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大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

脳について ② 精神と気

2024-02-01 08:01:00 | ひとりごと

昨日の続きです。


お医者さんは心は脳だから、心は実際は無いといいます。しかし、無いはずの心が様々な病を引き起こし肉体に様々な症状を及ぼすことは少なくないです。


心(脳)の病の中には、肉体を蝕み、できていた事がどんどん出来なくなるものもあり、それを食い止めるために、医師は薬を処方します。


精神科の薬は誰しも飲みたくはないのでしょうが、医師が薬を処方するのは、脳が誤作動することによる破壊的なダメージにブレーキをかける折衷案のような感じかもしれません。


副作用もそれなりにあり、難しい所なのでしょう。しかし、薬に頼らなければどんどん日常生活が出来なくなる人がいるのも事実です。



脳を科学するのが脳科学。

今の所、心の病は薬に頼るのが医学の常識です。

脳に張り巡らされた精密な神経、この精神を司っている主体は気です。


この気を整え、心を自分で守ることが出来れば、気が引き起こす病の多くは、きえうると私は思っています。だから、薬に助けて貰いながら徐々に気を整える。


病は「気」からという言葉があるくらいですから、気を整えるのは、この唯物論を唱えるお医者さんがいうマインドフルネス、また、私が感じる自らの氣を浄化するイメージに繋がります。


気を整えるといっても、自分でそうしようと思ったりしてもなかなか出来ません。


それなら、食べ物を飲み込んだ後自動的に内臓が消化してくれるように、

自分の気も自動的に浄化してもらえると考えます。


心が鎮まり、気が平静になる方法、自然に委ねる方法は静坐だと思っています。


自分の気は自分で守る。

自分の心は自分で守る。


という信念が私にはあります。


坐をしはじめて暫くたちますが、不思議と、感情の振れ幅が緩やかになり、怒りの感情は最速でなくなりました。色んな事をスーッと受け入れることができるようになりました。期待してなかったんですけど、これは自分の中では進歩です。


最近は娘も寝る前に私の隣で坐をするようになりました。自分しか自分を守れませんから続けて欲しいですね。😌




脳について ① 脳と心

2024-01-31 06:47:00 | ひとりごと

私はたまに精神科医のyou tubeをみます。

脳の疾患に関して科学的にわかりやすく説明してくれます。その先生は、脳🧠を大きく4つにわけて説明してくれます。


精神科で考えるべき脳の部位は


不安を感じる扁桃体

理性でものを考える前頭葉前野

記憶に関係する海馬

報酬系や快楽を求める依存に関する側坐核


のようで、扁桃体が真ん中にあってそれぞれ3部位と繋がり、複合的に影響を与え病気を生み出しているような感じだと説明していました。


心(脳)の病を様々な角度から教えてくれて、この部位がこうなっているから、統計的にみてこの部位が異常な場合はそこの部位に効く薬をと。


そして、唯物論が絶対であり、心は脳であり、🧠脳は物質だから、心なんて実際はないんだよと解説します。


なるほどなぁ。脳を究極的に現代医学で科学するとそうなるのかなぁと思いました。心はあるようで無いですよね。無いですが、未だに心の病って言葉はありますから、不思議です。


そんな心の病について、実際知っているもの、知らないもの、沢山あり、脳神経科では、沢山ある症状をカテゴライズして病名をつけます。


しかし、aとbとcというべつの名前の病名が実は重なり、その幾つかをひとりの患者が同時に合わせ持っているケースは臨床をしていると沢山あると医師は仰っていました。そして、障害が気づかれず生きにくさから病になるケースもあると。


人の病、特に脳の病をカテゴライズすること自体が難しいのかな。


不登校、ひきこもり、ゴミ屋敷の問題、◯◯依存、妄想による◯◯事件

などなど、これらには多かれ少なかれ何らかの心の病が隠れている可能性があるとみていると医師は指摘します。また、病気の性質上、サポートを得られないまま放置されたりすることで様々な問題がおこる可能性も指摘しています。


私がその医師の先生の動画をみるのは理由がありますが、単純にいうとその医師が優しいからです。


カウンセリングなんかは、1時間だと万に近いお金がかかるから、患者さんが無料で知識を得られるように、また、自分を責めがちな患者の家族の心をサポートするためにも、動画を始めたと医師はいいます。そこが、優しい。


