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札幌・円山生活日記

《1920's-1930's 三岸好太郎が生きた時代》~「北海道立三岸好太郎美術館」~

札幌出身で日本近代洋画史を彗星のごとく駆けぬけわずか31才で夭逝した画家「三岸好太郎(みぎしこうたろう)」。その作品を収蔵し画業を紹介する「北海道立三岸好太郎美術館」は「北海道知事公館庭園」北側の木立が茂る中にアトリエのように佇んでいます。現在、激動の時代に変貌を重ねた三岸の軌跡を紹介する《1920's-1930's 三岸好太郎が生きた時代》が開催されています。

本日は「北海道立三岸好太郎美術館」で《1920's-1930's 三岸好太郎が生きた時代》の鑑賞です。地下鉄東西線「西18丁目」駅で下車し昼食をはさんで徒歩でやってきました。
「北海道立三岸好太郎美術館」の外観。

“1923年の画壇デビューから、わずか10年あまりの間に日本の近代洋画史を彗星のごとく駆け抜けた三岸好太郎。三岸は何を見て、何に心躍らせていたのか。激動の1920~1930年代に変貌を重ねた三岸の軌跡と、同時代の国内外の画家たちの秀作を紹介します。”
 
展示室へのエントランス付近。
「31歳の若さで急逝した夭折の画家・三岸好太郎氏」。

三岸氏の生きた時代を象徴する言葉の数々。

〈大志を抱いてーそして模索の時代〉~三岸の上京から1920年代前半頃~


三岸好太郎《檸檬持てる少女》1923(大正12)。大正中後期の若い画家たちに大きな感化をもたらしていた岸田劉生の《麗子像》を思わせると同時に当時の美術界で流行していた「ルソー風」を取り入れたとされる作品。
三岸好太郎《兄及ビ彼ノ長女》1924(大正13)。同じく「ルソー風」の流行を取り入れた作品。春陽会展の首席受賞作で岸田劉生が賞賛したとか。ちなみに「兄」は異父兄でのちの作家・子母澤寛。
三岸好太郎《赤い肩掛けの婦人像》1924(大正13)。三岸の人物像で最も「岸田劉生ばり」といえる緻密な筆使いの作品。モデルはこの年の秋に所帯を持つことになる吉田節子(のちの画家・三岸節子)。

三岸好太郎《中国の少女》1926(大正15)。中国・蘇州を訪問した際の作品。

同時代の作品。俣野第四郎《静物(1)》1923(大正12)。同じく岸田劉生に魅了された夭折の画家の代表的な静物画。


〈「モダーン」な時代〉~1920年から1930年代~

三岸好太郎《黄服少女》1930(昭和5)。女性作曲家の先駆者である吉田隆子がモデル。ピアノを弾くモダンガール。
三岸好太郎《陽子像》1927(昭和2)頃。モダンなデザインの洋装の長女をモデルにした作品。

同時代の作品。片岡球子《鳩と少女》1934(昭和9)。戦後に現代日本画を代表する画家として活躍する片岡が当時勤めていた小学校の教え子を描いた作品。

〈先端・猟奇・グロテスク〉~1930年前後~

三岸好太郎《マリオネット》1930(昭和5)。不気味な笑いを浮かべる人形の顔は“グロテスクな、ファンタスティックな”(三岸)感じだそうです。
三岸好太郎《道化役者》1932(昭和7)。お馴染みの作品。現存する三岸作品で最大のものだそうです。
三岸好太郎《悪魔》1932(昭和7)。翌年に裏返してひっかき技法による《オーケストラ》を制作し同作品が有名になったため本作《悪魔》が鑑賞できるのは珍しい機会だそうです。

〈流入する西洋の同時代〉~1920年から1930年代~
国吉康雄《横たわる裸婦》1929(昭和4)。
ジョルジュ・ルオー《聖なる顔》1939年。

三岸好太郎《裸婦B》1932(昭和7)。太く黒い輪郭線がルオーを思わせ表現。

三岸好太郎《乳首》1932(昭和7)。絵具を掻き削る「ひっかき」の技法が用いられた作品。

〈新しき時代へ〉~1932年末以降~
三岸好太郎《花》1933(昭和8)頃。「ひっかき」線で花瓶に生けられた花々を表しているそうです。
三岸好太郎《のんびり貝》1934(昭和9)。

