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大善人へ身魂磨き

限界を知った後で

昔小学校の頃、体育館でマットを広げ側転をしたり、ブリッジしたりしていた時に、


私、何でも出来そうっ!


と言っていたよね〜と友達が随分後になって笑って言ってました。


そんな事、私は口走っていたんだと、苦笑い。







思春期は、人に合わせたりして、自分らしさはなかったように思い、それに比べたら小学生の頃の自分はとても無邪気だったんだと思いました。


子供の夢は果てしない。


しかし、だんだん年を重ねるにつれ、できない自分を否応にも他者からの評価で見せられます。


貴方の好きなマット運動は、普通レベル。それ以外の運動は、普通よりかなりレベルは低いからねー。なんてね。。


あー、体育嫌だなぁ、と感じるようになる。


数学も然り。でしたね。








嫌だなぁと感じることって修行になりました。


出来ない自分を思い知ると、あらら、だんだん修行にかわる。


しかし、この歳になると、最近は開き直って、修行って、苦行をしたり限界を突破したりするようなものだけでもないのかなぁと思います。


限界を知った上で、出来ないの枠を緩めながら、好きなことを楽しみたいなと思います。


マット運動が好きで、家で敷布団を敷いて練習したりし、バク転は狭い家の練習くらいでは出来なかったけれど、出来ると信じ胸が高鳴ったあの感覚。


出来ない自分に気づかず、好きで敷布団をしいて側転やブリッジの練習を家でしていた時、何でも出来そうと思い楽しんでいた時を思い出しました。


下手とか周りの評価とか気にしない時はとても楽しかった。


年を重ね、また、自分が楽しいと思うこと、心が弾むことを、自分の空白の時間にやることにしています。






それは、楽しい事を楽しみながら、ただやりたいからやる、自分が楽しいと感じたことを感じるままにする。その心には限界はない。


この忘れかけた心が戻ってくる感覚があります。


マット運動ではないですよ。


たぶん、誰しもいくつになってもそういう事ってあると思います。


その気持ち大切にしたいですね!





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