透明人間たちのひとりごと

アリとセミの物語 <11>

 つれづれなるままに、ひぐらしパソコンに向かいて
心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書き付くれば
あやしゅうこそ、ものぐるおしけれ …

 ( 暇にまかせて、一日中パソコンに向かい心に浮かぶ
とりとめもないことをなんとなく書き連ねていると不思議と
夢中になり我を忘れてしまうのです…)

 現代版仕様の 『徒然草』 (吉田兼好) …、

 それが <透明人間たちの気まぐれ日記> なのです。

 ところで …

 イソップの 『アリとセミキリギリスの物語』 も、
突き詰めてしまえば、

  「ゆく河の流れは絶えずして、
       しかも、もとの水にあらず」


という 『徒然草』 と同時代(中世日本)の代表的な随筆
『方丈記』 (鴨長明)の一節が 端的 に表現している
ような <無常観> を背景にして「生きるとは何かexclamation2
、「人はどう生きるべきなのかeq」 との問いを未来の世
に発している物語だったのです。

 そのためには、アリ たちの共演者は、絶対に セミ
なくてはならなかったのですが、伝播していく過程において
定着してしまった キリギリス というキャラクター
のイメージが先行してしまい物語のフィナーレを何とも危うく
怪しいものにしてしまったことは重ね重ねにも残念であった
と言わなければなりません。 

 先に、世の中の仕組みを 八百長レース という
かたちで説いているのが 『ウサギとカメ』 の物語で、
個々の自由な選択と自己責任による自主・自助的な生き方
を示唆するのが、『アリとセミキリギリス の物語
なのだと書きましたが …、
 
 「これから先、自分たちはどうなるのだろうquestion2」 などという
不安感に苛(さいな)まれ、一寸先の未来さえも見通しにくい
今の時代をどのように生きればいいのかと苦悩する現代人
に、イソップは アリ の口を通して 「夏に歌っていたなら、
冬には踊っていればいい
」 と言わせてみせたのです。

 つまり、それは 皮肉 でもなんでもなく、

 「この世の中は、明日がわからないからこそ、素晴らしく
面白いのだ」 という予定調和的な人生や安定を捨て去って
自分らしく楽しく愉快に生きることをすすめる話だからです。

 「大安心」 も 「大丈夫」 も、用意されているものではなく
自分の心のうちにしかないのだから、世間に縛られること
なく自由な心根を持って楽しく生きようとするものなのです。

 <ワーキングプア川柳> にも見られるように

 「働けど じっと手を見る 暇もなし」 と嘆き
、つぶやくような、それこそが、働きアリである非正規雇用の
人たちの風刺は憐れで哀しいものです。

 でも、正社員ならば、あるいは、安定した雇用に恵まれて
いれば、それだけで本当に幸せなのでしょうかeq

 たとえば、『アリとセミの物語 <7>』 のなかで、
一匹のアリ が巣穴を守ろうと、賢者の足に咬みついたが
為に、近くにいたすべてのアリ という アリ が無残にも
踏み潰されてしまったという アリ にとっては甚だ不条理で
悲惨な出来事も、人間にとっては賢者とされるような者でも、
とかくありがちな取るに足らない行為であって、船を沈めた
神の審判に対して不服を唱えるなどおこがましい限りである
とする 『賢者とアリたちとマーキュリー神』
という話を思い出して欲しいのです。

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/216.html(参照)

 戦乱のさなかにいなくとも、人はいつ死ぬかわからず、
明日がどうなるのかもわかりません。

 突然の天変地異による災害に襲われるかもしれないし、
不慮の事故や病気に見舞われるかもしれません。

 <無常観> というと、『平家物語』 の冒頭で
詠まれる 「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」 の
音韻が連想させるのか、どこか投げやりで主体性に欠けた
消極的な生き方をイメージしますが、『アリとセミ』
物語に漂う <無常観> は、「未来のことは誰にも
わからないのだから、今を大切に楽しく生きよう
」 とする
セミ に投げかけられた アリ からの侮蔑を装ったかたち
での応援 メッセージ にあると同時に、前向きで積極的
アドバイス でもあったのです。