三岸好太郎《飛ぶ蝶》1934(昭和9)。額は三岸自らのデザインで当時計画中の斬新な設計のアトリエに調和するよう金属パイプが使われているそうです。なぜ金属パイプの額なのかと以前思ったのですが理由はそこにあったようです。
《三岸好太郎デスマスク》1934(昭和9)年7月2日。6月28日に持病の胃潰瘍で吐血した三岸は2日後に高熱を発し7月1日の深夜に死去。治療にあたった友人で医師の青井東平氏は8月ということもあり東京から来る節子夫人のために石膏で型取りしてデスマスクを作成したそうです。痛ましいことです。

同時代の作品。山内弥一郎《運河》1927(昭和2)。札幌生まれ小樽育ちの画家なので小樽運河かと思ったのですが東京・お茶の水の水の風景をもとにしたと考えられているそうです。綺麗な日本画です。

【同時開催 アトリエへようこそ】
“三岸が晩年に夢を膨らませた新アトリエの建築。自らデザインも描き、大きな窓、光を反射する池、画室を見下ろす螺旋階段など、設計への様々な希望をバウハウスに学んだ建築家・山脇巌に託し建設が始まりますが、しかし中途で彼は急逝し、妻・節子が苦労の末に完成まで導きました。現存するアトリエ(東京・鷺宮)は、昭和初期の〈木造モダニズム〉建築の貴重な文化遺産。その現在と建設当時の写真や資料とを比較しながら、こだわりの外観・内観を紹介します。 ”

CGで再現した竣工当時のアトリエ外観。
《現在の三岸アトリエ》撮影:高野ユリカ氏の展示室。
現在でも斬新さが光るデザインのアトリエ。高野ユリカ氏の写真。

アトリエの中庭。高野ユリカ氏の写真。
今も雑誌に紹介されているようです。そんな立派なアトリエに感服しました。以上で鑑賞終了です。

「三岸好太郎美術館」入り口付近から「知事公館」の庭につながっています。

「知事公館」の中庭。安田侃氏・作品と知事公館。このあと「北海道立近代美術館」で開催されている【ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展】の最終日の様子を覗いたところ入場まで待ち時間75分でした。最後まで人気でした。

以前鑑賞した印象で三岸画伯は短い人生を予見し持てる才能を全て出し切ろうと画風と劇的に変化させていったのだと思っていました。ただ自らデザインしたアトリエを建設中であったことや新たな画風の変化を予告していたことなどから短かすぎる生涯は本人も考えもしなかったことなのかもしれません。それでも芸術の神様が才能の埋没を惧れ新たな美の誕生を急がせたのではとの想いも捨てきれません。そんな夭折の「天才」の人生を改めて考えせる良い展示会でした。ありがとうございました。

「1920's-1930's 三岸好太郎が生きた時代」
(同時開催「アトリエへようこそ」)
会期:2022年7月16日(土)~9月25日(日)
開館時間:午前9時30分~午後5時(入場は午後4時30分まで)
休館日:月曜日、7/19(火)、9/20(火) *7/18、9/19の月曜は開館
一般610(500)円、高大生360(250)円、小中生250(200)円 
*( )は10名以上の団体・リピーター・優待料金。
*観覧料の詳細は下記をご覧ください。
主催 北海道立三岸好太郎美術館

「北海道立三岸好太郎美術館」
札幌市中央区北2条西15丁目
電話番号 011-644-8901
開館時間 9:30-17:00(展示室への入場は16:30まで)
休館日 月曜日(月曜日が祝日または振替休日のときは開館、翌火曜日は休館)、年末年始(12.29-1.3)、展示替期間等。
料金 特別展をのぞく展覧会の観覧料
一般510(420)円、高大生250(170)円、中学生以下・65歳以上・障害者手帳をお持ちの方等は無料
https://artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp/mkb/
(2022.8.21訪問)

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