定年夫婦のイタリア・スイス旅日記

あこがれのローマ,ルネッサンス発祥の地フィレンツェ,そしてツェルマットへ

ツェルマット2日目

2012-06-05 01:02:48 | 日記
2012.6.4(月)

 現地時間で18,日はまたまだ高い。ホテルのベランダにパソコンを持ち出して,雄大で,美しく,神々しいマッターホルンの姿を眺めながら,ブログを書いている。西日に照らされ,北壁が少し光っている。刻々と雲の流れが変化していき,いくら眺めていても飽きることはない。朝は雲に覆われていて,今日は見ることができ無いのだろうと心配していたが,午後から晴れ出して,素晴らしい姿を見せてくれた。今は,すっかり雲も晴れ,美しい姿を見せている。そして,何という小鳥だろうか,鳴き声がとても心地良い。この様な素晴らしい風景の中に妻と二人でいることが出来ることに感謝したい。もちろん妻だけではなく,家族全員に感謝,そして,周囲の方々にも感謝である。
 朝5時前に目が覚めるが,小雨だったのでまた眠ってしまう。そして起きたのが8時近くであった。朝食を済ませると,小雨も上がってきたので,長袖の下着やジャンパーを着込みリュックには雨合羽などを入れて,出発する。最初に向かったのが,ゴルナーグラートである。登山列車に乗って約30分で1500メートル程登り,標高3089メートルの地点まで行くのだ。9時30分に出発して,10分ほどして歓声が上がった。今まで雲に隠れていたマッターホルンが木の間から少しばかり顔を出している。さらに標高を上げるに従い,徐々に現れてくるようになり,夢中でシャッターを切った。終点のゴルナーグラートについた時には,周囲が真っ白い雪の世界であった。昨夜も降ったのであろう,5センチ程新雪が地面を覆っている。ここからは,あいにくマッターホルンは雲に隠れて見えなかった。しかし,ブライトホルンが見事な姿を見せている。そして,ゴルナーグラート氷河も長く長くつながっている。1時間ほどいて,ツェルマットに下り,今度はロープウェーに乗って,標高3029メートルのトロッケーナ・シューテークに向かった。
 ツェルマットの繁華街を歩いて,ロープウェーの駐車場に向かう。ツェルマットには,自動車の進入は禁止で,走っているのは地元の電気自動車のみなので,音もなく近づいてくる。街の中で音を聞くのは,川の流れ,鳥のさえずり,そして観光客の話声で,日本の都会とはまるっきり違う。本当に素敵な街である。
 ロープウェーを2本乗り継ぎ,トロッケーナ・シューテークに着く。ここは,ゴルナーグラートとは違い,観光客が少ない上にマッターホルンに近いので,雄大な景色である。行った時には,マッターホルンは雲に隠れていたが,徐々に現れてくる。もう少しもう少しと2時間程滞在する。妻もつき合ってくれたので,十分に写真に収めることができた。ツェルマットの街に着くと,マッターホルンが,美しい姿を現している。マッターホルンあってのツェルマットだと感じた。
 次は,ケーブルカーで,標高2288メートルのスネガ・パラダイスに向かった。急勾配のトンネルを,わずか3分程度で駆け上り駅を出ると,野外喫茶コーナーがあり,目の前には,雄大な景色が広がっている。妻とコーヒーを飲み,幸せな一時を過ごし,最終の17時のロープウエーで下山してホテルに戻った。
 俺達の部屋は4階の一番真ん中で,ベランダからは,マッターホルンの眺めが一番とよく見える。これも,娘が選んでくれたことに感謝しなければならない。ホテルのレストランで夕食をとり,急いで部屋に戻りベランダでカメラを構え,徐々にアーベントロードに染まっていくマッターホルンを,何枚となく撮す。。若い時,山登りに夢中になった時からあこがれていた風景を目の前にしていることは,本当に大きな感動に包まれる一時であった。
 今日は,昨日の苦労を無事に乗り越えたからこそ味わうことが出来た,幸せであった。
 明朝は,モルゲンロートに輝くマッターホルンを一目みたいものだ。

ミラノからツェルマットへ

2012-06-04 00:48:38 | 日記
2012.6.3(日)