 「夏に歌っていたのなら、冬には踊っていればいい

 そうです。 冬には 踊れば いいのです。

 仮に、勉学に励み、いかに能力の高い努力家であった
としても、自力で道を切り開けないことは多々あります。

 正規の社員として採用され、安定した収入が得られたと
しても、それだけで一生が保障されるわけではありません。

 社内の出世争いや派閥抗争に巻き込まれたり、突然の
社会情勢の変革や経済状況の変化によって企業倒産の
憂き目に遭ったりするかもしれません。

 そもそも、出世名誉成功といった勲章
本当に大切なものなのでしょうか

 そして、 巷でよく言われるような
   
 「今日より明日が良くなる」 というを信じる
ことは、果たして本当に意味のあることなのでしょうか

 一体全体、何をもって、昨日今日明日
良し悪しを比較するというのでしょうか


  と言えば、『邯鄲の夢』『胡蝶の夢』
といった故事や説話が思い出されます。


 ―― 『邯鄲の夢』 (黄粱一炊の夢) ――

  出世を望んで邯鄲(かんたん)の都にやって来た青年の
 盧生(ろせい)は、栄耀栄華が思いのままになるという枕を
 呂翁という道士から借りて仮寝をすると栄枯盛衰の半世紀
 に渡る長い人生を夢に見たが、目覚めてみれば眠る前に
 蒸していた黄粱(こうりょう)がまだ蒸し上がってもいない。

 すべては束の間の出来事だったという唐の沈既済の小説
枕中記』にあるもので、栄枯盛衰のはかなさを喩える故事
として、「邯鄲の夢」のほかにも、「一炊の夢」、「黄粱の夢」、
「邯鄲の枕」、「盧生の夢」などの言葉が生まれています。

 詳しくは、exclamation http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-066.htm(参照)


  ―― 『胡蝶の夢』item3item3item3item3item3item3 )――

  昔のこと荘周(荘子)は夢の中で胡蝶となっていました。
 嬉々として胡蝶になりきっていたのです。

  愉快で楽しくて心ゆくまでひらひらと舞っていたのですが
 自分が荘周であることは全く念頭にはありませんでした。

  ハッと目が覚めると、なんと自分は荘周ではないかexclamation2

  はて、荘周である私が夢の中で胡蝶になっていたのか、
 実は、自分は胡蝶であって、いま、夢を見て荘周となって
 いるのか、いずれが本当なのか 私にはわからない。

  荘周と胡蝶とは形の上で区別があるが、主体としての
 自分には変わりはなく、これが物の変化ということなのか。

 この説話は、無為自然、一切斉同という 荘子 の考え方
が顕著に現れていて、荘周、胡蝶のいずれが真の姿なのか
が問題ではなく、いずれも真実であり、己自身であることに
変わりはないのです。

 清と濁、是と非、正と邪、善と悪、生と死などの対立構図に
<夢と現実>があります。

 いずれが真実であるかを論ずることよりも、そのいずれを
も肯定して、それぞれの姿で楽しく生きればいいのです。

 そうですよね。

 「夏に歌っていたなら、それこそ
     冬には踊っていればいいのさ」


 とばかりに、腹を括(くく)る ことさえできれば、別に
どうってことはないのです。

 覚悟を決めるという意味での <腹を括る> という
言葉にしても、<腹を据える> と<高を括る> の混同に
よるもので、比較的最近(インターネットによると昭和51年の
夏の甲子園大会)から使われ始め、いつしか(れっき)
した日本語としてまかり通っているようですし、結局のところ
「何が正しくて、何が間違っている」 などと、いちいち目くじら
を立てるから、ややこしく生きづらい世の中になるのであって
もっと前向きに symbol7 ケセラセラ …」 と歌い踊れば
いいのです。

 <歴れっきとした日本語の用法についても …、

 漢字変換では、<列記とした> としか変換されないこと
から、今では普通に <列記とした>表記する文章を
よく見かけますが、いずれ彼(か)の日には、誤記や誤用の
謗(そし)りもなくなるのかもしれません。

 「ゆく河の流れは絶えずして、
       しかも、もとの水にあらず」


 しかして …

 「万物は絶えざる変化を繰り返すものですが、その実では、
本質において何ら変わらない」 という荘子万物斉同
の世界で遊んでみるのも一興かもしれませんよ

 あるがままに、みんながみんな本質では同じなんですから

 老子荘子イソップ も …

 アリ でも セミ でも キリギリス でも …

 そして、

 皆さん世界中人々も …

 すべては心の持ちようなのですよ …。

 symbol2symbol2 『アリとセミの物語』 symbol2symbol2

 これにて、一応完結 です

コメント一覧

リアルなアリとセミ
こんな風に言える人は相当に精神の強い人だけです。
一般人はなかなかケセラセラなんて達観できませんよ!
透明人間1号
〇〇〇〇〇さん。

あなたの仮称は、イトを抜いた怪力ヘラクレスですね。

つまり、ヘラクレイトスが正しい呼び名でしょう。
〇〇〇〇〇
「万物は流転する!」

だけど僕は、あの日から何も変わっちゃいない。

でも、これでわかったよ。
なるほど、本質は何ら変わらないんだ。

抜糸した記憶喪失の怪力〇〇〇〇〇が僕の代名詞です。
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