『絵のある陶磁器~仁清・乾山・永楽と東洋磁器』 三井記念美術館 ※6月26日(日)まで
先月半ば、“冒険の土曜日”に土砂降りの中を行ってきた。
三井記念美術館はしばらく休館していて、このたびリニューアルオープンしたわけなんだけど、
個人的にはだいたい半年~1年に1回ペースで訪れるので、そんなに御無沙汰感はない。(前回訪問も昨年6月だったし)
お目当ては野々村仁清の華麗な色絵と永楽家の保全・和全親子の競演。
仁清は最初にちょろっと。やはりお茶碗がステキだなぁ。
そして、保全と和全。
三井家は永楽家のパトロン的存在だったらしいので、コレクションが充実している。
かなり以前、三井記念美術館がオープンして1年経つか経たない頃に「永楽 保全・和全」という展覧会があって、
これがすごかった。 ※サイトで確認すると2006年4月~7月頭に開催。
その時は永楽家の歴史を知らなくて、ただただボーっと圧倒されながら眺めていただけだったけど、
その後に永楽家9代~17代の歴史を知って、保全の天才ぶりを感じてから、「ちゃんと見ておけばよかった」と後悔しきり。
だから、今回はあの時の展覧会がリバイバルされたような展示内容に満足した。
保全、そして和全の作品がこんなに充実している美術館なんて、おそらくここだけなのでは?
(香雪美術館もすごかったけど)
そして、永楽保全の技術はやっぱりすごい。
染付、色絵、祥瑞、交趾となんでもござれ。安南写も「どうして、こんなに精巧に写せるの?」と思うほど見事。
金襴手なんか、本当に細工が細かくて精緻でカッチリしていて。完璧主義だったんだろうなぁと性格すら想像できる。
そして、和全。天才を父親に持ってやりにくかっただろうなぁ。
枯れも精巧で細かくて、技術力も負けず劣らず~と言いたいところだけど、鑑賞が進むうちに「あれ?」
思わず振り返って、保全の金襴手まで戻り、見直してからまた和全の金襴手に戻る。
「細工そのものは明らかに保全に劣っている」。
やっぱり、秀才は天才に叶わなかったかぁ~と思いながら、さらに見進めて、「あ!」と新たに気がついた。
そうだ。材料が違うんだ。
保全と和全、その用いた釉薬の室に明らかに違いがある。
おそらく保全は充分すぎるくらいの資金を背景に高価な材料をふんだんに使って、作品を製作したのだろう。
そして、和全はあるものを如何に生かしきるかを念頭に入れながら、創意工夫を凝らして製作せざるを得なかったのではないか。
資金力的に苦しいものがあったんだろうなぁ。このくすみ、悔しかっただろうなぁ。
と察せられる作品が多数。
後から目録を見直して、「やはり!」とナットク。
保全が活躍したのは江戸時代の文政年間から幕末直前の嘉永年間まで。
対して、和全の活動時期は明治時代。
江戸時代後期の文化文政年間は将軍家斉の豪華趣味と時代の安定性もあって、やたら派手だったと聞く。
(そのあおりが天保年間にきて、さらには外国の脅威もあって幕末に突入~)
保全はそんな華やかな文化文政に育ち、のびのびと作陶に励んだ。
そんな天才肌の父を持ち、自分の時代は顧客もパトロンも東京に去り、茶道などの文化がピンチに入った環境で
「わりに合わねっ!」と思いながら、お金の心配をしつつ作陶せざるをえなかった和全。
養子との関係もあったしね。
(不仲かと思ったら、そういうことはなくて協力して永楽家を支えようとしていたらしい)
そういうことをわかった上で作品を見ていくと、和全のすごさもまたわかる。
(そうはいっても、質の違いもあって保全の作品の方が明らかに美術館に収集されている点数が多いけどね)
ただ作品を眺めるだけでなく、その時代背景も併せて鑑賞する。
それを教えてくれた美術館の一つが三井記念美術館だ。
そういえばリニューアルとはいうけれど、展示室内はそういうところがわからないなぁと思いながら、
展示室を出て「なるほど」。
リニューアルされたのはショップのところ。
飲食施設がなくなっていて、グッズショップが広くなっていた。さらには授乳室もできていた。
コロナで飲食物の提供がやりづらくなり、もともと客の入りもよくなかったからリストラしたのねぇ。
(ランチ、美味しかったんだけどね)
次回も茶道具展なので、夏も来よう。
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