で小学生がやるのは可愛いですが、大人が牙やツノを剥き出しにしてやるイメージです。

時代ごとにちょっとずつ変わりながらもずっと続き、勝った負けたの繰り返し。





そうして、負けた方は忘れはせんぞ!と昔話に残したり。童歌(七つの子 - お山にお宮がたちましたにこめたり。そういう話しや歌こそ、後世の人の心の琴線に触れて残り、面白いし響きます。

しかし、当時を生きた方々は、時代ごとにヘトヘトになるのかなぁとも思います。


綱引きの筋肉痛をのこしながら、亡くなった後あちらの世界でお互いの思惑を知り、来世こそ仲良くしようねと誓い合いまた同時代に生まれてくるけれど、

やはりツノや牙を出して綱引き合戦をして、筋肉プルプル、痛みを残しまた終える。。


輪廻って、こうした似たパターンを解決するまで繰り返す因果律なのでしょうか。


輪廻が苦海と言われるのも、輪廻からの脱出が困難なのは、手を替え品を替え、個人なら気づかないパターンで波のように打ち寄せては跡を残さず消えていくものだからなのでしょう。





自分も過去世とか覚えてないけれど、生まれてきたのは、何らかのやり直しテスト中かなと思っています


人生折り返しになった今、亡くなるまでテスト期間中。

歴史を知ると、因果の痕跡が残っているように客観視できます。しかし、自分のこととなると、すぐ忘れてしまいがち。自分も、今生だけみても、あれ?私って同じパターンを繰り返してるって思い当たる事があります。


歴史に学びながら、小さい身の回りの事からも何かを学びとることは出来そうです。



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