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母よ

2020-04-27 | 日記

昨晩、母が亡くなりました。

享年85

4月27日が誕生日ですので、あと数時間で86歳というところでした。

1年半ほどお世話になっていた福祉施設…いわゆる老健にて亡くなりました。

新型コロナの影響でしばらく面会禁止となっており、なかなか最近は会うことも叶わなかったのですが、施設が特別な計らいをして下さり亡くなる3日前と当日昼の2回会うことができました。

会うと言いましても既に会話はできず、目も閉じたままでした。

しかしながら呼びかけに軽くうなずいてくれたり首を振ったりすることはできていました。

「誰だかわかる?」と聞いたら声は出せなかったものの口の動きでワタシの名前を呼んでくれたと読み取れました。

面会禁止となる前は普通に会話もできていましたし、ご飯も少なめながら食べていたとのことでしたので電話をいただいた際はちょっと信じられないという気持ち…でした。

コロナの影響で面会ができなかったことが少なからず影響したのかな~と思うと悔しくて仕方ありません。

今となっては的外れな答えが返ってきたとしても会話が普通にできていたことがどんなに幸せなことだったか…と思っております。

また施設に入る前は一人暮らしをしており、たまに電話が掛かってきてはテレビが映らないとかエアコンが効かないとか…実際はテレビリモコンのBSボタンを押しちゃっていたり、電池が切れていたり…当時はちょっと面倒くさいななんて思っちゃったりもしましたが、それも今では幸せなことだったんだな~なんてつくづく思います。

一人暮らしの時も施設に入ってからもカミさんが母の面倒をよく見てくれ、洗濯物の回収や補充に差し入れを持って行ってくれたり、その他身の回りの世話をしてくれました。

ワタシはたまに母を外に連れ出して二人の孫も交えて外食をしたりしましたが、他に何もしてやれなかったなー…。

会った際は「ちゃんとご飯食べないとダメだよ」とか「たまには散歩でもしないと足が悪くなっちゃうよ」とか何も気の利いたことを言ってあげることができませんでした。

本当はお袋がどんな人生を送ってきたのか、ワタシが小さいときはどんな子だったのかなど山ほどしたい話があったのにできず…なんだか照れ臭くてそのうちの一握りもできなかったように思い、かなり後悔しています。

父や同居していた祖母が亡くなった際にも同じことを思い、学習していたはずなのに…。

用事もなくただ会いにいくことがやはり照れ臭かったのですが、別に用事なんてなくてももっと足を運べばよかった…と。

ですが母は社交的で多くの友人がいましたし、中学時代の同級生たちに頻繁に会ったりエッセイの集まりに参加したりとあまり寂しい思いはなかったのかな…とは思います。

反面寂しがり屋だからこそ…だったのかなとも思いますが…。

会社が家族経営で長年一緒に仕事をしておりましたので、母にはキツく当たってしまうことも多々ありました。

大人になってからいつの頃からかはわかりませんが、母に対し育ててくれた感謝の気持ちを持ちつつもなぜか素直になれませんでした。

亡くなる3日前と当日にも感謝の気持ちは伝えましたが、お袋がそんな状態になってからしか伝えられなかったと思うと自分が情けなくて仕方ありません。

もっとお袋に楽な生活をさせられたんじゃないかとかもっと色々な面でサポートしてあげられたんじゃないかとか今はただただ気持ちの整理がつかず後悔ばかりが先に立ってしまいます。

前述のように人が大好きだった母を大勢の人に見送っていただきたい…と思いますが、残念ながらコロナの影響で人を集めることが叶いません。

ですがごく少人数の家族葬ながらも、お袋が何も心配ない状態で送り出してあげなければ…と思っております。

ありがとう、母よ

やすらかに…


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