6月27日の朝、両親の家へ行くと鍵がかかっています。
そして呼ぶと母が返事をします。
父は外なのかなと思い裏の方にも呼び掛けますが父の返事がなく
母がカギを開けようとしています。
そう言う事はめったにないので少し嫌な予感。
鍵が開き入ると父があおむけですでに体が硬くなっています。
その時点でもう覚悟はできましたが。
一応救急車を呼びます。
一応蘇生を試みましたが無理なのはわかりました。
その後自宅の死亡と言うことで警察の鑑識が来てその後かかりつけの個人病院が
ないため、警察署に搬送、死因判定などをしてもらいます。
事件性はないと言うことで、死亡推定時刻は26日(月曜)の夜9時頃ということでした。
死因はやはり心臓疾患で以前の記事でぺースメーカーを拒否しましたがその関連
だと想像できます。
そのことに関しては父も自分のある程度納得できているのですが、あまりにも急でした。
心不全と言うことでそういう風なことになるとは思うのですが、事前に何らかの兆候が
あると言うことは無く当日(月曜)の昼ごろJAの稲作の講習会も普段通りで
近所の稲作農家の数人とも話しておりその時も元気でした。(自分は家から少し姿を見ただけ)。
全く突然のため、父の印鑑の場所や健康保険の場所さえわかりません。(母は認知症で死んでる父が
一緒にいても気づかないくらいでどこに何があるかなんて全く分からない)
その点に関してだけがもう少しどうかできたらと言う気持ちがあります。
3月3日
元乃隅稲成神社
3月20日
下関の火の山公園
5月13日
大平山
そして先週金曜川棚クスの森で撮ったこの写真が最後の写真になりました。
ドライブに頻繁に誘ったのもやはり何か感じるものはあったのだと思いますが
此処まで急とは本人も思ってなかったのでは?
昨日(29日)が告別式で今自分の家に遺骨として帰ってきました。
(祭壇が実家にありますが母もこちらで同居するので臨時に)
認知症の母も父の死についてははっきり認知してるようで(これから自分の家で暮らしますが心配です)
1日寝ても覚えていて、式当日棺桶に花を入れる時「じいちゃん何で死んだの~」とずっと近くで色々よびかけてました。
それはドラマの一場面のようで、プロである冷静な女性の司会者さえ涙を流しておられました。
自分は喪主として通夜や告別式で挨拶しましたが涙で言えないと言うことが想像できていた為短い文章を印刷していましたが
それでもなかなか読めませんでしたが心を込めて父のためお越しくださった人に感謝の心を込めて読みました。
通夜では地元の人も多く来られて小さいホールしか空いてなくて
外で臨時に椅子を設けることになり。自分の想像以上に地元の人に愛されていたんだな思いました。
オフ会参加を急にキャンセルして幹事の若隠居さんをはじめとし多くの参加者の人にご迷惑ご心配をかけ申し訳ございません。
特に車好きオヤジさんは神戸から一緒に行くことにしていましたが突然いけなくなりすみませんでした。
迷惑おかけしたにもかかわらず励ましのメールや弔電まで、温かい心に感謝します。
楽しいオフ会に水を差すのではないかと言うことだけ懸念しています。
当日持っていくつもりで買っていた獺祭だけでも送ろうと思っていましたが間に合いそうもないし、自分もまだ心の整理がつかず
悪い夢でも見てるんじゃないかと言う感じで余裕がありませんでした。
でも楽しいオフ会やその後のブログ記事など自分のことは気にしないでお願いします。
案内役のオジジ~さんもその点に関しては大丈夫ですよと言われましたが。
それだけが心配で何とかブログをアップしました。
今回のことで多くの人の温かさを感じました。ありがとうございます。
妻にも随分助けられました。
心から妻と結婚して良かったな~と思いました。
最後が妻のおのろけですみません(笑)