3社目は、冨士御室浅間神社です。1300年前から富士山中に鎮座する富士山最古の神社です。
御室という名の由来は、かつて石柱をめぐらせた中で祭祀が執り行われていたことにからのようですね。
原初の信仰の形があったのでしょう。
里宮
平安時代には、蝦夷討伐の坂上田村麿、鎌倉時代は源頼朝、戦国時代は武田家、江戸時代は徳川家など、有力な武将の祈願所として、富士山鎮護国の鎮め、開運の護り神として、代々尊び奉られたのが冨士御室浅間神社でした。
16世紀後半に、武田信玄は、娘であり、北条氏(小田原の方)に嫁いだ長女、黄梅院(おうばいん)の安産と無病息災を祈ります。
大願成就したため、その後、街道を整備し、鳥居を寄贈したようです。それが石碑に刻まれます。
戦国時代の甲斐国の武将、武田信玄も、娘の幸せを神に祈る父だったのですね。
「本宮」の方が最古の宮で、元は富士山二合目にあったようです。しかし、1964年、東京オリンピックに伴い富士登山道を大きく変える「富士スバルライン」が開通します。
それにより、人の流れが変わりました。富士講の本道であった吉田口登山道が衰退し、「本宮」への参拝と維持が難しくなり、1974年、この河口湖畔の里宮に「本殿」は移築されたようです。
本宮は平安時代の富士山の噴火や厳しい自然の環境により、何度となく焼失、倒壊、破損をくりかえしながら、そのつど再建されてきたようです。現在の建物は1612年徳川時代のものを4回改修しているようです。
ふと感じたことがあります。
自然破壊からの再建は、人が崇敬したいという強いエネルギーによりなされます。
しかし、人が来ない、人の流れが途絶えることによる衰退は、
そもそも神と交わる人のエネルギー不足状態であり、なんだか事態は自然による破壊より回復が更に困難で深刻なのかもしれませんね。
神は人と交わってこそ威を増します。
それは、内なる神も。
一つとなる。
成ろうとせず無為自然に、湧き上がるエネルギーにて。
平、静、黙、すれば自ずから。。。明る(さとる)。
坐して、こころの騒ぎをしずめます。気づきをありがとうございます。
西の鳥居より外へ。
北口冨士浅間神社にて