 外国語の分からない夫と地図の読めない妻の外国旅行中で,最困難の一日,しかし最大の楽しみの一日のスタートである。ミラノからツェルマットへ,4回の列車の乗り継ぎがある。個人旅行であるので,全部自分たち夫婦でこなさなければならない。夫婦のチームワークが一番試される日だ。
 ミラノのホテルで朝食を取り,8時30分に駅に行く。ベリンツォーナ行き(チューリッヒ行きの列車に乗って,途中で降りなければいけない)の列車は,もう8番線ホームに入っていた。今まで何度となく列車に乗っているので,ここまでは問題なくできた。6号車の85と87番の席に向かった。列車の中に入ると,6人の席で一室になっていて,80番台は81~86しかない。隣の部屋にあるだろうと見てみると,なんと91~96なのだ。確かにチケットには,87と印刷してあるが,「俺の座る席がない!」のだ。さあ,どうしよう。妻は,おろおろしているし,外国語のしゃべれない親父の活躍が始まった。チケットを持っていろんな人に見せながら,時には席の所まで連れてきて,聞いてみたが,どうにも合点がいかない。ああ,これまでか。この時考えた。乗客はほとんどいないので,このまま乗って行っちゃえと。9時10分,無事にスタートした。そうしていると,車掌が点検に来た。チケットの87の番号を指さして見せると,何と「気にするな。」というポーズであった。今までの心配は何だったのか。イタリアという国は何というアバウトな国なのかと思ってしまった。普段アバウトで通っている親父の数倍も上を行く国である。その時車掌に,ベリンツォーナでゲシュネン行きにり乗り換えるのは1線と聞いて,10時34分にベリンティオーナの駅に降り立った。途中イタリアからスイスに入ったが,警官らしき人たちが回ってきたが,何も検査もされなかったし,どうにか来られた,これで一安心とベンチに座って,11時06発の列車を待つ。
 11時03分頃に列車が1番ホームに入ってきたので,来たぞと思い,妻と共に勇んで乗り込むと,すぐに発車した。指定の75番と76番の席を探すが見あたらない。そして,乗客もほとんど乗っていない。何か怪しいぞ,と親父の勘が働いた。もしかして,別の列車に乗ったのではないか。とっさに次の駅で降りて,聞くとやはり間違いで戻らなければならないとのこと。しかし,指定された列車はもう出発している。これで終わり,今日はツェルマットにたどり着くのは無理なのではないかと思いながら,心うなだれてベリンツォーナに戻る列車に乗った。妻はパニック状態になってしまっている。駅について,妻を落ち着かせ,列車の予定をメモ書きにし,駅員に聞きに行く。そうすると,何と,丁度1時間遅れで列車があるではないか。そして,アンデルマットからは,予定された「氷河特急」に乗れるのである。親切な駅員さんは,予定を印刷して渡してくれた。何という有り難いことかと,妻と共に再び喜ぶ。そうすると急に腹が減りだした。駅の売店でパンとジュースを買って腹ごしらえをしながら,外国語の分からない親父でも,何とか役に立つものだ。やる時はやるんだよ。とか何とか話しながら50分程待つ。
 そして,慎重に慎重に乗車して席に着く。指定席はどうなるのだろう。お金を払う必要があるのだろうか等と考えて,車掌を待つと,「OK」なのだ。そのまま座ってゲシュネンに到着したのであった。
 ゲシュネンからは5分間でアンデルマット行きの列車に乗り換える。当初の乗り換えを一番心配していたが,小さい駅なので,割合とスムーズにいく。そして,11番ホームから出発して10分間でアンデルマットに到着したのである。13時54分発の「氷河特急」までには,まだ30分程の待ち時間があるのだ。結局は,前の列車で来ても,ここで1時間30程待たなければならなかったのだった。おっちょこちょいの夫婦だから,もしかしてこの様なこともあるだろうと,余裕を持たせて切符を手配してくれた(?)娘に感謝しきりである。
 いよいよ氷河特急への乗車である。今度こそは間違わないで乗車できた。走り出すと,緑の草原に一面のタンポポが咲いている。まさに黄色の絨毯が広がっているようだ。また,左右に山々の急峻な岸壁が現れたと思うと山々の懐に点在する村々が現れてくる。そして,底深い谷の上を,特急とはいえゆっくりゆっくりと列車は走っていく。昼食を注文すると席まで持ってきてくれ,素晴らしい景色を見ながらゆっくりと食事を取ることが出来る。まさに至福の一時である。そうこうして進んでいくと,途中から雨が降ってきて,ツェルマットに着く頃にはシトシトと本格的な雨になっさていた。せっかく楽しみにしていた,マッターホルンは,恥ずかしがって顔を出してくれない。
 電気タクシーでホテルに入る。部屋の窓からはマッターホルンが見えるとのことであるが,明日を楽しみにしよう。
 夕食は何処にも出ずに,ホテルのレストランで食べる。ここで,妻の英語の力が役立ったのは嬉しいことであった。親父はただ飲み食べるのみであった。思ってみれば,今日は,昨日までの歴史とで文化の旅ではなく,自然を求める旅のスタートであり,色々なことを体験したも本当に思い出に残る一日であった。本当の夫婦の力が試されたのであろう。

ヴェネツィアからミラノへ

2012-06-03 02:00:02 | 日記
2012.6.2(土)