脳について医師が教えてくれるのは有り難いです。


そのお医者さん、唯物論を唱え、心=脳=物質で、心なんてそもそも無いんだと断言しながらも、youtubeを始めた動機は、心があるなぁ、優しいなぁと私は感じます。☺️


そのお医者さん、マインドフルネスを説いたり瞑想を勧めたりもしています。



つづく



上杉謙信 毘沙門天と懸かり龍

2024-01-29 05:20:00 | 神仏について

「越後の虎」こと上杉謙信公は越後守護代、長尾家の四男として生まれます。


謙信は、様々な逸話から女性だったのではないかという説もあるようですが、真偽はわかりません。残された話の中には、全く武将になるつもりはなく、仏道に生きたいと切願して幾度も家を飛び出して出家したとありました。しかし、その都度、上杉家と越後の民をお守りして欲しいと懇願し連れ戻されたようです。

武将の家に生まれ、仏道に生きることが許されない運命、殺生を避けられない運命を呪い苦しみ抜いた揚句、謙信公が出した結論は

「大義正義ある戦しかしない」

でした。


謙信の旗印は、2つありました。

ひとつは、黒地に白抜きの「毘」、仏教の戦いの神、毘沙門天にあやかったものといいます。



もうひとつが「龍」の文字をあしらった旗印で流れるような字で書かれ、「懸かり乱れ龍」と言われており、突撃する際に用いたようです。




毘の漢字は田と比で成り立っていますが、田はもとは囟(しん)=ひよめき、の字体が変化したもので、人のへその意です。

ひよめきとは、頭蓋骨の泉門です。




頭蓋骨がまだ接合していない赤ちゃんは脈動に合わせて頭のてっぺんがひくひく動きますが、その部分が囟=ひよめきです。頭蓋骨の形は囟 の漢字みたいですね。その部分の穴は1年くらいで閉じるみたいですが、チャクラでいうと第7チャクラ、天と繋がり直感が開花する部分に近いです。なので、閉じてしまったけど皆にある隠れたへそなのかもですね。



毘沙門天だけではなく、毘盧舎那仏(ルシャナブツ)にも毘の字はあり、光明遍照,仏陀の智慧の広大無辺なことを象徴し、毘の文字はサンスクリット語でお経などにもでてきます。



毘の旗を掲げた謙信の戦い方は、無敵であり天啓に導かれた様相だったようです。

天下を狙い領土を拡大する、そんな戦国軍師の中、謙信は独り何日も、時には何十日も毘沙門堂にこもって一心不乱に毘沙門天に祈りを捧げます。


「この戦いに大義あるのか。

    正義あるのか。

    毘沙門天よ、越後の民を守り救いたまえ」


そして、祈り極まりいざ出陣の際は、神懸かったような状態で、まさに毘沙門天の様相だったのかもしれません。

野心入り乱れる戦国の世に、無敵の上杉軍団「毘」の旗が駆け巡ります。


六十数度も戦い無敗で勝ち続けながらも、領土を拡大するなどという一切の私欲や野望などなく、ただ民を守るという正義大義のためのみに戦った仏道に生きる武将が上杉謙信でした。


無欲とは無敵だと思いました。


毘沙門天は不動明王のような人の過ちを憤怒の形相で正す神仏。不動明王を動物で表すと「龍」なのだそうで、謙信が使用した旗に懸かり龍を崩した「龍」の字が書かれていることとつながってきます。


直観が鋭く戦いの世にありながら神仏に繋がって龍のように戦った謙信の信念を「毘」と「龍」の旗に感じます。


謙信は、49歳でなくなります。謙信が生きた辞世は、「四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒」と伝えられています。

49年の人生は,一晩の夢のように一瞬で,到達した栄華さえも,一杯の酒のようなもので儚いものにすぎない。。


殺生をしたくない、欲もないひとりの聖職者、謙信公が、戦国時代という戦いを避けられない時代に生まれたことは宿命だったのかなと思います。しかし、そんな時代にあっても苦しみながら、正義とは?大義とは?と自問自答し続けた姿には、泥に咲く蓮🪷のような感じもました。




【写真はお借りしました】




ライプニッツと2進数

2024-01-25 06:44:00 | ひとりごと

肌の弱い私は化粧水を選ぶ基準が、肌が痒くならないかどうかなんですが、今のところエリクシールを使っています。



このElixirをみて、私は化粧水しか思い浮かばなかったのですが、とある読み物を読んでいてElixirという言葉に出会い、その訳が万能薬だったのが興味深く調べてみることにしました。


