みなさ~ん、こんにちは~。
年末のあわただしい時期、ブログをお読み下さりありがとうございます。
如何お過ごしですか~?
ヘェ?あわただしい時期やから、あわただしくしてるって?
ごもっとも。
あわただしい時期ですけど、チョコッとお茶でも飲みながら旅行記でも読んで休憩して下さい。まぁ、いつものようにウダウダ書いているだけですけど。
それから、コメント書き込んでくださったみなさ~ん。ありがとうございます。時間が出来たらまたお返事書きますね~。今日は戦争の悲しいお話です。ではでは。
2日目~ 風も泣きますバンザイクリフ
バンザイクリフ・・・・・悲しい名前ですね。中上級者のダイビングスポットらしいです。サイパンの詳しい歴史は省略します。ネットで検索したらいっぱい出てくるしね。
私は今回のサイパン旅行を決めたとき、ここだけは絶対に訪れたいと思っていました。
61年前、米軍に追い詰められ北上して行った民間人や軍人達。この断崖絶壁から飛び降りた人たちは、その時何を思ったんやろ?何を考えて飛び降りたんやろ?
その名のとおり「天皇陛下バンザイ」って叫んで飛び降りた人もいたやろし、この海の遥か遠くの故郷、日本に住んでいる肉親のことを思い飛び降りた人もいたやろね。
どんな気持ちで波間に消えた
時代は遠くはなれても
なんでむなしく忘らりよか
風も泣きますバンザイクリフ(慰霊碑の原文)
絶壁の上には数々の慰霊碑が立っています。私は時間の許す限り一つずつ見て回り写真に収めました。
妻:「あきあこ、こんな所で写真撮らへんほうが、ええのんと違うのん?」
あきあこ:「なんでや」
妻:「人がいっぱい死なはったんやろ~、なんか写ってたら嫌やん」
あきあこ:「あのな~・・・・・(まぁ、ええか)」
妻はあまり歴史を知りません。って言うか、平和の団体に所属していても興味ないみたいです。昔日本がサイパンを統治していた事も、戦争で玉砕したことも。バンザイクリフの事も今回の旅行で知ったんやて。
死者に対して失礼やろ~って意味やなくて、霊的なものが気持ち悪いようです。
昔、この辺りは草木が覆い茂る場所やったそうですが、今は展望台が作られ観光スポットになっています。大勢の観光客が訪れています。慰霊碑をバックに・・・・・慰霊碑に足を乗せ・・・・・慰霊碑に登ってタバコを咥え記念撮影をしている人達もいます。話し声を聞くと・・・・・チャイニーズ。今の時期、訪れる観光客は日本人よりコリアン、チャイニーズのほうが多いみたいやな。
何ヶ月か前にニュースにもなったんやけど、慰霊碑にガムがべったりと貼り付けられてたり、悪口が書かれていた事があったらしいです。マナーの悪いのは一部の人達だけやろし、お互い思うこともあるやろけど・・・・・気分悪いです。
出発時間が押し迫ってきました。
(また、サイパンに来ることがあったら必ず来るで~。忘れへんからね~)
私はそんな事を考え、後ろ髪を引かれる思いでバスに乗り込みました。
続いて訪れたのは「ラストコマンドポスト」です。
サイパン旧日本軍最後の司令部、ラストコマンドポスト
手前には2基の高射砲が設置されている
写真ではわかりにくいやろけど、中央の大きな岩の中がくり抜いてあって、中に入れるようになっています。階段登っている人見えますよね。銃弾や砲弾の後が無数にありました。1944年7月7日(6日?)、斉藤陸軍中将・南雲海軍中将が自決し、サイパンは陥落、戦闘は終結しました・・・・・って、書きたいところやけど、現実の戦争はそうやないですね。
記録によるとここサイパンで米軍による日本人掃討作戦は、1945年9月に終了しているようです。サイパン陥落から1年以上も後ですね。最後は玉砕戦やったから残兵と共に数多くの民間人が槍を手に、米軍の雨あられのような銃弾の中に向っていったり(バンザイ突撃)、ジャングルに入ってゲリラ戦を展開したり。以前、満州の話でも書いたように、1945年8月15日以降も戦争は続いていたんです。
この辺一帯も当時は草木が覆い茂る場所やったけど、今は綺麗に整備されていて芝生が敷き詰められ、旧日本軍が使用していた高射砲なんかが展示してあります。が、これらの高射砲はジャングルの中から掘り出して観光用に設置したらしいです。
