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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 聖骸布(改)

 「聖骸布」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

 

ダ・ヴィンチの罠 聖骸布 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

goo blog

 

 url『ダ・ヴィンチの罠 聖骸布』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで70作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 聖骸布(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 「罠」を構成する立体パズルの組み立て
に関する『設計図』『展開図』解説
、一旦、中断して『モナ・リザ』
に隠蔽されている「謎秘密」について追求
してみたいと思います。

 「モナリザの微笑み」 と言っても、
彼女の目元は笑っていません


   『モナ・リザ』の目元 meisterdrucke.jp

 むしろ、猜疑心に満ちたドヤ顔に映る目で
睨まれているようにも感じます

 こうした、

 『モナ・リザ』めいた秘密
端的に表現すれば、この世界の森羅万象

 
   『モナ・リザ』の目元 meisterdrucke.jp

 と、姿「何者」であるかを
「疑え !!と問うているようです。

 そこで、敢えて、

 府会をすれば、「ありのまま」を疑い
つつも「あるがまま」直視しろ!
と、でも言っているのでしょうか

 つまり、それは、

 双対する正多面体(プラトン立体)の如く、


     プラトン立体 watson.jp

 「虚心坦懐に疑い、受容せよ」
とばかりに対極(裏返し)の融合を諭して
いるのかもしれません。

 ところで、

 「自分も含めたこの世のすべてが虚偽だと
しても、そのように疑い意識する自分だけは
その存在を疑い得ない」

 すなわち、

 「自分は存在していないのではないか、と
疑っている自分自身の存在を否定することは
できない」として ・・・


     ルネ・デカルト reomsd.com

 symbol2kirakira2 フランスの哲学者ルネ・デカルト
「我思う、ゆえに我あり」と言いました。


    フランスの哲学者デカルト clubt.jp

 本当にそうでしょうか❓

 ダ・ヴィンチが、 として思い描いていた
「仮想劇」とは、妄想が現実をバックアップ
して試行錯誤する世界を繰り返し上映・上演
しているバーチャル・シアターにおける
「シミュレーション劇」なのだそうですが、

 その空間が、

 どのような次元で どんな領域のスケールの
ものか見当もつきませんが、仮想現実の住人
には自分がシミュレーションの世界で暮らして
いることに気づくことはないと言います。

 ならば当然、小生も皆さんも、ダ・ヴィンチも
想像を巡らすことしかできないはずですが、

 500年も前にダ・ヴィンチはシミュレーション
世界を模した「罠」を構築していたのです。

 そこに思い至るには幼少時における洞穴
(洞窟)での神秘体験が影響していたのでは
ないかと推測されますが、 

     
    画像元:takashi1016.com

 その詳細については、

 url『ダ・ヴィンチの罠 松果体』
 url『ダ・ヴィンチの罠 白日夢(改)』

 などを参照してみてください。

 さて、ここに、

 驚愕の秘密を知ったレオナルド・ダ・ヴィンチ
『モナ・リザ』の目に秘匿した知られざる
真実を物語る一枚の亜麻布があります。

 長さ 4.4 m、幅 1.1m の杉綾織の亜麻布の
正体は トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管(保存)
されている「聖骸布」です。