 ヴェネツィア最後の朝。6時頃目が覚め,窓を開けると,目の前の海に大きなクルーズ船が,タグボートに曳航されている。大きな船,サンマルコ教会,青い海,そして空にはカモメ,非常に眺めがよく,室内の調度品もよい部屋だ。今まで泊まったホテルでは最高だ。ただ残念なのは,風呂がないこと。ヴェネツィアは島であるので,水が不足しているからなのだろう。シャワーだけでは辛いものがある。
 朝食を終え,モーターボー・トタクシーを呼んで,駅まで送ってもらい無事にミラノ行きの列車に乗ることが出来た。イタリアの列車の乗り方が分かってきた。列車の中で,ミラノのことやスイスのことを調べる。列車の窓から見えるのは,日本とは大分違う風景である。まず,水田がない。畑と丘,そして山,日本ではもうすっかり田植えも終わり,青田が風にそよいでいるころだろう。何日もそのような風景を見ていないものだ。そうこうしているうちにミラノに着く。さすがにイタリア第2の都市,大きい駅だ。ホテルは駅のそばと分かっているが,どのように行くのか分からず地下に降りて行ってしまう。上がったたり降りたりしながら,何者もの人に尋ねながらようやく到着する。
 チェックインの後,駅前で昼食を取り,タクシーで移動する。午後2時半から「最後の晩餐とミラノ巡り」のツアーに申し込んでいるのだ。何と,英語の出来ない親父が,アメリカのサイトの会社に申し込んだので,本等にとれているのか不安いっぱいであるが,いつもの「何とかなるだろう」という気持ちで集合場所に向かった。タクシーの運転手さんに集合場所の地図を見せて,乗せてってもらう。しかし,まだ誰も集合していない。本当に大丈夫なんだろうかと思いながら待っていると,徐々に集まってくる。しかし,ほとんどが外国人であるので,聞くに聞けない。ようやっと日本人とおぼしき人が一人現れ,妻が真っ先に「日本人ですか。」と尋ね話している。やはり妻も不安なのだろう。日本人に会って,ようやく一安心する。2時15分になると係の人が来て,対応してくれた。日本のインターネットのサイトでは無理だったのが,ようやっと『最後の晩餐』を見ることができるのだ。やはりあきらめないで,いろんな所にアクセスしたことが良かったのかもしれない。
 バスに乗ると,ガイドの話が聞こえるように,受話器を一人一人に渡された。そして,まず向かったのは『ミラノスカラ座』である。有名な作曲家や演奏家の肖像等が所狭しと並べられており,演奏会場も見ることができた。オペラ好きの人にはたまらない所であろう。
 次に向かったのは,『ヴットリア・エヌマーレ2世のガッレリア』,そしてバロック建築の傑作と言われ『ドゥーモ』である。ドゥーモ前の広場には,大勢の人がおり,幾本もの尖塔が天を突き刺すように伸びている。そして,広い講堂の中に入には鮮やかなステンドグラスが輝いていた。かつてここを訪れた人々は,外の形に感動し,中の美しい光景に魅ぜられ,信仰心を更に強めていったことであろう。
 そして,『サンタ・マリア・デッレ・グラッツィ教会』に向かった。ここは,レオナルド・ダ・ヴィンチの大傑作『最後の晩餐』がある所だ。ここは,1回につき人数限定(25人)の15分間の見学である。入り口で入場券をもらい,中に入る。何と,作品にたどり着くまでに,4つの扉をくぐり抜け無ければならない。教会の食堂にその絵はあった。中に入ると,皆緊張感が漂って降り,皆が黙って絵に見入っている。フレスコ画でなく,壁に油絵で描いてあるので幾分剥げているが,レオナルドの構図と色遣いの素晴らしさに,そして表情の巧みさに心を動かされる。15分が過ぎようとすると,入り口に物々しい警備の人と共に入ってきたのは,法王庁の方々であった。このことも記念すべき出来事であった。
 たった3時間程で,おまけに説明が英語でほとんど分からないツアーであったが,来て本当に良かったと思った。イタリア最後の日の良い思い出になった。
 ミラノ名物のサフラン風味のリゾットとミラノ風カツレツを妻と二人で食べながら,イタリア最後の夜の思い出を語り合った。
 いよいよ明日には,アルプスを越え,スイスに入る。3回の乗り換えがあるので,無事にツェルマットまでたどり着けるか,これまたワクワク,ドキドキの1日だ。

ヴェネツィア2日目

2012-06-02 01:24:23 | 日記
2012.6.1(金)

