せっちゃんの明るいガン日記

乳ガンで(片パイ→まっ平らになったけど)鬱病だけど人生転んでなんぼ、生きてるだけで丸儲け!せっちゃんのノー天気な日常!!

病院と医療従事者の質

2006-11-19 19:15:18 | 病気のこと
久しぶりにちょっと重いテーマで行こうと思う(笑)って言っても書くのは私だからね。(笑)病気が発覚したとき一番困ったのは病院選びだったのだけど、それには深いような深くないような理由があった。

 簡単に言えば母が最期を迎えた病院があんまりだったのだ。私が今かかっている大学病院は20年前は評判の芳しくない病院だった。受付、医者、看護士、どれをとっても感じが悪く、診てやってるって態度で。入院すれば研修医が下手くそに注射針さしていくし、看護士は怒鳴るし。血管の見えにくい私なんて看護士に「なんなのよこれ?!」と悪態つかれた上にこするんでなく叩かれた。正直シャレにならない病院だったのだ。でもあれから月日は流れ今ではなかなか良い病院になっている。
評判の良くなかった頃、母は子宮筋腫で入院手術し、数年後私も盲腸で入院手術した。そんなこともあって、ずっと経ってから体調を崩し手術だ、入院だになったらなるべく違う病院をと探したのだ。

 私は自分が子宮筋腫を患ったとき行ったのは末っ子を出産した産婦人科だった。母は医療生協の病院に乳ガンが分かってかかった。

 外科の医者は腕は良いが人間性にかなり難ありの人で、自分が同病になって思うことは抗ガン剤の知識とか乳ガンそのものの知識とか薄かった。母は肺に水が溜まり最期は内科にかかったのだが科が移ったら顔一つ出さず、私的にはかなりむかついている。

 内科に移って主治医はいい人だったが、肺に水が溜まったことで処置などは呼吸器の専門と言うことになっている副院長が担当したのだが、この人は3流の医者だった。診ているのは検査結果とレントゲン写真だけに思えた。
水が減ったかどうか1週間に何度もレントゲンを撮るなんて素人が考えても納得いかない。健常な人だって半年に1回にとどめるのが普通のものを弱ってる患者にするなんて・・・・家族が見る度弱ってておかしいのがありありだったのに、彼は「大丈夫」とくりかえしていた。見るのはレントゲンの結果と検査結果。本人を診ていたとはとっても思えないのだ。

 そうして、この病院に思いっきり腹を立てた原因は1人の看護士だ。

 年配の看護士なのだが、母が病状悪化で個室に移った日私に対しては「悪化したから個室に移ったの。そういうことだから」と言い、移ったその晩咳き込み苦しくて入ってきたその看護士に『助けて・・・』と訴えた母に対し「私に助けてって言われてもねぇ・・・』といったのだ。
 運悪く亡くなった当日その人が夜勤で最期もそいつに当たってしまった。

 普通のパジャマしかなかったら着替えが面倒だったのか「だからこういう時は着物が良いのよ」口をあけたまま亡くなった母のあごを手で開けたり閉めたりカタカタ。家の子供達も怒り出す始末。

メイク用品を病院で借りたらファンデーションが残り少なくて付かなくて叔母が困っていたら、あろうことか「こんな病気で死ぬ人が化粧乗りがいいわけないでしょ」とのたもうた。

 そこで殴って傷害事件にならなかったのは皆沈んでいたから。

後日手紙を送り婦長と主任が謝りにきたけれど、一生忘れないわよね。あの人はろくな死に方しないとおもうけど。個室に移った日の発言の時点でかなり??マークだったけど、質が悪すぎる。

 それでも、患者の家族って人質に取られてるようなものでなかなか文句言いづらい・・・それをいいことに言いたい放題は許せない!!


 また、私は最初筋腫を手術した病院でマンモグラフィーをとってもらったんだけど、外科がないから悪性となったら別の病院にいくわけね。その時産婦人科の院長は自分が卒業した大学病院をしつこくプッシュ!

 家から遠い、以前副学長がエイズの裁判で有罪判決を受けたT京大学病院(笑)に行け行けいうわけよ。

 あのさ~~家から遠いんだつーの!家族だって見舞いに困るじゃんよ。通院だって遠いんだよ。

 患者の側にたって少しは考えてくんない??(--;)

 別の病院に行きたいと言ったら明らかに機嫌悪くなりやがってさ~~『ちゃんと再建までやってくれるんだよ?!』だと。脅迫かいな・・・・??別にいいのよ片パイでさ。大きなお世話なのだ。

 今現在は幸せに闘病してるけど、ここにくるまでにはいろ~~んなことがござんした。(ため息)