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大善人へ身魂磨き

タケミナカタを諏訪の神話から考察する 2

昨日の続きです


諏訪の神話では、


タケミナカタ神こと、タケル率いる出雲の軍勢は、尾張を統一し、熱田に祖父スサノオを祀る宮を建て、代々伝わる村雲剣を神体として奉じたのが、現在の熱田神宮である。


とあります。


一方、古事記では、


ヤマトタケルの妻が夫の死後夫が残した剣を奉じたのが熱田神宮なんです。

その逸話がこちら。


草薙神剣は、スサノオノミコトが出雲で八岐の大蛇を退治した際にその尻尾から出てきた宝の剣で、「天のむらくもの剣」とも呼ばれて伊勢神宮に祀られていたが、後にヤマトタケルノミコトがこれを使って難を逃れたという。


東国を征したヤマトタケルノミコトは、宮簀姫命と結婚したが、伊吹山に悪い神がいると聞き、大切な剣を姫の元において伊吹山へ出陣した。


冬の伊吹の神は白い猪と化し、容赦なく雹をみことに降らせました。みことは病に苦しみながらも故郷の大和恋しさに歌われました。


大和は 国のまほろば たたなずく青垣 山ごもれる 大和しうるわし

またこれが最期と、尾張に残された愛しい姫と剣のことを思われ、

おとめの 床の辺に我が置きし つるぎの太刀 その太刀はや
と歌い終えるや、そのまま崩御されておしまいになったのです。


尾張に残された美夜受比売は、愛しいみことが残された「草薙の剣」を、蓬莱島と呼ばれる熱田の森の社におまつりし、みことの霊の安からんことを願われたそうです。


かくて熱田の地に、皇祖伝来の御剣とともに四柱の神々が祀られ、今に至るまで、日本史上の代々の将軍、戦国武将を始め、一般民衆から熱い尊崇を集め続けることとなった。


以上。


熱田神宮の草薙の剣に纏わる話は、ヤマトタケルの逸話の方が採用されていますが、実は色々あるんですね。村曇剣の名前は、出雲の村を護る剣?なのかもしれないです。当時を生きた人のみが知るということですね。。


また、ヤマトタケルと出雲タケルの剣の話しも書いておきます。↓


「出雲国」へと入り、その首長である出雲タケルを殺そうと考えました。 到着するとヤマトタケルはすぐに出雲タケルと友人となりました。 


そしてひそかにイチイ(櫟【=木の名前】)で偽の刀を作り、それを身に着けて、出雲建(イズモタケル)と肥河で水浴びをしました。 

ヤマトタケルは水浴びを終えて、河より上がり、出雲タケルが解いて置いていた刀を取り、 

「刀を取替えよう」 

と言いました。 

出雲タケルは河から上がり、ヤマトタケルの偽者の刀を身に着けました。


ヤマトタケルと出雲タケルは刀を抜こうとしたが、出雲建の刀は偽者だったので、抜けず、ヤマトタケルノミコトは刀を抜き、出雲建を切り殺しました。


以上。


ちなみに、神話である古事記に書かれているこの逸話は日本書紀には書かれていないようですが、


剣にまつわる逸話と共通点から、

ヤマトタケルに負けた出雲タケルは実は、出雲の国譲りのときに古事記で一度だけ登場するタケミナカタ神だったのかなぁ、


わかりませんけれど、


剣に纏わる古代のたたかいは事実としてあり、つぎはぎの物語としてばらばらに古事記には残されているのかもですね。


神話も史実とされていることも実は事実というより勝者の武勇伝に近いもので、敗者側の視点は、刀で切り刻まれて散りばめられたように、かすかに残るものの原型はとどめていないものがあるようにも思えてきました。


そして、もうひとつ、その根拠となりそうな話しがあります。



つづく







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