今日は5回目の母の命日。
あの日からもう5年も過ぎたのかと不思議でならない。
母がいなくなって、最初に思ったこと。。。。なんだったろう??
前日、父と呼吸器の専門医と称する副院長に「酸素ボンベぶら下げて帰れるようにしてあげるからね」っていわれてたのに。次の日の夕方危篤!!
胸水がたまっててもう少しで消失しそうだからと2度目の処置を行って数時間後だった。
どっちにしても大量の胸水がたまった状態だったからそうは生きなかっただろう。高齢で抗がん剤も体力がすでに無くて使えず機械で常時水を抜き胸膜癒着術を行った。なくなった日は2度目の処置の日だった。
そもそもこの2度目の処置は必要なかったと思うし、日に日に弱ってる母に止めを刺す殺人行為だったと亡くなった日からずっとそう思ってる。病院の前を通るのは今でもとっても嫌で極力違う道を通る。
2~3ヶ月は持ったであろう母の命を39日に削ったのは佐藤ってあの医者だ。そして馬鹿の看護師だ。5年経った今も許すことができない。
夜勤の看護師は母を散々侮辱した。
たぶん、許すと言う行為は自分を解放することだ。5年経っても許せないっていうのは人間が小さいのかもしれないし、自分の体調にとっても決して良いことじゃないことは分かってる。
でも、彼女は病院の化粧品がかすかすで付かないのを「こんな病気で死ぬ人が化粧なんか乗るわけないでしょ」と言い放った。着物の寝巻きが無いことをぶつくさ文句を言って「だからこういうときは着物が良いのに」と言った。ほかにもいろいろなくなる数日前処置が苦しくて「助けて。。。」と訴えた母に
「あたしに言われてもねぇ。。。。」と言ったそうだ。
病院には後日ほかの患者さんにもそういう態度なんじゃ困るから苦情の手紙を書いた。母が亡くなって2週間後のことだった。私だってどんな酷い仕打ちであっても、どんな文句を言っても母は帰ってこないのだからと何度も納めようとしたのだ。
あの日の記憶はほとんどない。死ぬと覚悟していなかったし頭の中が真っ白になり、父が母の遺体にキスして私の背中に手をあてたことくらい。
つらかったなぁ。。。。
あれから5年。。。数日後私は3度目の乳がん手術だよ。