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大善人へ身魂磨き

研磨剤

お釈迦様はあえて自分から選んで

苦難の道を歩みました。

苦難に身を投じ苦悶を重ね、

肉体的には極限の状態で

そして、

もう死んでしまうかもという中、

身体を癒す愛の温かい粥を

少女から与えられて悟ります。


もし、王様のままのお釈迦様が、

お粥を与えられても、その有り難みも

何も解らなかったかもです。


身魂に染み込む愛が

お粥だったんですね。


艱難辛苦汝を玉とする。


辛いことは起きて欲しくはないけれど

辛いことが起きてしまった時には

自分の身魂磨きには

避けられない事だったと思います。


ラクして生きたい派でも

生まれてこれた奇跡を無闇に生きて

学びも何もない今生は

貴重な一生を無駄に終わらせることに

なりかねないから

あえて魂から苦難をプレゼントされ

経験し思い通りにならない時こそ

本当の価値があるんだよ

学びなさい

ということかもしれません。


もちろん因果を作った自分を

見つめ直しなさいという事もあります。

しかし、

原因には結果があるように、

結果が美味しくても不味くても

それが果実だとしたら、

有り難くいただきます。

良薬口に苦し。

良く効くのは苦い実の方ですね。

そして食べたら消える。

必要ない果実は木々から落ちて

それもまた土に還り消えていきます。

必要だからこそ味わっている。

最後は土は、地球はそうして全てを受け入れる。


始まりがあれば終わりもあり

生まれたら皆いつかは死に

全て消えていくその道の中で

上滑りの喜怒哀楽でなく、

身魂に染み込むものだけが

自分にとって残る気がします。


お粥も、温かさで身体を温め

空腹を満たし身体に染み渡り命を繋いだ

お役目のあとは温度も消えて、そしてき

えていつか排泄される。お粥を渡された

時のはっとした心の温もりだけが残る。


痛みも、悲しみも、楽しみも、喜びも、

温かさも、冷たさも、時と共に消えて

経験だけが自分に残ります。

そうしていると、

良くも悪くも様々な経験は、身魂に刻ま

れます。


経験という引き出しに、ポンポン自分な

りの気づきをいれながら、苦難さえも受

容していくと、次に誰かが同じ悲しみや

苦しみの経験をしたとき、

他者🟰自分のようになり

自分の引き出しの中から材料を選んで

その人に合う温かいスープでもお粥で

も、分け与えてあげられる

そんな愛ある行動ができる人に、自分が

気づかないうちになっているのかもしれ

ませんね。


しんどいなぁ、不味かったなぁ、

と思えることこそ研磨剤として

身魂には大切な気がしています。




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