スマイル日和+

子育ては「自分育て」。smile流「自分育て」の日々をつづります。

それぞれの、卒業

2019-03-14 | smile diary
卒業式の日は、
想像していたよりあっという間にやってきた。

中3の息子が中学校で過ごした時間は
100日もなかったけれど

ゼロではなかった分
思い出に残る部分もあったのではないかと思う。

私にとってのこの3年間は、
大きな山と小さな山を登り降りしながら、

多少のことではへこたれない精神力を
僅かながら鍛える日々であったように思う。


彼の小学校「卒業」を思い出す。

不登校が始まって数か月後、
卒業に向けてどうにか学校へ数日間行けるようになり
初心者マークのドライバーのように
ふらふらと不安定だけど
どうにか前に進もうという気持ちに押されていた頃。

卒業式では彼が自分で選んだ服を着て、
学校の先生方みんなに笑顔で「おめでとう!」と言われた。

照れた表情で、
それでもこれからは違う自分だと
心の中で強い決心をしているように見えた。

約1か月後、
中学での日々に息切れをしだして、
とりわけ月曜日の朝は起きれず
昼からの登校は気が引けて休みが続いた。

それでも最初のテストでは数教科を受けて
どうにかこうにか1学期を終えた。

そんな息子の中学時代の幕が明け、
私は息子と家で一緒の日々の始まりと同時に
苦悩と葛藤の日々が数か月続いた。

学校に行かそうという気持ちを捨てたら、
私の気持ちは意外に楽になった。

彼の体と心のケアは欠かさす、
楽しく過ごすことに終始した。

そんなこんなの状況を乗り越えて、
今卒業を明るく迎えられるのは、
私と息子の周りで支えてくれた多くの人々の
たくさんのかかわりのおかげだと思う。

なぜ「私と息子」と言ってしまうのかと言えば
我が家に限ってなのかもしれないけれど…

父親という存在が
「不登校の悩みを共有する」という構図の中に入っていない
と実感するからだ。

夫は夫で自分なりにかかわりを持ち
父親として支えようと
努力してきたことは知っている。

だけど、母親としてのかかわりとの絶対的な違いを
この3年間を振り返ると本当に感じるのだ。

いい意味でも悪い意味でも
そこが我が家の父親の立ち位置なのだと思う。

今はその立ち位置から彼なりに
息子を見守り、支え、励ましてくれたらいい。

私はそう思う。


卒業までの彼の中学生生活は
それはそれは、
彼にしか体験できなかったものなのだ。

辛いことやしんどいことの方が多かったかもしれないけど、
私はそれを共有しつつ彼のそばで成長を支え、
その特殊な経験により私自身が成長できたことも
副産物として喜ばなくてはと思う。

中学へ行かずに過ごした日々が
決して無駄な時間ではなく、
彼の人生にとってマストで
彼の生き方に沿ったものだったのだと実感する。


卒業おめでとう!

人生の一つの区切りとして
卒業があるのだとすれば、
その祝福とはきっと
「この3年間で素晴らしいものを得たね、
 おめでとう!」
ということなのだと思う。


それは、どこでどんな風に過ごしたとしても、
その量や質が異なっていたとしても、
卒業するどの子にも掛けてあげたい言葉だ。

そして、
子ども達と共にその日々を過ごしてきた
大人たちに向けての言葉でもあると思う。

卒業おめでとう!

私は私自身にもその言葉をかけながら、
これからの日々を展望する。

もし、この先に
同じような日々が繰り返されたとしても、
それは「決して同じ日々」ではなく、

成長した息子と私が過ごす
新しい日々なのだ。

どんな新しい日々が
私たちを迎えているのか、
今はそれを楽しみにしながら、

次にやってくる息子の「卒業」までの道のりを
彼を支えながら、見守りながら、
つかず離れず一緒に進んでいこうと思う。

今はその気持ちと一緒に
大きな声でこの言葉を伝えたい。

卒業を迎えた皆さん、
卒業おめでとう!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。