 疲れてぐっすり眠り,6時40分頃に起きる。ホテルの窓から見るヴェニスの海は少し霞んでいるようだ。今日も天気は上々のよう。イタリアに入ってから,雨らしい雨が降っていない。天気に恵まれて本当に旅日和だ。
 ゆっくりと朝食を取り,9時10頃にホテルを出てサン・マルコ広場に向かう。海岸には,もう観光客が大勢出ている。今日は,ドゥカーレ宮殿とサン・マルコ寺院のツアーに申し込んでいる。9時45分集合で日本人が3組6人の夫婦であった。
 日本人の若い女のガイドについてドゥカーレ宮殿に入る。ヴェネツィア総督府の政庁であった所である。さすがガイドさん,要所要所を的確に押さえて説明してくれる。政治の場であったということで,会議室,裁判所,そして牢獄まである。日本の少年使節団が謁見したという広間もあり,歴史のおもしろさを感じた。
 また,色々な美術品もあり,2階の大会議室の間には,世界最大の大きさという油絵も展示されており,その大きさに圧倒された。
 次は,いよいよサン・マルコ寺院への入場である。入り口に多くの人が並んでいるが,俺達は,その脇からスイスイと入く。予約しておいて,本当に良かったと思った。中に入ると,その荘厳さに圧倒された。五つの丸天井には,金箔を入れたガラス片で,旧約聖書と新約聖書を題材にしたモザイクが施されており,それが光輝いてキラキラしており,まさに,天国にいるような気持ちにさせられる。まさに,金の教会とでも言えるのではないか。更に,中央祭殿の奥には,金と各種の宝石で彩られた「パラ・ドーロ」と言われる宗教画を描いた板があり,これもキラキラと光り輝いていた。これほどまでに金を多く使った壮大な教会を造ることが出来た,ヴェネツィアの財力を考えると,本等にびっくりさせられる。これも,十字軍の影響が大なのであろう。
 その後,鐘楼に登る。フィレンツェの大聖堂と違って,エレベーターが設置されているので,楽に登れた。その上からの眺めは,フィレンツェの町のように,赤い瓦で街が埋め尽くされていた。歴史的景観を守るために,行政で家の高さや色などを規制しているのだろう。 朝食を取り,午後は,バポレットという海上バスに乗り,ヴェネツィアを一周する。その途中,バポレットがムラーノ島に寄ったので,俺達二人は下船する。ここは,ガラス職人により,ベェネツィア・ガラスが生産されたところで,小さいが素敵なベェネティアン・ビーズを並べている店が並んでいる。妻は,何軒も回ってようやく娘や母達への土産物を購入し一安心したようだ。
 ベェネツィアは,何処に行っても人,人,人。一大観光地である。この様に多くの人地が集まるのは,風光明媚な景色があるだけでなく,歴史と,物語が多くの人を引きつける魅力になっているのだろう。
 いよいよ明日は,ミラノに行く日だ。
 

フィレンツェからヴェネツィア1日目

2012-06-01 04:56:50 | 日記
2012.5.31(木)

 フィレンツェ最後の日,朝食後にチェックアウトをしてタクシーを呼んでもらい,ミケランジェロ広場に行く。昨夜夜景を見た時も良かったが,日中も素晴らしい眺めだ。フィレンツェの町並みが一望の下に見える。その中でも,ドゥオーモとジョットの鐘楼,ヴッキオ宮殿の存在感が大きい。タクシーを待たせて写真を撮り,一路駅に向かう。
 駅の荷物預かり所に荷物を預け,フィレンツェ最後の観光に出かける。向かったのは,ドゥオーモ。洗礼堂の天国の門を見て,ドゥオーモの周辺を,名残惜しそうにゆっくりと歩いて回る。これが最後となると何か寂しくなるが,改めてこのすごさに圧倒される。その後,ロレンツォ豪華王が住んだというリッカルディ宮に行く。
 次に中央市場に行き,中の食堂で昼食を取る。ショーケースの中に並んだ色々な料理を指定して盛りつけてもらうのだが,イタリアで今まで食べたことのない物を選ぶ。イタリアの料理の量は日本の倍近くあるが,二人で4皿をとり,見事完食し腹一倍になる。今までの昼食の中では,一番おいしかったし,そして安かった。市場の食堂で食べるということは,旅の醍醐味のような気もする。
 昼食を終え,午後1時25分発のユーロスターに乗るため,駅に行くが,何番線から出るのか分からない。待ちに待ってようやく15分前になってプラットホームの表示が現れる。日本では,とても考えられないようなことであるが,イタリアでは当たり前のことであるそうだ。誰かが言っていたが,イタリアはいい加減な国(?)らしい。物事にアバウトな俺が言うのも何だが,本等にいろんな国があるものだとつくづく思ってしまった。
 ユーロスターに乗るまでは,スリなどが多いと聞いていたので,また,ローマでの二の舞になると困るので,緊張していたが,列車に乗ると疲れてすぐに眠ってしまう。
 海が見えてきて,しばらく走ると,海の上の橋を走り,ヴェネツィアのサンタ・ルチア駅に着く。ヴェネツェアは,シューデッカという島なのだ。駅前からモトスカフィーというモーターボートのタクシーに乗ってホテル前まで行くことにする。ヴェネツィアには自動車も自転車も無いそうだ。運河には,バポレットという海上バスやモーターボートそれにゴンドラがいっぱい走っている。ローマやフィレンツェとは違う雰囲気に,妻も興奮気味。本等に来て良かったと思う。しかし,その後が悪かった。タクシーの運転手には,ホテル名を教え,すぐそばまで送ってくれるように言ったが,降ろしてもらったのは,橋を二つも渡る手前のことであった。「降りてすぐに左に行く,ホテルだよ。」と言われたのに,行って見ると別の名前のホテルだ。そこから大きなスーツケースを持って,太鼓橋を二つ渡り,石畳みの凸凹の道路をスーツケースをガラガラと引っ張りながら歩く羽目になったのだ。ようやくのことでホテルに到着する。  
 チェックインをしてゴンドラセレナーデのツアーに参加する。日本人が9人で2艘のゴンドラに分かれて乗り,一方のゴンドラにアコーディオン演奏者と歌手が乗り,狭い運河を通りながらカンツォーネを歌ってくれた。3階のベランダには若い女の人が座っている。橋の上には観光客が見守り,歌に聴き入っている。
 その後,夕食となり,浜松の新婚のご夫婦と一緒になり,白ワインと貝とズッキーニのパスタ,魚介類のフリッター等を食べながら話が弾み,楽しい会食であった。9時過ぎにホテルに帰るが,まだ薄暗く,サン・マルコ広場や商店街には観光客がいっぱいである。
 