上陸して進軍するアメリカ軍には、この高射砲もあまり役に立たなかったようで、大砲の先が裂けているものもありました。何で裂けてるかって言うと、陸上から迫り来る米軍に対して高射砲を水平に向け、砲弾の爆発するタイミングを早めた結果、砲内で暴発したからやそうです。
ラストコマンドポストから見上げたスーサイドクリフ
断崖絶壁のこの場所もバンザイクリフと同様自決の崖です。海沿いを北上した人達がバンザイクリフから飛び降り、山側を北上した人達はこのスーサイドクリフから飛び降りました。
バンザイクリフから飛び降りた人の中には、米軍に救助された人もいますが、このスーサイドクリフから飛び降りた人は、一人として助かった人はいないそうです。また中央に見える大きな穴の中は洞窟になっていますが、その中に非難していた多数の子供達も砲弾で全員亡くなったそうです。この付近一帯のジャングルには今も多数の遺骨が回収されないまま散乱しているそうです。
ラストコマンドポストに設置された旧日本軍戦車
今回の半日観光でもっとも印象に残ったのがこの戦車です。バンザイクリフ、スーサイドクリフ、ラストコマンドポストの事は事前に知っていましたが、この戦車の事をツアコンのNさんが詳しく教えてくれはったので少し解説。
日本の戦車は米軍のものとは違い鉄板も薄く攻撃には弱いそうです。また、ジャングルの中では役に立つことが無かったらしいです。写真では大きさわかりにくいですが、乗用車ぐらいの大きさしかありません。中は凄く狭く三人乗りやそうです。
サイパンにいた日本兵の中には旧満州から出兵された方もおられて、この戦車もかっては旧満州で活躍していたそうです。旧満州は私の亡き父が従軍していた場所です。
(父はこの戦車に触れたことがあったやろか?)
私はなんや久しぶりに父に会えたような気がしたんで、集合時間までこの戦車の近くにたたずみ、何度も手で擦りつづけました。
実はこのラストコマンドポストの中で、チョッとしたトラブルがありました。戦争の悲惨な話を語ってくれるNさんの話を聞きながら、妻がデジカメで写真を撮っていると・・・・・
妻:「カメラが動かへん?あきあこ~、やっぱりこんなとこで写真とったからかな~」
あきあこ:「シーッ!話してはるやろ!」
霊とかの存在を異様に気にしている妻の情けない声を制止しました。
これやから宗教馬鹿は困るんや。場の雰囲気を読め!
デジカメがフリーズしてるだけです。電源ボタン長押しでもOFFに出来ひんから、バッテリーを外して、再投入して一件落着。
ラストコマンドポストを後にした私達は、バードアイランドやローカルの人が集まる綺麗なビーチ(たぶんパウパウビーチ)、シュガーキングパークへ。
バードアイランド
パウパウビーチではツアコンのNさんと、海を見ながら10分ほどお話をしました。Nさんはサイパンがかなり長いらしく早く帰りたいと嘆いていました。人にもよるらしいけど自分にはあわないそうです。断水、停電は当たり前で日本のような生活とは程遠いからだと。少し安いホテルだと断水や停電もあるらしいです。
それから、ノースウエストの破綻、大規模なリストラで、本来航空会社がしていたような業務を、旅行会社がやらなければいけなくなったとか、JALが撤退したので(定期便がなくなりました)現地駐在員の数も減らされて~とか、けっこう大変みたいですね~。
そうは言うもののNさん、現地のチャモロ人(一般人)にも人気があるようで、行く先々で水とかジュースとか貰ったり、ドリンク売り場の店員さんがいなければ急きょ店員さんになり代わりドリンクを売ったりとかして、じゅうぶん現地に溶け込んではりました。頑張れNさん。
シュガーキングパークの中にはサイパン神社って言うのがあります。
漢字で書くと「彩帆神社」です。
現在のサイパン神社
昔のサイパン神社の写真はここをクリック
サイパン神社は1944年に戦争で炎上しましたが、1983年に北マリアナ連邦の繁栄と平和、日本国との親善友好を願って再建されました。昔の写真を見てもらうとわかりますけど、現在のは神社らしくないですね。
