スマイル日和+

子育ては「自分育て」。smile流「自分育て」の日々をつづります。

母であるということ

2011-06-16 | smile world
地震の後、
津波がたくさんの町や村を一飲みにして、
原発の事故がおきて、
たくさんのものが壊れていった。

みんな、とっても考えた。
なぜこんなことになったのか。

これから、どうしたらいいのか。
どこに責任があるのか。

地震のせい?

電力会社のせい?

原発を進めさせた国民のせい?

原発を推進し原発に頼った政府のせい?

真実を見極めれば、
責任の所在や今後の私たちのあるべき姿は
きっと明確になるだろう。

ただ、すぐにしなくてはいけないことを
今すぐ始めなくてはいけない。

今回の事態の大きな問題点の一つは
その時の「とっさの判断力」と
優先すべきことを見誤ったことにあるのかもしれない。
そして、長期的な見通しを持つ目の欠落も。

批判をするのは簡単だけど、
今大事なのは被災地のチカラになること。

日本の将来のための新しい有効な手段へ
第一歩を踏み出すこと。

これらは、単純なことなのだけど
容易ではない。

地震がおきてまもなく、

私に何が出来ると考えた時、
目に浮かんだのは被災地の子どもたちの姿。

親や親戚、兄弟をなくした子。

被爆の危険にさらされながらも
自分の居住地に残っている子。

度重なる余震におびえている子。

様々なことがトラウマになって
毎日を重苦しく生きている子。


子ども達のために出来ることをしよう。

そう思って、あちこちで募金をし、
エールを送り、自分なりの意思表明をしてはみた。

でも、なんだかしっくりこない。

「こんなことぐらいで、なんのチカラになる?」
そんな思いのほうが強かった。

そんな中、
広島で「脱原発で安心して子育てを」と
県庁へ要望書を持って出かけた母親達を知った。

そのグループの名前は
「poco a poco」。

イタリア語で「少しずつ」。
少しずつできることを一歩一歩進んでいく。。。

こんな行動力のあるハハタチがいるんだ!

twitterのTLに流れてきた代表者のツイートから、
関連記事をむさぼるように読んで思った。

私に軽い衝撃がはしった。

今の若いお母さんを軽く見ていたわけではないけど、
「行動する」ことの大変さシンドさは、
いろんな活動の中で感じていたから。。。


そんな大変さより、大事なことを
彼女達は優先したのだ。

エライ!!

心の中で思わず叫んだ。

自分の中にも小さいながらあった選択肢。
それを、明るくほのぼのと、
しっかりと足を地に付けて進んでいる。

正直、広島に住んでいたら
一緒に行動できたのに。。。なんて、
他力本願なことを思う私。

ここまで出来なくても、
私たちの組織で出来ることを
もう一歩足を出せる行動をと、

今、考えている。

彼女達の、母としての当然の行動を
私もおなじ気持ちで受け止め、
広げていく力になりたいと強く思っている。

母であるから。

子どもを産み、育て、守る、
命をつなぐ役目を持った存在だから。。。

それだけで母は
子どもを守るための行動にでるのだ。

私の実母や
私たちの先輩である母達がしてきた行動も

彼女達とおなじ気持ちからであることを、
また再認識する。


「行動を起こすことは容易ではない」

そう思う私が恐れていたのは何?
障害になっていたものは?

人の目? 日々の生活? 仕事?
協力者不足? 徒労? それとも孤立感?



約10年近く前、
自分たちの市に児童館を!と署名を集めた。

が、思うように集まらなかった。

どんな風に集めたらいい?
どこへ行って集める?

仲間と共に考え、行動し、
あちこちへ出向いた。

自分の子どもが使えるうちに
「児童館をつくって!」と。

集めた数どれくらいだったかなぁ。

HPで署名用紙もアップして
がんばったつもりだったけど、
そのうち息切れして。。。

議会には持っていってもらったのだけど、
「児童館づくり」は実現しなかった。

当時一緒にやったメンバーも、
子どもが大きくなるにつれて
ぽつりぽつりと去っていった。

そんなことは、平気だったけど、
私は無力感に襲われた。

主要メンバーが去って、
新しいメンバーが入るけれど、
おなじ意識を求めるのはむずかしい。。。

がんばったって、無理。。。

どこかにそんな気持ちが残っていた。

何が足りなかったのか、
きちんと整理することも出来ないまま
私たちの行動は終わった。

のちに、市が福祉施設を建設するとの話が浮上し
その話し合いに子育て世代も参加して
小学生が安心して遊べる遊び場が身近にないことから、
児童館的施設の併設を強く訴えた。

けど、私たちの意見はまるで相手にされなかった。

静かに過ごす図書の部屋だけでなく、
子どもが子どもらしく、友達とじゃれあったり、
自由な時間を満喫する場所が欲しかっただけなのに。。。

結局、高齢者とボランティア、
発達障害児向けがメインの建物が出来た。

乳幼児が使うプレイルームはあるけど、
小学生には子ども図書室のみ。

やっぱり訴えても無駄なんだ。。。

そんな喪失感を感じたトラウマか
いまだにサークルで利用する気になれないでいる。


こんな風に、

行動を起こすということには、
いろんな弊害も必ずついてくる。

そういう行動を面白く思わない人もいるし、
それを攻撃したがる人もいる。
時にはそれが嫌で行動にでることを躊躇することもある。

でも、今回の地震から見えてきたことは
私たちの子どもだけに限らない、
広く大きく長期的な問題。

子どもに負の遺産を残してはなるまい!

守らなければならないものがあれば、
やっぱり、母は強くなるもの。

母である以上、母だから、
私に出来る精一杯をしなくちゃいけないように思う。

母であるということは、
それだけで崇高な使命を与えられているのだ。

広島の母達のように、
まずは pas a pas でいいから。


母であるということが
「どうしようかなぁ」と迷う私の背中を
いま、押している。

あとは、一歩踏み出せばいいだけ。






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1 コメント

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そうだね (しんた)
2011-06-20 23:58:05
私も原発には反対。それがなくちゃ生活できないでしょ?なんていう人もいるけど、ほんとにそうかしら。新しい家やマンションに太陽光発電つけるだけで、随分違うと思う。昼間に必要のない電器を消すだけでも、みんなでやれば大きな結果を生むはずだよね。あと、個人的には東電が生き残るのも不快。危機管理は危険物を取り扱う会社の使命のはずなのに。納得いかないんだよね。
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