フィレンツェ3日目

2012-05-31 00:28:00 | 日記
2012.5.30(水)

 フィレンツェも今日で3日目だ。今日も早く(7時30分)朝食を取り,ホテルを7時45分に出発して,アカデミア美術館に徒歩で向かう。約30で到着する。予約済みの入り口に並び,チケット売り場に行くと,この券では入れないという。予約しているのに何事だろう。言葉も通じないし,チケット売り場で困っていると,中から親切な男の係の人が出てきて,かわいそうに思ったのだろうか,チケットを渡し中に入れてくれた。イタリア人は,女より男の人が親切なのか(?)
 オーディオガイドを借りようとすると,日本語のものはないと言われ,仕方なく中に入る。この中には,ミケランジェロ未完の作品の『奴隷』,そして有名な『ダヴィデの像』があり楽しみにしていた所だ。シニョーリア広場のレプリカと比べると,やはり本物は迫力が違うような気がする。右足に重心をかけ,右手に石を持ち,相手をにらみつけている像からは,困難なものに立ち向かっていく覇気を感じさせ,見る者に勇気を与える。
 次に,捨て子養育院絵画館に入る。ここには,リッピの作品があり写真に撮ることが出来た。次に,サン・マルコ美術館に行き,フラ・アンジェリコの『受胎告知』を見る。その後,レストランに入り,パスタで腹ごしらえをし,午後にはメディチ家礼拝堂,サン・ロレンツォ教会を見て,中央市場に行く。中央市場に行く通りには革細工や服を扱う露天が並んでいて,見ていてるだけでも楽しい。中央市場というので,外の市場なのかなと思っていたが,大きな建物の中に色々な売り場が並んでいて,日本語の表示をして,日本人の売り子のいる所もある。日本人の観光客が多いのだろう。その中には食堂もあり二人でペンネを一人分を取り分けて食べる。市場でトイレに入ろうとすると,入り口の所に男の人が立っていて,二人で1ユーロの金を取られる。
 そこから,駅前のサンタマリア・ノヴェッラ教会に寄り,ホテルまで歩く。今日の一日,大変歩いた。昨晩,足のまめを絞っっていたので幾分楽になったが,妻が大変だ。疲れてくると,途端に機嫌が悪くなる。口も聞かずに黙々とホテルに歩く。4時過ぎホテルに入り,シャワーを浴びると,少し元気が出てきて,気分も良くなってきた。夜の7時から現地ツアー「フィレンツェの夜景とトスカーナ料理ナイトツアー」に申し込んでいるので,楽しみだ。
 タクシーで駅前の集合場所に行くと,たった3人のみのツアーであったが,トスカーナ地方の田舎の風景を堪能しながらバスで素敵ななレストランに移動する。前菜に生ハムやチーズブルスケッタ,第1の皿はパスタで妻はラビオリを選ぶ。第2の皿は,ビスティッカというステーキであった。赤ワインもおいしく,満足の食事である。でも,そろそろ日本食も恋しい時期になってきた。
 岐路,ミケランジェロ広場により,フィレンツェの町の夜景を見学する。大聖堂を中心に素晴らしい眺めである。500年前,ここから,世界を動かすような大天才達が多く出できたことに,改めて驚愕せざるを得ない。
 ルネッサンスの足跡を,芸術作品を通して見てみたいという今回の旅であった。教会に支配されていた中世の画一的な人間観や自然観を,一人一人の人間の心の有り様を重視し,感情をいかに芸術作品の上に昇華していくかという,多様性を見たような気がする。そこには,ギリシャ・ローマ時代の芸術を復興したこと,メディチ家という大パトロンがいたことも大きい要因であった。
 娘からの書き込みで,今までの行動を反省しなければならない。旅をするということは,何歳になっても,自分を見つめることであることを痛感した。

フィレンツェ2日目

2012-05-30 05:03:30 | 日記
2012.5.29(火)

