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大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

丹生都比賣神社 in 和歌山県

2023-11-11 07:18:00 | 神社仏閣
高野山に行く途中に、和歌山県かつらぎ町にあります丹生都比賣神社に行くことにしました。

カツラギの地名は、奈良にもありました。神功皇后の母の出身の葛城一族は、この辺りで力があったのかなぁ、と空想します。


丹生都比賣神社には、私は2回目、妹は3回目ですが、姉も、今回ご一緒したご夫妻も行った事がなくて是非世界遺産だし見ておきたいというので参拝することにしました。


妹がいうには、高野山の前に丹生都比賣神社に参拝するのが正式参拝のようで、妹は前回高野山→ 丹生都比賣神社の順だったとか。ということで、全員が初めての正式参拝です。


丹生都比賣の神様は、空海さんと縁が非常に深く、空海さんの高野山の開山を後押しした神様です。丹がご神名にあるだけに、「朱」塗りの鳥居は⛩️、御神名とピッタリで、非常に山奥の緑に映えていました。




丹、水銀鉱脈、朱、銀龍、これらは、丹生都比賣様のイメージと重なります。


以前参拝した時は、3月だったかな。

今回は11月でしたが汗ばむ陽気でした。鳥居からみる太陽が一際大きく輝き、眩いくらいです。光が朱塗りの太鼓橋にも照り、美しいなと思いました。









ゆっくりと参拝を終えると、隣にある神仏習合の名残の地にいきました。



こちらの厨子には、役小角がお祀りされているようです。役小角は霊的に空海に影響を与えた御方だと思っています😌








神社はひとり、若しくは2人位で静かに参拝が多いのですが、人数が増えると、様々なハプニングあり、面白いことを言ったりで、笑いが絶えませんでした。





神話に出てくる比賣神様の中でも、丹生都比賣様は大好きな神様の一柱です。人知れず大地を凝り固め地中の鉱物を生成する神様だと勝手に思っています。


こんな美しい日本に生まれて幸せだなと感じます。




難波八阪神社

2023-11-09 06:23:00 | 神社仏閣
妹が高野山に行くので一緒に行かないかと誘ってくれました。姉も今回は一緒で、妹夫婦、妹の仲良しのご夫妻も一緒です。

私は難波にて合流することにしました。夜行バスにて早朝着きました。ぐっすり快眠できました。難波の地名縁起については、年末にワニ族について空想を膨らませ(過ぎ、、^_^)たことから、なんだか親しみが持てる地です。


朝、姉妹が乗った高知からの車に拾ってもらうまで時間があったので、難波八阪神社に行ってきました。6時位でしたから、人も少なかったです。


そして、八阪神社に到着!ガオーと大きな口をあけていましたね 。大阪らしくて、面白い珍しい感じです。


ぷくぷくの鼻に鳩が停まっていました。可愛らしい。。。手を合わせてきました。



まだまだお迎えまで時間があったので、次は、近くにあったえべっさん、今宮戎神社に歩いてむかいました。妹と以前参拝した神社です。


こちらは地名も戎(エビス)でした。

お商売をされている感じのお店が周りにはありました。商売繁盛良きかな。。。


妹の旦那さんから今明石海峡を渡っているとラインが入り、朝焼けの綺麗な写真を送ってきました。






まだまだかかるなぁ、どうしようかなと坐をする場所を探しましたが今宮戎神社では見つからず、ふと裏から出ると、廣田神社がありました。


廣田神社にも、参拝しようと思って参拝してきました。御神使いのアカエという魚ついての逸話が書かれていました。初めてみる御神使。興味深々。




アカエは、美味しくて、漢方薬としても珍重されており、また、アカエの尾には鋸状のものがあり、これに刺されると物凄い痛みを覚えるので漁師はアカエを捕らえると同時に尾の付け根から切り落とすみたいです。


この美味しいアカエを食べないこと(断食)と、アカエの「尾を断ち切る」をかけて、トゲに刺された痛みのような激痛を伴う疾患を癒すという信仰が生まれたみたいです。

尾を断ち切る、、特に「痔」に効くらしいです。


この地域は漁師町で、舟底の冷えなどで漁師に多かったといわれる「痔」に霊験あらたかとされたようです。またして、大阪独特の面白い発想ですね。


痔に効くのかぁ、、と、手を合わせてきました。痔は痛そうですからね😙


アカエについて説明した看板の前に丁度、坐するのによい所があり、朝の坐をしてきました。坐が終わったころは、身体が冷えてしまいました。


舟底の冷えで漁師さんは痔になったようですが、私もかなり冷えてしまいました。😅

痔になりませんように。。。


近くの公園で日向ぼっこしながらお迎えを待つことにしました。




日光二荒山神社 参拝記

2023-09-23 09:40:00 | 神社仏閣

夫が随分前に買ってきた出雲口伝の本を気に入って何度も読んでいたら、こんなのも出ていたよ、と同じ大元出版の出雲口伝の本、仁徳天皇とワカタケルをまた買ってきてくれました。


