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大善人へ身魂磨き

相馬中村神社

葺不合神社を参拝した際、相馬という名前をみて、あれ、相馬だ、、と思いました。福島県相馬市の相馬です。


相馬中村神社(そうまなかむらじんじゃ)は、福島県相馬市にある神社で、妙見中村神社とも呼ばれています。


私の家族は、福島のこの地に縁があり、私は家族と何度か訪れた事があります。相馬野馬追の祭祀は有名であり、相馬氏の始祖は平将門様です。


相馬中村神社は、神仏分離前は、妙見菩薩をお祀りしていたようですが、今は御祭神天之御中主神です。




『妙見』は仏教では菩薩様ですが、天の中心にあって星々を従えていることから神道では『天之御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)であり、北辰妙見尊星王となるようです。


日本では、古来、北極星や北斗七星を『妙見』として崇めてきました。妙見とはすぐれた視力の意。私たちの行いの善悪、真理をよく見通すチカラを表しているようです。


妙見菩薩は「心武く、慈悲深重して『正直』なるものを守らん」と語り、妙見の加護を得るためには、常に「正直」であり、武士の道に励むことが求められたといいます。


相馬の名前からも馬との繋がりを感じますが、馬は神様の乗り物であり、戦に臨む武士にとっては、まさに生死を共にする生き物でした。




様々な願いを込めて神様に絵馬を今では奉納しますが、昔は生きた馬を奉納していました。

今から1000年以上前に平将門様が敵兵に見立てた野馬を放ち追捕する軍事訓練として、また捕えた馬を神前に奉じる妙見の祭礼としたことから、馬奉納が始まったと伝えられていました。


つまり、絵馬奉納は元は、福島県相馬地方に今なお続く相馬野馬追の祭祀に起源があるのです。



【画像は絵馬検索画像より】

数年前、相馬野馬追の出陣式に夫と子供と朝早くから見に行きました。出陣式は代々続く相馬家の当主が号令をかけ始まります。武士の時代の絵巻物を実物として見せられた錯覚に陥るほどの迫力がありました。また、出陣式が法螺貝を吹くことで始まり、独特な神事でした。


500もの騎馬武者が参加する「お行列」や「甲冑競馬」「神旗争奪戦」「野馬懸(のまかけ)」の行事はそれはもう、お見事!の一言です。






【画像は全て相馬野馬追画像検索より】

まさに、この神社には気高い男の武神が鎮座されているようにも思いました。これは平安時代の武将、平将門大明神に深い縁がある神社だからだとも思いました。


奥州相馬氏は、相馬野馬追の祭祀を江戸時代が終わるまで、地域の結束を高める大切な行事として行い、明治以降は、相馬三社(中村神社・小高神社・太田神社)の祭礼として、地域の人々によって一度も絶やすことなく続けてきました。


相馬神社御神木

神社を出てすぐの歩道

福島県の相馬市は東日本大震災では甚大な被害をうけました。また、一昨年も水害など何度も甚大な被害をうけました。


長い歴史のある祭祀でしたが、震災の際は一時中止を余儀なくされました。しかし、皆の復興させるんだ!という強い思いと結束で復活をすぐに果たしました。昨年はコロナのため無観客でも行ったようです。


観客がいれば華やかかもですが、祭祀は神様への思いが真っ直ぐある方で行えば神様へは届いているはずです!


コロナ禍の中での東京オリンピックの開催には色んな意見があると思い、何が正しいのかは人それぞれだと思います。


聖火リレーが少し前にスタートしました。この最初の地が、「相馬野馬追」の出陣式が行われる相馬中村神社(相馬市)からでした。困難な中のスタートです。色んな意味で困難に負けない!という意味を含んでいる様に思いました。純粋な気持ちで走る方を私はただ応援したい!


震災跡地の傷跡は相馬市に私が訪れた時にはまだ残っていました。あの場所には以前は住宅があったけど、もうきっと住まないだろう、、という地も。太平洋に面した美しい場所です。


震災に遭っても、人災に遭っても、歯をくいしばり祭祀である相馬野馬追を守り続け、また土地を愛し復興を目指す福島の相馬の人々には、どこか武士道を体現したような潔さと真っ直ぐさを感じます。頑張れ、相馬!!!

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