 いよいよフィレンツェ2日目,今回の旅行の最大の目標であるウッフィッツイ美術館への訪問である。7時30分に朝食を済ませ美術館へ急ぐ。今日の入場券は予約済みだ。8時15分頃に着いたが,すでに多くの人が並んでいる。係の人にバウチャー券を見せると,「ドアナンバー3」と教えてくれる。いよいよ入場。オーディオガイドを借りて,ワクワクしながら妻と二人階段を上っていく。三階の廊下に出ると,端から端までギリシャ・ローマ時代の彫刻群が所狭しと並んでいる。それを見ただけでも何か圧倒されてくる。展示室に入っていく。フィリッポ・リッピの部屋は,前々から見たいと思っていた部屋で,『聖母子と二天使』等の作品があり,思っていたとおり素晴らしい。すっかり魅了されてしまう。次の部屋が,ボッティッチェッリの部屋で,『ヴィーナスの誕生』『春』が素晴らしい。よく本等で見ているが,実物に接することはこんなにも大きな感動を与えるものとは,やはり「百聞は一見にしかずで」ある。この二枚の絵が,完全にこの部屋の他の作品を圧倒している。観客もここに多く集まっている。
 部屋を進むにつれて,次々に有名な絵画がこれでもかこれでもかと現れてくる。ダ・ヴィンチの『受胎告知』,ラファエロの『ヒワの聖母』,ティツアーノの『ウルビーノのヴィーナス』,ミケランジェロの『聖家族』,クラーナハの『アダムとイブ』等々,この様な体験は初めてだ。ウッフィッツイ美術館は撮影禁止なので,ガイドを聞きながらじっくりと鑑賞して回るが,あまりにも多くて次から次と忘れていくようだ。
 3階の部分を見終わり12時過ぎに,3階の端にあるミュージアム・カフェで軽い昼食を取り,2階の部分の鑑賞に移る。2時半頃ようやく見終えて,昨日通ったヴェッキオ橋を渡り,ピッティ宮殿のパラティーノ美術館に行く。ここには,リッピの『聖母子』やラファエロの『小椅子の聖母』がある。その後,サント・スピリト教会に行き,ホテルに帰る。
 今日は,何百点の美術品を見たことであろうか。体はくたくたになったが,頭は興奮している。帰りに,八百屋でトマトとスモモを買って来て,部屋で食べたが,くたくたになった体に,元気与えてくれた。
 6時30分にホテルを出てレストランに向かう。イタリアはサマータイムを導入しているので,まだまだお日様は高い。妻が調べていたシニョーリア広場の所のレストランに入るが,日本人の客が半数以上であった。皆『ララチッタ』の本を見て来ているのであろう。妻が食べたい食べたいと言っていた,「ブルスケッタ」「リッボッリータ」そして「ビスカッテカ・アッラ・フィオレンティーナ」を食べながらワインを飲む。おいしく充実した夕食であった。
 8時半頃,レストランを出てもまだ明るい。シニョーリア広場でしばらく時間を過ごす。座っていると,ギターの演奏をしている人がいたり,隣には若い女の日本人がいる。「どこから来たの」と聞くと「ここに住んでいるんです。」とのこと,仕事をしてるのだ。互いに写真を撮り,分かれる。「良い旅を」と言ってくれたことは,妙に心温まることであった。
 その後,夕焼けに染まるアルノ川とヴッキオ橋を見ながらホテルに帰る。俺も妻も大満足の一日であった。
 

ローマからフィレンツェへ

2012-05-29 00:30:41 | 日記
2012.5.28(月)

 ローマ最後の朝食を,ホテルの屋上の野外で取る。食事を取った後,荷物をまとめチェックアウトする。カード支払いなので楽である。8時頃ホテルを出発してテルミニ駅に歩く。9時15分発の列車でフィレンツェに向かうのだ。雑踏する中で駅員さんにチケットを見せると,まだ早いので掲示板に掲示ならないとのこと。二人でベンチに座り,イタリア人の観察をし,品定めをする。
 30分程前に,出発のホーム番号が掲示板に表示されたので,5番ホームの前に移動して,ウロウロしていると,お姉ちゃんが,近づいてきて親切にも教えてくれた。まず,チケットを刻印機に入れ日付を刻印し,ホームを先導して目当ての列車に連れて行ってくれ,おまけに中の席へ案内して荷物を棚の上にまでのせてくれたのである。何と親切な人もいるものだ,世界は広いけれど捨てたもんじゃない。グラッチェ,グラッチェ,ああ助かった,これでフィレンツェに行けるぞ,と心から思ったのであった。
 しかし,その親切な姉ちゃんが,何かと言って,そして手を差し出したのだ。えっ,金を要求するの,今まで親切と思っていたが違うのだと気づかされた。そして5ユーロ札を渡した。しかし,まだ去らない。もっと要求してくるのだ。言葉がよく分からないし,面倒なので,もう少しやろうかとしていると,隣の席のご婦人がお姉ちゃんに何か言って,私が金をやろうとしていた手を止めてくれた。ようやっとそのお姉ちゃんは帰っていったのであった。
 今度こそグラッチェである。「ありがとうございました。」と言うと,何とそのご婦人は「どういたしまして。」と返してくるではないか。その後話をすると,旦那さんが日本人だということであった。世の中,良い人ばかりではない,しかし,世の中捨てたものでないと,再び思い直した出来事であった。
10時46分フィレンツェ着。駅の外に出ると,建物の様子から古都の雰囲気が感じられる。タクシーでホテルに向かう。古い町並み,狭い道路,そして多くの観光客が歩いている。ホテルに荷物を預け街に出る。真っ先に向かったのは,「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」だ。狭い道を迷いながら行くと,突如としてクーポラが見えてくる。クーポラの前で軽く腹ごしらえをして,まず,「ドゥーモ附属博物館」に入る。ここにも,ミケランジェロの『未完のピエタ』がある。サン・ピエトロ寺院のものと違って,荒削りであるが構成が見事で見応えのあるものであった。
 その後,クーポラに登ろうとしたが,並んでいる人が多い。1時から最後尾に並んで,入場したのが45分後であった。狭い階段を汗水垂らして登り,ついに最上階へ行く。登れるかどうか不安がっていた妻も順調に登り,360度のフィレンツェの町並みを見渡す。上から見ると,統一されたような赤い屋根の家が続いており,外観を壊すような高い建物や広告塔もない。日本の町並みとは正反対のようだ。中世からの雰囲気を町全体で守り続けていることに感服する。いつまでも,この眺めを見ていたいと思ったが,次々に登ってくる人がいてそうもしていられない。また狭い螺旋階段を降り,「ジョットの鐘楼」や「サン・ジョバンニ洗礼堂」を見学する。洗礼堂には,ギベルティの「天国の門」のレリーフがあり,レプリカではあるが,その素晴らしさに感動する。
 その後,「シニョーリア広場」に寄る。ヴッキオ宮殿の前の広場の周囲にはミケランジェロの『ダヴィデの像』はじめ多くの彫刻が並んでいて,見るものを圧倒する。その中で休憩する贅沢を感じながら,写真を撮ったり,座って休憩したりして幸せな時間を過ごす。
 ヴェッキオ橋の上には,貴金属店が並び観光客がショーウインドウを眺めている。妻もあまり興味がないようでただ歩いて渡ってくる。クーポラに登り,妻も疲れているようなので,ホテルに戻り,今夜はホテルの近くのスーパーから食材(サラダ,チーズ,サラミ,パン,そしてワイン等)を買い込み,ホテルの部屋の中で食事を取る。これも良いものだ。
 明日は,ウッフィッツイ美術館を訪ねる。多くの美術作品に触れることが楽しみだ。