Elixir は錬金術師たちが、他の金属を金に変えることができると信じた賢者の石のこと、またはあらゆる病を治すといわれる万能薬、仙薬とありました。


そしてまた、このElixir (エリクサー)は、コンピュータのプログラミング言語のこともいうみたいです。


人がコンピュータに命令を与える手段を記述するための言語がプログラミング言語、エリクサーであり、2進数以外では表す事が出来ない言語です。





AIが見張るべき進化を遂げていますが、0か1の組み合わせによって、全てのプログラミングがなされます。


これに関連して、17世紀に生まれた微積分学の創始者のひとりであり、2進数を探究した人がドイツ人でライプニッツという方のようです。


彼は、「必然的真理とは全ての可能世界において真となるような真理のことである」という理論を唱えます。


目の前にあらわれた1つの現実は、無限にある♾️可能性の中で最善であるという理論に後に展開されます。ということは、0は無ではなくて、無限にある可能性、芽を出していない可能性ということかなと思います。


そして、彼は数上のことからではなく、神秘主義的なことから「2進数は10進数と違って宇宙の完全性を表し、10進数よりもはるかに多くの意味を含んでいる」とも言っています。


ライプニッツの晩年の著作に『中国自然神学論』がありますが、西洋と東洋、異文化・異宗教との緊張と調和を課題とし、中国人の神観念などにも注目しています。


ライプニッツは、0と1の2進数を「先天八卦」に当てはめた方でもあります。

それがこちら。↓




中国の太古から伝わる先天八卦の易と現代の2進数で成り立つAIのプログラミングが、中世のドイツ人ライプニッツによって橋渡しされていたのは不思議だなぁと思いました。


AIは、今では様々な情報から独自で学習し、驚異的な発達を遂げてその人工知能を脅威だという方もいます。


0と1の組み合わせの中で様々な数がうみだされる様相は、人と人が陰陽の関わりの中で因果の数を生み出しているのと重なります。易はこの組み合わせです。


人が生きる世は因果が絡まりあって複雑で、AIの仮想世界の複雑さとも違うようではありながら、実は「数」によって支配された世界が映し出された幻影かもしれないと思う時もあります。


全てに効く不老不死の万能薬なんて物質や外には存在せず、いくらElixir の化粧水で肌を一時的に潤したところで、時間の早い遅いはあるものの老いるものは老いるし肉体は朽ちていきます。


しかし、内にある精神的な道は無限で尽きることなく、心が神の道に向かうことは常若でいられるのかなぁとも感じています。





オッパッピー

2024-01-24 05:42:00 | ひとりごと

妹が電話で、小島よしおさんの素敵さを力説していました。情熱大陸で紹介されていたようで、小島さんの人柄に魅了されたようでした。

私も妹の話を聞いてファンになりました。

オッパッピーはall people happy 

全ての人をハッピーにして笑顔にする

魔法の言葉というのです。


そんなの関係ねぇ

そんなの関係ねぇ

はい、オッパッピー。


そんなの関係ない、は英語では

It doesn’t matter. です。


相手がちょっとした何かをしてしまって謝られたときなんかに「大丈夫だよ」「気にしないで」というときにも使います。問題ないよ、構わないからね、という感じで、ネガティブなニュアンスは全くなく、むしろ、ケセラセラ、ナンクルナイサって感じです。☺️

明日は明日の風が吹くからね。

深刻に難しく考えないでね。

痛みも消えてなくなるからね。

大丈夫だからね。と、

筋骨隆々の大人のおにいさんが

カラフルなパンツはいて

真面目に踊ってたら笑えるでしょ

はい!笑顔。


なんていうのが、

小島よしおさんのギャグの根底に

ある気がします☺️




良寛さんや、布袋さんが、みなりなんか構わずに、おへそ出して子供達と無邪気に走り回って遊びあったように小島さんは今色んな場所で子供達と思いっきり遊んでいるみたいです。


昔は下向きに、そんなの関係ねぇってやっていたけれど、今は子供達を真っ直ぐみてやっているみたいです。ひたむきさは変わらない。


目の前の人がハッピーになるように

大人も子供も区別なく

笑えるように

誰も害せず、争わず、

自分は可笑しな格好をして

阿呆に徹する


そんな人って宝だよね、、

妹と話しました。☺️


【画像はお借りしました】