議員一直線!

宗像市議会議員の福田あきひこです。このブログを通して日々の議員活動を市民の皆様にご報告させていただきます。

議員研修に参加

2013年01月31日 | Weblog
 大宰府の九州国立博物館で年に一回の中部十市の議員勉強会がありました。勉強会の内容は、当館長の三輪嘉六氏の講演会でした。
 昔の博物館は「来たい人が来ればいい。見たい人がくればいい。」というスタンスで運営していたそうですが、この大宰府の九州国立博物館の運営方針はそうではなく、「いかに地域に根付いた博物館にするか、この博物館がいかにこの九州の地で共存共栄できるか」という点に腐心されて運営されているそうです。 その成果ですが、来場者数は既に平成17年10月の開館から1、000万人を突破しているそうです。全国に4か所ある国立博物館(他は東京、奈良、京都)の中でも断トツの来場者数とのこと、これだけでもいかに九州国立博物館の運営が素晴らしいかがうかがわれます。宗像市の海の博物館もこの運営方法を参考にしたいと思いました。

日の里コミセンで地域の方の集まりがありました

2013年01月31日 | Weblog
 日の里コミセンで日の里地域のお年寄りの集まりがありました。みんな一人ではないということで集まられました。 そして今、困っていること、心配なことをみんなで発表しあいました。私も夫婦で参加しました。
 地域の方の生の声を聞くことができ、とても勉強になり、楽しい2時間でした。 月に1回開催ということで次回も大変楽しみにしています。

父永眠

2013年01月31日 | Weblog
 私の父が1月26日(土)午後2時26分に長崎の病院で静かに息を引き取りました。
 昭和4年6月27日生まれの満83歳7ヶ月で天寿を全うしました。ここ10年間はパーキンソン病との戦いでしたが、元看護婦だった母の手厚い介護の下でよく頑張ったと思います。
 太平洋戦争末期の昭和19年には若干14歳で海軍予科練習生に志願し本土決戦に備え、天海という人間魚雷の特訓をうけていたところで終戦となり、15歳で復員しました。これが父の強烈な前半生です。
 後半の人生は、九州商船を経て、30数年に及び長崎県警に奉職しました。海軍予科練じこみのスパルタ教育で私たち兄弟は厳しく育てられましたが、愛情もたくさん注いでもらいました。 豪快で明るく人懐っこい性格の父はいつも多くの友人に囲まれ大変幸せな人生だったと思います。 
 生前お世話になりました皆様には本当に感謝申し上げます。

宗像市の成人式に参列

2013年01月13日 | Weblog
 本日、宗像ユリックスにて成人式典が厳かに執り行われました。
 私も式典に来賓として参列させて頂きました。式典では宗像市長の祝辞の最中に新成人の私語が気になりましたが、あとは無事に滞りなく終了しました。新成人の今後の活躍を大いに期待しています。
 
 式典終了後の特別講演ではNPO法人ロシナンテス理事長の川原尚之氏の貴重なお話を聞かせていただきました。氏は医者であり、元外交官であったのですが、アフリカの貧困を見て日本政府が何も支援しないなら自分がやろうと決心し、外務省を辞職し、NPO法人を立ち上げ、ボランティアでアフリカを支援しています。 そして、日本に一時帰国中に一昨年の「3.11」に遭遇し、救急車を調達して震災後すぐに現地に出出向き被災者の為に無料診療をされました。 
 その無償の愛と行動力に私は氏の爪の垢でも煎じて飲ませて頂こうと思いました。ただただ頭が下がりました。氏の今後の活躍を本当に期待しています。
 

剣道の初稽古に参加

2013年01月06日 | Weblog
 5日(土)に宗像市中央体育館で宗像市剣道連盟主催の「新年の初稽古」が行われました。 参加者は小中学生が主体でこの日は合計272名の出席でした。私も小5の息子と一緒に参加して気持ちの良い汗を流しました。今年一年、親子で剣道に打ち込みます。

2013年に向けて

2013年01月01日 | Weblog
            銀世界の朝靄に曇った初日の出(宗像市名残にて撮影)

 明けましておめでとうございます。
 朝起き会の「元朝式』から新年が明けました。 朝起き会の挨拶の中でこんないい話を聞きました。

 「日本の3割の学校にチョークを製造販売している会社があります。そこの従業員の何と7割が障害者の方なのだそうです。 そもそもこの会社も初めは障害者の方を採用するつもりは全くなかったそうです。
 ある日、障害者の学校の先生が3名の新卒の障害者をこの会社に採用してくれと何度もここの常務さんに頼みに行ったそうですが断られてばかりです。 先生は採用は諦めるので1週間の実習だけ受け入れてくれとお願いし、やっと許可が下りました。

 3名の障害者の方々はその1週間、一生懸命に働きました。 お昼休みも惜しんで区切りがつくまで働きました。 もちろん、障害者の方には無理な作業もあったそうですが、その時は製造工程を見直し、障害者の方にもできるように会社の人たちが協力して改善しました。
 
 実習の最後の日、その会社の社員さんみんなで常務の処に押しかけ、何とかこの障害者の3名の方を採用してくれとお願いしました。 勿論、障害者の方ができないところは皆でカバーするからと条件をつけて常務を説得しました。 そして、ついに常務が折れ、来春の4月にこの3名の入社を内定しました。 
 
 それ以降、障害者の方の採用が年々増えて行ったそうです。 そして会社も障害者の方が作業できるように製造工程を見直し、改善を積み重ねて行った結果、製造効率が良くなっていきました。 

 中には、身障者を採用するのは労働賃金を低く抑えるためと陰口を叩かれることもあったそうですが、この会社では障害者の方もそうでない方も給料は同じです。
 
 ある人が障害者の方は福祉から手当てをもらって家でゆっくりできるのに何故、そんなにまでして会社で一生懸命働くのか、とある和尚に聞いたそうです。 するとその和尚は、すぐにその理由を4つあげて答えたそうです。
 ①愛が欲しい
 ②人からほめられたい
 ③人の役に立ちたい
 ④人に認められたい

 この4つは福祉から手当てをもらって家でゆっくりしていても得られない快感だから外に出て働きたいのだそうです。」

 私も今年は多くの人のお役に立ち、認められ、ほめられて、愛を感じたいと思います。
 今年もどうぞ宜しくお願いいたします。