※ 今までの写真を整理した。上のカメラマークのフォトアルバムをクリックして欲しい。

ローマ3日目(コロッセオ,フォロロマーノ,その他)

2012-05-28 04:44:27 | 日記
2012.5.27(日)

 いよいよローマ観光最後の日,駅前で天井がないATACバスに乗りコロッセオに向かう。入場券を求めて,中に入り,全景の見える上まで登る。さすがに大きい。2千年もの昔,この様な巨大な建造物を造ったローマ人の素晴らしさに感心する。しかし,考えてみるとここは円形競技場で,中で競技をしたのは奴隷の剣闘士達。貴族や一班市民はそれを見ていて楽しんだ。享楽することで政治に対する不満を減らしていたのだろう。現在も同じような気がする。
 その後,パラティーノの丘,フォロ・ロマーノを歩く。2000年程前,ここをシーザーやクレオパトラが歩いたのだろうと思うと,なんだかワクワクしてくる。当時の建物が残っているのだ。コンスタンティヌス帝の凱旋門やセヴェルス帝の凱旋門等のレリーフに見入ってしまった。
 その後ヴェネツィア広場を通り,カンポ・デ・フィオーリ広場の市場に行く。果物,乾物,日用品,花,等を売っている。庶民の台所で色鮮やかな所である。その中で,ザクロの生搾りジュースを飲む。甘くておいしい。外のレストランで,ローマピザを食べる。隣には,奈良から来たという若い夫婦であった。イギリス・フランス・イタリアの3カ国を回り,明日帰国するとのことであった。
 食事を終え,ジェラード・アイスを食べる。これもおいしい。その後,ナヴォーナ広場に行き,き,ベルニーニ作の『四大河の噴水』等を見る。噴水の回りには,青空画廊があり,絵を売っている人が多い。しかし,あまり良い絵はなかった。
 次に向かったのは,パンテオンである。これも,コロッセオと同じように古代ローマ人の建築技術の素晴らしさに感心することしきりである。ミケランジェロも「天使の設計」と賞賛したそうだ。正面の巨大な円形の柱と巨大な天井が素晴らしかった。
 そこから小路を歩き,「トレビの泉」に向かう。ここも人がすごい。妻は「前に来た時,後ろ向きにコインを投げたので,また来ることが出来た。」と喜んでいる。
 そこから再びバスに乗りホテルに帰る。今日は大変歩いた。妻は疲れてしまってあまり元気がなく,ホテルのベッドの上に休んでいる。俺は,街に出て,USBケーブルを買ってくる。日曜日なので休みの所が多く,探すのに苦労した。これで,写真の取り込みも出来るようになった。(カードリーダーが調子悪かった。) 
 夜は,パスタに舌鼓を打つ。今日は歩いたので,足の裏に豆が出てしまった。明日はいよいよ,憧れのフィレンツェだ。ワクワクしてくる。

ローマ二日目(バチカン)

2012-05-27 01:47:39 | 日記
2012.5.26(土)

