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大善人へ身魂磨き

宗像大社資料館

宗像大社を参拝する前に資料館を見ておくと良いと教えてもらいましたので、織幡神社と、鎮国寺参拝後に資料館に向かいました。

そこで、学芸員のボランティアガイドの札を付けた方にお願いして館内を案内してもらいました。

ボランティアなので、20分位かなと思っていたら1時間ほど、それは丁寧に宗像の歴史や宗像大社に纏わる様々な話をして下さいました。

ありがたかったです。😌

まずは黒曜石。

とても切れ味がよいために色んな用途に使われていたといいます。九州の姫島は黒曜石の宝庫です。




土器が作られます。魚なんかの煮炊きに使ったのでしょう。


織幡神社のある鐘崎あたりには、貝塚が残っているようですね。縄文遺跡です。


稲作が伝来します。


人々は村をつくります。環濠をつくったり。穴には食物を隠したり保存したりしたといいます。
食料事情の不安定な中、収穫時期には泥棒がいたりしたのかもですね。

また、土の中は温度変化が外気程ではないから食物の保管には持ってこいということのようです。



金属が伝来します。


こんもりした大きな古墳は、海外からくる人が目にした時に、一大勢力がいることを知らしめる意味もあったようですね。矢が作られています。

九州は沢山の古墳がある地だと今回わかりました。それだけ、大陸と近く、警戒した意味もあったのでしょう。




のぼり窯は今と用途は変わらないですね、、と。


馬はとても貴重で、卑弥呼の邪馬台国の時代は無かったとか。はじめてもたらされたのも小さいポニーのような馬でした。

だからこそ、王様の乗り物としてとても大事にされ、馬に飾り付ける金銀宝石も出土されています。


くねくねのものは馬の尻尾につけ、そこに幟をたてたようですね。

太古の騎馬を使った戦いの幟は、馬の尻尾につけていたんですね。

この髪型、天孫降臨の神々、と同じですね。




勾玉です。糸魚川産でしょうか。



こんな木ぶねで航海します。

海を渡る際に、玄界灘は荒いため真っ直ぐ大陸に向かわず、横に横に向かい、対馬を経て航海したようです。その際、海よりは陸が安全だと古代の人は対馬の対岸から陸を舟を担いで進んだりしたようです。
それだけ、海は死と隣り合わせで危険でした。板子一枚下地獄だったのです。


つぎは、穴な空いた壺。これは水銀を抽出するために使ったようですね。丹を含む朱砂を熱して蒸留しますと、丹と水銀が得られ、丹は寺院などの彩色に、水銀は仏像などの鍍金(メッキ)に使われていました。

ガスを抜く穴がこちらの壺の穴ですが、きっと沢山の方が水銀中毒になったのではないでしょうか。

空海さんは、全国の水銀鉱脈のある地を巡ったと聞いた事があります。水銀鉱脈がある地は霊的な磁場だということでしょうね。






こちらは、ガイドさんによりますと、阿弥陀経が書かれたものです。一人残らずすくう仏様。後ほど行く神宝館に現物がありました。


海女さんは、出稼ぎをして遠く北陸あたりにまで行ったりしていました。




2017年に神宿る島としてユネスコ世界文化遺産に登録です。


↓こちらは女性は立ち入りを禁止された沖津宮で見つかった指輪








のレプリカです😊



本物は神宝館で見てきました。
本物は厳重に管理、もちろん撮影も禁止でした。



詳しい説明を素敵なボランティアガイドさんにしていただきましたが、午後は、別のガイドさんと待ち合わせがあり、その方と神社を参拝します。

次のガイドさんも、色々宗像大社愛が爆発しておられ、到着前、当日、そして帰ってからも、色々教えてくださる優しくて面白いガイドさんでした。



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