読み始めると最初の方に、先日参拝しました赤城神社の話がありました。そこには、豊玉姫の息子である、豊入城彦が東国平定のために遣わされた事が書かれていました。上毛野君(群馬県)や下毛野君の始祖とされる御方です。記紀神話だけしか読まないと、龍宮の姫、神武天皇の祖母の豊玉姫にそのようなお子様は居られないとなりますが、、。

垂仁天皇の兄である、豊城入彦には逸話があります。


崇神天皇48年に天皇は豊城命(豊城入彦命)と活目尊(後の垂仁天皇)に勅して、共に慈愛のある子でありどちらを後継者とするか決めがたいため、それぞれの見る夢で判断すると伝えます。

豊城命は「御諸山(みもろやま:三輪山)に登り、東に向かって槍(ほこ)や刀を振り回す夢を見た」と答え、

活目尊は「御諸山に登り、四方に縄を張って雀を追い払う夢を見た」と答えました。


その結果、弟の活目尊は領土の確保と農耕の振興を考えているとして位を継がせることとし、豊城命は東に向かい武器を振るったので東国を治めさせるために派遣されたといわれています。


豊城入彦、世襲争いに負けた感じです。そして、東国平定という点ではヤマトタケルの逸話にも似ているなと感じました。

また、豊城入彦は群馬の赤城神社に祀られているだけでなく、栃木県の日光の二荒山神社にも祀られているようでした。日光の社には長女がお腹の中にいる時に参拝して以来行ってなかったので、長女を連れて参拝してきました。


男体山を御神体とする二荒山神社につくと、法螺貝の音がします。鳥居あたりで偶然に修験道の一向に出会しました。あのメンバーに中に入りたいと一瞬思いました。女性がお一人いました。



写真をとる私の指にトンボがとまりました。暑い日でしたが秋🍂が、近くにきているなと感じました。




その出雲口伝の著書で興味深かったのは、豊城入彦は、豊玉姫の息子であるという点、豊城入姫も同母の兄妹であり、兄は東国平定、妹は殺されてしまう運命が書かれていました。


当時の皇位継承争いとは、残酷なものだなぁと思いました。また、豊玉姫については女王卑弥呼だとも出雲口伝には記載がありました。


宇佐神宮には比咩神様がお祀りされていて、神功皇后もお祀りされていましたから、比咩神様は、豊玉姫か玉依姫かなと思っていましたら、その出雲口伝の本には豊玉姫であると書かれていました。


色んな口伝がありますし、何がホントかわからないですが、正解はわからないナゾナゾを解く感じが楽しいですね。今の時代、色々な口伝が公になっていて、一般人も読める時代、いいですね。


宇佐神宮は兎に関係あるだけに月神をお祀りしているとありました。

神輿発祥の地であることや、また、八幡はヤハウェの響きと似ていることから、ユダヤに関係あるのかな、とか、因幡の白兎で兎とワニの逸話がありますが、海人族であり最初に大陸から渡来したワニ氏をたよりに、同じく大陸からウサ氏が渡来した話を暗喩しているのかな、とか空想は膨らみます。宇佐やワニ氏は以前かなり気になってました。


二荒山神社鳥居すぐに因幡の白兎の看板と可愛い兎がいました。





日本は単一民族のように以前は思っていましたが、争いがない縄文時代は、手を取り合い長い間、自然を畏れ敬い感謝する祭祀が中心だったのでしょう。しかし、弥生時代以降、渡来人がきて、水田稲作がもたらされ、因幡の白兎で兎が助けて貰えたお返しに出雲の大国主命に稲穂と、姫を与えた、その昔話はひとつの大きな転換点として、持てる者と持たざる者、貧困差別が生まれてしまったのでしょう。