 ローマ二日目,6時30分に朝食が始まるので,7階のレストランでバイキングを取り,7時40分の迎えを待つ。今日は,一日バチカンの観光だ。7時40分に迎えの車が来た。バスに乗り換え,出発。バスの中は外国人が多く,説明も,イタリア語,英語,スペイン語,そして日本語でやってくれる。さすが国際的な観光地だ。
 バスから降りて日本人案内者の樋口さんの所に行くと,日本人は俺達夫婦のみであった。それで希望を素直に伝える。実は,今日のツアーのコースにはラファエロの間が入っていなかったのだ。「是非見たいので,途中で分かれます。」と言うと,「今日は二人のみなので,案内しましょう。」と快く引き受けてくれた。
 バチカン美術館の入り口に向かって歩いていくと,当日券を求める人たちが長蛇の列で,樋口さんは入場まで2時間もかかってしまうのではないかと話してくれた。長く並んだ人たちを尻目に,スムーズに入場することが出来た。ツアーに予約していて本当に良かったと思った瞬間であった。
 樋口さんの話によると,このバチカン美術館の入場者はルーブルに次いで多く,一日あたり1万人以上という。あまりにも客が多く,改修工事をしたため,妻が来た20年程とは入場口等が変わっているという。
 中に入ると古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻群が所狭しと並んでいる。その規模と内容のすばらしさに圧倒される。更に進んでいくと,有名な「ラオコーン」の像と,ミケランジェロの作風に多大な影響を与えたと筋骨隆々としたいう胴体のみの像等がある。その他にも,古代ローマ時代の大きな石の風呂(ネロ皇帝の后が毎日3回もミルク風呂に入る時に使ったという),古代ローマ時代の床(いろいろな色の石を使って見事な物であった),大きな石の棺,その他多くの遺物が並んでいる。
 ラファエロの間に到着。一部工事中の所があったが,ほぼ見ることができた。ラファエロが描いたという4つの大きな壁画がある。ミケランジェロに影響を受けて作風が変化していることが分かる。その中でも,『アテネの学堂』はやはりすごかった。ここに来れて本当に良かった。樋口さんに感謝である。日本では美術館等は,撮影禁止であるが,ここはフラッシュをたかなければ撮影OKなのである。何枚も撮影し,いよいよシスティーナ礼拝堂に向かう。大学時代からあこがれていたミケランジェロの絵との対面だ。りょくしかし,システィーナ礼拝堂では,撮影禁止。更に,大声禁止である。中に入ると,身動きできない程の人が皆上を向いている。天井壁画と祭壇側の『最後の審判』が圧倒的な迫力で迫ってくる。天井壁画については,各種の本等で「アダムの創造」や「楽園追放」「ノアの洪水」程度しか知らなかったが,旧約聖書を題材にして九つのエピソードで構成されていた。あんなに高い天井に足場を組んで,苦労しながら何年間にも渡ってたった一人で描いたという。また,『最後の審判』は,筋骨隆々とした肉体を描き,多くの画家にも多大な影響を与えたという。二つとも素晴らしい絵画で大きな感動を覚えたが,その作者であるミケランジェロの不屈の精神と創造力に畏敬の念を感じた。誰かが言っていたが,システィーナ礼拝堂のためにミケランジェロの絵があるのではなく,ミケランジェロの絵のためにシスティーナ礼拝堂があるのだと思う。もっともっと長い時間見ていたかったが,そうもいかず,多くの人たちに押されるようにして礼拝堂を出た。
 樋口さんからサンピエトロ広場の所まで案内してもらい,参道にあるセルフサービスの店に入って昼食を取った。サラダ,サーモン,パスタ等を選んだら,あまりにもが多く,残してしまった。
 食事を終え,12時半頃サンピエトロ広場に行くと,あの広い広場の端から端まで行列が出来ている。午前行事があり入れなかったので,午後1時からの入場だとのこと。最後尾に並ぶ。1時から動き出して,俺達が入ったのは2時半を過ぎていた。大聖堂に入り,向かったのはミケランジェロの傑作『ピエタ』の像である。これも,大学時代から本で見ていつかは本物を見たいと思っていたものだ。願いが叶い,ついに本物と対面する。人をかき分け一番前で見る。思っていた以上の素晴らしさだ。マリアの美しさ,慈愛に満ちた表情,そして柔らかな衣服の襞,ミケランジェロ24才の時の作品という。改めてミケランジェロの素晴らしさに脱帽した。ローマまで来て,並んで良かったと思った瞬間であった。大聖堂の中は,色々な彫刻や装飾が施されていて,やはりカトリックの総本山だと感じた。
 大聖堂を出ると,まだまだ列が続いていた。広場からサンタンジェンロ城まで歩き,橋の上の彫刻群を見る。ベルニーニ作の作品(レプリカ)を見るが,「ピエタ」を見た後は印象が薄い。バスに乗り,ホテルに帰る。
 夕食はホテルの近くのレストランに入り,ローマピザを食べる。俺の石窯で焼いたピザも捨てたもんではないと,自信を深めた夕食であった。
 今日は,まさにミケランジェロの日であった。