12月10 日(土)はてつがくカフェ@あいづの第2回目でした。奥会津では雪が降り始め、なかなか来ていただくのは大変かなとも思いました。しかし、遠方から来ていただいた方も含めて、今回は8名の参加でした。
今回のテーマは「おいしいってなんだろー?」がテーマでした。前回のてつがくカフェの2次会から『食べるとかおいしいとかをテーマにできないかね~』という非常にざっくりした話から今回のテーマになりました。世話人たちも「これでどういう話になるんだろうね~」とずいぶん頭を悩ませましたが、結論から言えば「え~い、やっちゃえ(笑)」という感じです。
今回もてつがくかふぇ@ふくしまのような丁寧な解説やまとめはとても出せそうになりので、カフェに参加した方の気になる一言(つぶやき?)だけ抽出してみようかと思います。すぐに結論に行きつかなくても、折をみて考え続けて欲しいので、こういう形で残しておこうと思います。
<まずは第一声 >
〇 自分が「おいしい」と言っても、他の人が「おいしい」とは限らない。おいしいとは自分勝手な感情なんだと思う。そうだとしたら、みんなが共有できる「おいしい」とはどういうものなのか?
1 「おいしい」とは普遍的なものなのか?
〇 「蓼食う虫も好きずき」とあるように、味覚はあくまでも主観的なものだけど、客観的に「おいしい」のだろうか。でも、ちゃんと本当においしいものはおいしい。
〇 うま味を感じるときは安心であったり、その時の気持ちなど直接的な感情が伴う。
〇 味覚が育っていないと、おいしいと感じることはできない。納豆のように日本人が食べておいしいけど、外国人にはダメのようなものもある。味覚には文化などいろいろなバックグラウンドがある。
〇「おいしい」の反対の「まずい」の定義は簡単。でも、おいしいの定義は難しい。
おいしいとは「まずくない」もの。
〇 人が最初の覚える味覚が「甘味」で、「苦味」・「酸味」・「辛味」は本来は毒。味覚を学習し、それらが「おいしい」に代わっていく。大人になるとわざわざそれを摂取しようとする。
〇 それは「コミュニティ」に参加するという味覚以外の感情、たとえば、高揚感農ようなものでは? 特にお酒などは。
〇 外国の食べ物を食べて、おいしくはないけど、「おいしい」と言ってしまう。社交辞令だけど、コミュニケーションを円滑にするには仕方がない。コミュニティや社会で「おいしい」が決まっているのでは?
2 「おふくろの味」は「おいしいのか」?
〇 手間をかける=愛情=おいしい ⇔(反論)「手間のかけ方によって台無しになる」
〇 手抜き料理の代表であるインスタント食品もかなり「おいしい」レベルにきている。「おいしさ」と「商売」が結びついて、洗脳に近い。
〇 手作りのよさは、食べる人の体調を考慮できること。
〇 よそのうちの食事がなぜか食べれない。レストランで出された食事は食べれるのに。
〇 友達の家で食べてごはんで他の食文化に触れた。友達のお母さんに怒られて、三角食べができるようになった(笑)。
〇 手間暇をかけることがおいしさ。そして、それは金額に反映される。
〇 3700円のさんまのペペロンチーノ(ペペロンチーノの上にさんまが丸々一匹)をどうみるか?いろいろと手間がかかっているのだろうか?
〇 飲食店をやっていると原価がわかるから、安すぎると逆に怪しい。
〇 調理とはもともと鮮度を保てない食品をおいしく食べるための工夫なのでは。それがいつのまにか美食ブームなどで付加価値的になっている。
〇 1本10万円のワイン。本当においしかった。 ⇔10万円という情報をしってしまったからじゃないのか? 「おいしい」を脳で感じているのでは?
3 味覚は記憶できるか?