様々な人が渡来し混血を繰り返していく過程でもなお、教祖経典のない神道は自然の多い日本を支え日本人に根っこには浸透している気がします。縄文魂です。

そして、後の世にもたらされる仏教、キリスト教、さまざまな宗教にさえ、寛大な、他国には例をみない国民性が日本に根付く、根っこには、他者と交わり溶かすことで命を繋げ、他者を排除しない寛容さ、自然に還る道、神の道がヤマト魂だからのようでもあります。


宇佐神宮の奧宮、大分県安心院にありました大元神社には禁足があり、比咩神様が祀られているようです。


安心院に行った際、妻垣神社には玉依姫が祀られていましたが、近くに、山なのに海神社があって、御祭神が豊玉姫でした。山と海。ヤマト魂はヤマト海に生みだされます。

松本清長さんは、安心院と安曇族の関係を指摘しています。安曇については、信濃のタケミナカタ神に関係があるのではと私は思っています。


不思議と今の時代、隠されたもの、故人の悪行さえも明るみになり、悪きは今を生きる民の沢山の目のふるいにかけられ、また、悲しみは明るみにでて癒され、繋がり和になる感じがしています。


上毛三社 赤城神社

2023-09-15 06:22:00 | 神社仏閣
上毛三社巡り、最後は赤城神社です。

こちらには赤城姫伝説が伝わります。





今から約1600年前の古墳時代、日本は「倭」と呼ばれていました。朝鮮半島からの渡来人により、鉄器や須恵器、機織り、土木技術など様々な技術や文化が伝えられていた時代の話、赤城姫伝説は長く人々に語り継がれます。


高野辺大将家成という公家が、ある時、無実の罪で山里に流されてしまいました。しかし、そこで妻をめとり若君一人、姫君三人に恵まれ幸せに暮らしていました。

月日は経ち、成人した息子は、母方の祖父を頼って、遠く離れた都へ上り仕官し、三人の姫たちは両親と共に暮らしていました。


3人の姫たちは、淵名姫・赤城姫・伊香保姫です。とても美しい姫でした。しかし、3人が十一歳、九歳、七歳の時に、母君が38歳の若さで亡くなってしまい、父家成は、その年の秋に後妻を迎えたことから、悲劇が始まります。


父家成は無実の罪が晴れ、上野国司に任命され、三人の娘たちを残し任地に旅立ちます。3人は、それぞれの乳母の元で成長します。

しかし、継母は、美しく成長した三人の娘を疎ましく思うようになりました。弟の兼光をそそのかして3姉妹の殺害を計画するのです。

兼光は、まず姉姫である淵名姫を、利根川の倍屋ヶ淵に沈めて殺してしまいました。


次女の赤城姫も追われ、乳母と共に赤城山に逃げ込みます。しかし、飲まず食わずの山の中で何日も過ぎました。




「山の護法神、木々の神々よ、私たちの命をお召しください。」

と赤城姫は必死に願います。とうとう乳母が力尽き一人になってしまった姫は

「どうか早く私もお連れ下さい」

と祈りました。

すると、赤城の沼の龍神(女神)が現れ


「この世は命はかなく夢、幻のようであります。竜宮城という素晴らしい所に姫を案内します。」


と龍神と共に赤城姫を連れて沼に沈んでいきました。姫はその後、龍神を継いで、赤城大明神となりました。




末子の伊香保姫は、伊香保太夫の居城に護られなんとか生きながらえることができました。

事件を知った父の家成は、慌てて戻ります。しかし時すでに遅く、淵名姫の亡くなった淵で神となった淵名姫と再会し、悲しみのあまりこの淵に入水してしまいます。

都で出世していた息子は、この知らせを聞き軍勢を率いて戻り、兼光を殺し、継母を捕らえますが、仮にも一時は母であったという理由で、殺さずに、継母の出身地・信濃へ追放しました。


信濃へ戻った継母は、甥を頼りますが、甥に捨てられ死んでしまいます。この、甥が叔母である継母を捨てた山が、姥捨山と言われています。事件を収拾させた息子は、淵名姫の死んだ淵に淵名明神の社を立てます。


その後、大沼の畔で、神となって一羽の鴨の羽に乗った妹が、淵名姫・赤城姫と再会します。(この鴨が大沼に留まり、島となったのが、現在赤城神社のある小鳥ケ島)その後、大沼と小沼の畔に、神社を建て(赤城神社・小沼宮)、神々をお祀りしたそうです。







炎天下の神社巡り、最後の赤城神社では、通り雨のような雨がふりました。


悲しい宿命と引替えには、龍宮の姫神様となって、永遠の命♾️を得て、この地と湖を守っているのかもですね😌。