今日はY氏がクリニックで最後の透析となる。
私がY氏を書いた記事は4回。
1回目ご夫婦がまだ元気なときのこと。
2回目奥様が亡くなった日のこと。
3回目Y氏一人になってから。
4回目Y氏、息子さんのところに行くことになる。
その後、息子さんが引き取ろうとしたが日中は仕事に出ているため、Y氏が一人になってしまうため施設に1週間預けられた。
「周りが認知症のお年寄りだらけで、自分もそうなりそうだ」 Y氏がこぼしていた。 受け持ちナースが息子さんに「ヘルパーさんを頼んで、自宅においてあげることもできるんです」と言うと、「一人にすると私が心配で・・・」ということだった。
結局、Y氏は娘さんのところに行くことになった。 「娘は嫁にやったから○○家のものだから・・・・」 Y氏も息子さんも、これにこだわったのだが、○○家なんて言っていられなくなったのです。
でも、これが1番いい選択だったと思います。今日はY氏がうちのクリニックでやる最後の透析。娘さんのお宅の近くの病院に、Y氏の書類を送るため、受け持ちナースが準備していました。「書いているだけでウルウルしてくるんだけど」と受け落ちナース。私もそうです。
最後に、Y氏の書いた絵を紹介。 Y氏が書いた絵です。下町の片すみにある、小さな小さなクリニックです。
7050枚――。70歳になったのを契機に、東京二十三区にある様々な建物や風景のスケッチを始め、気が付いたら、それだけの数になっていました。
これは4年前、地方紙に紹介されたY氏の記事の一部です。今は多分1万枚くらいになっているのではないでしょうか。
浅草生まれで、下町育ち。下町を愛して、スケッチし続けたY氏。今日がお会いする最後の日。 いろんな勉強させていただきました。ありがとうございました。