〇 水・湿度などの違いがあるのでは? 東京で食べたマカロンはただ甘いだけだったけど、フランスで食べた同じマカロンはとてもおいしかった。
〇 ソムリエは味の分析とかその時の感情や体調に左右されるようではプロとは呼べない。
〇 レトルト食品を食べなれている人たち(特に若い世代)とその上の世代と「おいしい」の世代間格差がおこっているかもしれない。旅先でおいしいものや特産品を食べようとを選ぼうと同時に、日本どこでも安定の味を求めてしまう気持ちがある。
〇 いろんなものをおいしいと思う豊かさ(多様性と言ってもよい)が必要だし、いろいろな経験をさせる環境が必要。
〇 味は覚えていられないが、食べたときの感動を覚えられる。
〇 コンビニのスイーツはうまい。レベルが上がっているが、下手ウマみたいな感覚。
〇 「おいしい」を考える幸せ。それができない人がいるし、選択ができたからこそ起こる問いである。
〇 専業化⇔多角化 コンビニに置けない商品だからこそ価値がある時代
〇 誰にとっておいしいと思うものを作るのか? 作り手?or客のニーズ
〇 毎日おいしい創作料理はつらい。食べなれたものを食べることで、基準が戻る。
おふくろの味がおいしく感じるのは自分の基準だから。
〇 庭のトマトを朝とって食べるのがとてもおいしいと思っていたのに、原発故後は早々思えなくなってしまった。おいしさにフィルターがかかってしまった。
〇 安全はおいしいの前提である。いまは食の安全が高くつくようになってしまった。
〇 会津人の「そばと日本酒」のおいしいの基準といわきの人の魚のおいしいの基準は全く違う。みんな95点以上で競っているようなレベルなのでは???
今回も随所に深く考えさせられたり、面白かった話がたくさん飛び出ました。今回の話を今後もみんなで考え続けたいと思います。てつがくカフェ@あいづも今年なんとか2回開催することができました。次回てつがくカフェは春くらいにはやりたいなと考えています。来年1月には次の日程をご案内できると思います。来年もてつがくカフェ@あいづをますますよろしくお願いします。
(文責;林)
今回のテーマは「おいしいってなんだろー?」がテーマでした。前回のてつがくカフェの2次会から『食べるとかおいしいとかをテーマにできないかね~』という非常にざっくりした話から今回のテーマになりました。世話人たちも「これでどういう話になるんだろうね~」とずいぶん頭を悩ませましたが、結論から言えば「え~い、やっちゃえ(笑)」という感じです。
今回もてつがくかふぇ@ふくしまのような丁寧な解説やまとめはとても出せそうになりので、カフェに参加した方の気になる一言(つぶやき?)だけ抽出してみようかと思います。すぐに結論に行きつかなくても、折をみて考え続けて欲しいので、こういう形で残しておこうと思います。
<まずは第一声 >
〇 自分が「おいしい」と言っても、他の人が「おいしい」とは限らない。おいしいとは自分勝手な感情なんだと思う。そうだとしたら、みんなが共有できる「おいしい」とはどういうものなのか?
1 「おいしい」とは普遍的なものなのか?
〇 「蓼食う虫も好きずき」とあるように、味覚はあくまでも主観的なものだけど、客観的に「おいしい」のだろうか。でも、ちゃんと本当においしいものはおいしい。
〇 うま味を感じるときは安心であったり、その時の気持ちなど直接的な感情が伴う。
〇 味覚が育っていないと、おいしいと感じることはできない。納豆のように日本人が食べておいしいけど、外国人にはダメのようなものもある。味覚には文化などいろいろなバックグラウンドがある。
〇「おいしい」の反対の「まずい」の定義は簡単。でも、おいしいの定義は難しい。
おいしいとは「まずくない」もの。
〇 人が最初の覚える味覚が「甘味」で、「苦味」・「酸味」・「辛味」は本来は毒。味覚を学習し、それらが「おいしい」に代わっていく。大人になるとわざわざそれを摂取しようとする。
〇 それは「コミュニティ」に参加するという味覚以外の感情、たとえば、高揚感農ようなものでは? 特にお酒などは。
〇 外国の食べ物を食べて、おいしくはないけど、「おいしい」と言ってしまう。社交辞令だけど、コミュニケーションを円滑にするには仕方がない。コミュニティや社会で「おいしい」が決まっているのでは?
