さよならアスタリスク

とある精神病罹患者の雑記 
コンタクトakame_nao@mail.goo.ne.jp

ボリス皇帝

2006-06-18 16:34:26 | Weblog
ビールに氷を入れるという変な癖を習得し
てからどの位経つだろうか。彼女と一緒に酒
を飲んで初めてそれを見た時には信じられなかったが、やってみると以外に美味しい事が解りそれ以来癖になってしまった。さすがに友人の前でやると悪癖だと云われるので慎んではいるが、一人の時はもっぱらこれに限る。
「グリーンランタンで9時過ぎにね」
なんでも時間の後に過ぎをつけるのは彼女のお得意である。
時間をキチット指定してそれに遅れるのは約束違反だし失礼だからその方が良い。というのが彼女の論理なのだが本気なのか冗談なのか判らない論理を持ち出すのが面白い。
私は彼女の言い訳よろしく9時にはキッカリ行って到着までの間公然と酒にありつけるわけである。
酔夢に落ちる前までの彼女の登場をささやかに願いつつ…


いつの間にかこんな遠くに歩いて来ていた。
誰に導かれたわけでもない。
自ら望んでここまでやって来た。
そう思っていたけどそんな事は当に忘れてしまっていた。
まるで夢遊病のように、さすらうように…もう先には進めない。
立ち止まってその足を見てみた。
あぁ紛れもない僕の足。
あぁここは紛れもなく世界の果てだ。
僕の僕自身の世界の果てだ。
この先には僕は行けない。
世界の果てはこんなに美しいけど淋しい処。
世界の果てはこんなにも美しい。
けど君はもっと美しい。

「何の為にあなたはここまで来たの?」
聞き覚えはないが妙に懐かしげな声ではあった。
「誰の為のでもないと思うが…」
私は自分でも信じられない程にスムーズに即答していた。
「ここに来てあなたはなにを得たの?」
声の主は男でもあり女でもあるような微妙な声質であった。
「全てを得たさ。俺が欲しかった全てを得たさ」
「その全てって?」
立て続けの質問攻めに私は少しイライラした。
「答えられないの?」
聞きようによれば少年のようにも聞こえる声が云う。
「あはっ可笑しいな。さっきあなたは自分の足を見たはずよ」
たしかにそうである。そして不吉な事を一つ思い出した。
じんわりと手のひらに汗が染み出すのが解った。
「動揺してるわね。ふふふ」
こんどは少女の声に聞こえる。
あの時私はどうして自分の足を見たのだろうか?
とにかく見た瞬間その異様さに気づいた。
「そうよ。あなたは一歩も進んでなかったのよ」
無常にも声が闇を切り裂いて私の喉元に迫った。
「嘘だ!俺は…俺は…」
喉に何かが詰まって言葉が続けられなかった。
「あなたはここから先に行けないんじゃなくて‥」
「うるせい!」
ありったけの力を腹に込めて私は反撃した。
でもすでに遅かった。
「あなたは最初から何処にも行けない」

カラン…黒ビールの入ったビヤグラスで氷が鳴った。
周りには暗く重いロシア語のオペラが流れている。
「冬にはピッタリでしょう」
カウンターの奥に潜むように座っていたマスターがノソノソと這い出してきた。
「なんて云うやつ?ロシア語だよね」
「ムソルグスキーのボリス・ゴドゥノフですよ。元々ロシアの文豪プーシキンの作品でしてね」
「じゃああの圧制で有名なボリス皇帝の戯曲なんだ」

そんなマスターとのどうでも良い会話がロシア歌劇の重圧を軽くしてくれる事を私は願った。

彼女はまだ来ない。

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2 コメント

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Unknown (ニャーコ)
2008-10-30 07:17:16
貴方は飛べるよ。
ただ自分で羽根が見えないだけ。
自分を信じて。
私の言葉は貴方に届くかな。
貴方の声は私に届いてるよ。
そして
自由に飛べるようになったら
私にもその羽根貸して下さい。
飛んだらライカでいっぱい撮って
プリントして貴方に見せるから。
同時に飛べないかもしれないけど
同じ景色が見れるかわからないけど
記録したモノを見せ合う事は出来るでしょ?。
貴方と色々なモノを共有したい。
一緒に眺めてくれるかな。
今度、漫画を持って行こう。
つまらなかったらごめんよ。

好き。
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Unknown (akame)
2009-08-26 14:05:24
ああ…君の心はわかっている。
ライカで撮ったあの写真を眺めていたよ。
猫だったよね。
でも何処かにいってしまった。
まるで君の後を追うように。
俺もいってしまいたい。
空元気ももう続かない。
自転車操業、火の車。
誰にもこの内情に気が付かない。
この曇天の空の下。
俺は一人咽び泣く。
涙点が黒く地に数を増やし、闇が広がって穴となり、俺は沈んでいく。
底知れぬ…
底知れぬ…
底知れぬ…
底知れぬ…
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