日本統治時代は神主さんもいて日本人も沢山住んでいたから賑わってたらしいけど、現在は神主さんも住んでないただの慰霊地のような感じです。戦前から残るものには例のごとく銃弾の後が多数残っています。
で、神社といえば・・・・・嫌そうな雰囲気をかもしだしている人が、観光客に混じって一人います。妻です。
妻:「あきあこ~、一人で行って来て~。私この辺で待ってるわ~」
あきあこ:「そうか~、ほんなら日陰で待っときや~」
妻:「あ~っ、写真、変なとこ撮ったらアカンで~」
あきあこ:「・・・・・」
辺りは芝生が敷き詰められた公園やん。こんなとこまで来て創価を引きずらんでもええのに~。私は他の人らと神社らしき場所を見学し、当時の人達の事を考えながら、カメラのシャッターを押し続けました。
シュガーキングパーク、サイパン神社を後にした私達は最後の観光地・・・・・って言うか、このツアーが無料になる為には行かなくてはいけない場所・・・・・DFSに強制連行されました。ほんでお昼頃にツアーは現地解散です。
Nさん、ありがとうございました。
もちろん、妻は店内に踏み込んだとたん、目の色が変わっています。私は・・・・・退屈しています。アッチ行って、コッチ行って、アレ見て、コレ見て・・・・・1時間後ブランド物お買い上げしました。
妻のような人がいるから島内半日観光が無料になります。ありがとうございます。
しかし、女性の買い物に対する執念は凄まじいですね。お買い上げ後も一向に店を出る気配を見せまへん。
あきあこ:「あ~、そろそろお腹減ってへんか~?ビ、ビーチでゆっくりしいひん?アッ!マクドでハンバーガーでも買ってビーチで食べよ~、うん、そうしよう!」
妻:「もう一回ヴィトン見てくるわ~」
あきあこ:「・・・・・」
無視されました・・・・・orz
早く海に行きたいねんけど。
早くメローな気分に浸らせてくれ!
あ~あ、またウダウダ書いたんで予告した半分も書けへんかったな~。
と、いう訳で~
つづく
次回予告
ス、ス、スペシャル!
すべて見せます?!マル秘あきあこ画像!
謎のチャモロ人登場
お、お尻に棒が二本も突き刺さって?!
怪しいボージョボー
おまけ
宗教嫌いのアンチ創価らしい話もチョコッとだけしときましょか~。
今回の半日観光で、一部チャイニーズの不快な行動が目立ちました。韓国の人らはそんなことなかったです。まぁ、天安門事件以来、反日教育も激しかったみたいやし、彼らにしてみたら連合軍の戦勝地なんやろから、凱旋観光みたいなかんじなんやろね。
で、私が一番憤りって言うか不快ちゅうか違和感を感じたんは、バンザイクリフやラストコマンドポストでポツリポツリと漏らした妻の言葉。
「この人らの運命やったんやな~」
「こういう宿命の下に生まれてきはってんな~」
以前から妻や義母は私の亡くなった父母を含め、人の死を語るときに「運命」とか「宿命」とかいった言葉をよく使います。妻や義母にしてみたら悪気があって言ってる訳でもなく、「きのどくやったな~」ぐらいの意味合いで言ってるんやと思うけど。たぶん。
当事者や本人が身内の死を現実のものとして受け入れる為とかに言うんやったら、なんら違和感をもたへん。けど、他人の死を語るときに「運命」とか「宿命」とか言った言葉を使い、それがこの世の真理やとか事実やとか平然と言い切ってしまうことに、違和感を感じてしまう。
まるで亡くなった人たちが、生まれながらにして本人の意思や周りの状況に関係なく決まりきった人生を歩んでいる、神や仏の意思で決められた人生を送っているとでも言いたげに聞こえてしまうんやね。
このサイパンの地で亡くなった人達、自決した人も敵も味方も強制的に戦場に駆り立てられた人達も、それぞれの立場でみんな必死に人生を生きてはったと思う。ある人は郷里の父母や我が子を思い、またある人は目の前の我が子を思い。どんな気持ちで最後を迎えはったんやろ?
人生なんて自分の思うように生きられへん事も多いやろ。特に、あの時代、あの地で無念な最後を迎えた方々なんてほとんどそうやろね。でも「運命」とか「宿命」とかの言葉を使って人の死を語るやなんて、私にはあまりにも軽々しい言葉に思えてならへん。