2 「おふくろの味」は「おいしいのか」?
〇 手間をかける=愛情=おいしい ⇔(反論)「手間のかけ方によって台無しになる」
〇 手抜き料理の代表であるインスタント食品もかなり「おいしい」レベルにきている。「おいしさ」と「商売」が結びついて、洗脳に近い。
〇 手作りのよさは、食べる人の体調を考慮できること。
〇 よそのうちの食事がなぜか食べれない。レストランで出された食事は食べれるのに。
〇 友達の家で食べてごはんで他の食文化に触れた。友達のお母さんに怒られて、三角食べができるようになった(笑)。
〇 手間暇をかけることがおいしさ。そして、それは金額に反映される。
〇 3700円のさんまのペペロンチーノ(ペペロンチーノの上にさんまが丸々一匹)をどうみるか?いろいろと手間がかかっているのだろうか?
〇 飲食店をやっていると原価がわかるから、安すぎると逆に怪しい。
〇 調理とはもともと鮮度を保てない食品をおいしく食べるための工夫なのでは。それがいつのまにか美食ブームなどで付加価値的になっている。
〇 1本10万円のワイン。本当においしかった。 ⇔10万円という情報をしってしまったからじゃないのか? 「おいしい」を脳で感じているのでは?
3 味覚は記憶できるか?
〇 水・湿度などの違いがあるのでは? 東京で食べたマカロンはただ甘いだけだったけど、フランスで食べた同じマカロンはとてもおいしかった。
〇 ソムリエは味の分析とかその時の感情や体調に左右されるようではプロとは呼べない。
〇 レトルト食品を食べなれている人たち(特に若い世代)とその上の世代と「おいしい」の世代間格差がおこっているかもしれない。旅先でおいしいものや特産品を食べようとを選ぼうと同時に、日本どこでも安定の味を求めてしまう気持ちがある。
〇 いろんなものをおいしいと思う豊かさ(多様性と言ってもよい)が必要だし、いろいろな経験をさせる環境が必要。
〇 味は覚えていられないが、食べたときの感動を覚えられる。
〇 コンビニのスイーツはうまい。レベルが上がっているが、下手ウマみたいな感覚。
〇 「おいしい」を考える幸せ。それができない人がいるし、選択ができたからこそ起こる問いである。
〇 専業化⇔多角化 コンビニに置けない商品だからこそ価値がある時代
〇 誰にとっておいしいと思うものを作るのか? 作り手?or客のニーズ
〇 毎日おいしい創作料理はつらい。食べなれたものを食べることで、基準が戻る。
おふくろの味がおいしく感じるのは自分の基準だから。
〇 庭のトマトを朝とって食べるのがとてもおいしいと思っていたのに、原発故後は早々思えなくなってしまった。おいしさにフィルターがかかってしまった。
〇 安全はおいしいの前提である。いまは食の安全が高くつくようになってしまった。
〇 会津人の「そばと日本酒」のおいしいの基準といわきの人の魚のおいしいの基準は全く違う。みんな95点以上で競っているようなレベルなのでは???
今回も随所に深く考えさせられたり、面白かった話がたくさん飛び出ました。今回の話を今後もみんなで考え続けたいと思います。てつがくカフェ@あいづも今年なんとか2回開催することができました。次回てつがくカフェは春くらいにはやりたいなと考えています。来年1月には次の日程をご案内できると思います。来年もてつがくカフェ@あいづをますますよろしくお願いします。
(文責;林)