 この聖遺物として、つとに知られる有名な
「トリノの聖骸布」ですが、


    「聖骸布キリストの顔」rekisi.info

 その埋葬布に写し出されている人物は、
イエス・キリストではありません。

 リスク覚悟で、

0_e0
       「聖骸布キリストの顔」 karapaia.com

 強弁すれば、その人物は、洗礼者ヨハネ
を想定したレオナルド・ダ・ヴィンチ自身
の姿だったのかもしれません。


  「聖骸布キリストの顔」 karapaia.com

 唐突に飛び出した「トリノの聖骸布」が、
『モナ・リザ』秘密いったい


   『モナ・リザ』の右目 Nick Pisa

   
     『モナ・リザ』の左目

 どのようにつながるのでしょうか

   
    『モナ・リザ』の左目

 その解説に入る前に『聖骸布』来歴
および信憑性についてですが、

 来歴(略歴)によると、

 「聖骸布」は、1353年にフランスのリレ
で発見され、ダ・ヴィンチが生まれた翌年の
1453年にサヴォイア家の手に渡り、トリノに
移動後の1983年にサヴォイア家からローマ
教皇に所有権が引き渡されたものとされて
いますが、現在は トリノ大司教の管理下に
置かれ、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ
(聖ヨハネ)大聖堂にて保管されています。

 尚、1532年には、フランス・シャンベリの
教会にて保管されていた際に火災に遭い
、一部を損傷するも、1534年に、聖クララ
修道会の4名の修道女によって損傷部分
には継ぎ当てが施され、裏側には当て布
が縫い付けられます。

 「聖骸布」の真偽については、いまだに
熱い論議が続けられていますが、バチカン
(カトリック教会)は、今現在に至っても真贋
に関する公式な見解を示していません。

 すでに、

 1988年に実施された放射性炭素年代測定
の結果によると、亜麻布が織られた時期は、
西暦1260年から1390年の間であり、イエス
の時代からは、かなり未来のものであると
の鑑定がなされましたが、


   「聖骸布概要図」 rekisi.info

 他方で、2005年には別の研究者グループ
が「1988年の調査では中世に付け足された
継あての部分を測定しているので、実際は
1300年~3000年前のものである」との主張
を発表します。

 さらに、

 2009年にはエルサレムで、はるか昔から
封印されてきた洞窟墓からイエスの時代の
埋葬布が初めて見つかります。

 イエスの遺体を包んでいたとされている
「トリノの聖骸布」については 前述した
ように、真偽をめぐる論争が絶えませんが、


   新発見のキリスト時代の埋葬布 natgeo.nikkeibp.co.jp

 新しく発見された埋葬布は、単純な織り方
の亜麻布と毛織物を継ぎはぎした混毛です。

 それに対し、「トリノの聖骸布」は単一
の織物であり、織り方にしても複雑な杉綾織
が用いられています。

 エルサレムの周辺域で、このような織物が
登場するには中世まで待たねばならないと
する調査報告もあり、「トリノの聖骸布」
の信憑性には大きな疑問が持たれます。

   

 当時の実際の埋葬布が発見されたことで、
「トリノの聖骸布」は偽物である可能性
が一段と高まったというわけですね

 そうとなると、

 「偽物を作ったのは誰なのか」
ということに、俄然と興味は移ります。

 現在の技術を持ってしても容易には作る
ことができないとされる「聖骸布」ですが、

      

 小生にはどう考えてもダ・ヴィンチ以外の
人間に作れるとは思えないのです。

 しかしながら、炭素測定の出した年代は
13~14世紀のもので、継ぎはぎ部分の布
は、彼が生きていた時代より 100~200年
ほど古い時代の代物という結論でした。

 また、

 杉綾織の布地も、中世までには織られて
いたようですが、だからと言って、ただちに
ダ・ヴィンチが作成したものではないなどと
断言できるわけではありません。

 救いは、いずれの鑑定でも彼が生まれる
前の時代のものであるということです。 

 もし仮に、ダ・ヴィンチの時代以降のもの
であると鑑定された場合には、残念ながら
全くのお手上げ状態になってしまいますが、

 

 たとえば、

 偽の「聖骸布」を作るにあたり、彼は
事前に昔の古い時代の布生地を、密かに
手に入れていたかもしれませんし、

  なるほど、

 年代測定においても、火災に遭った関係で
炭素濃度が異常をきたしたわけで、炭素14に
よる測定方法自体の信頼性に疑問符が付いて
しまうのです。

          ふむふむ。
      
     画像元:www.pinterest.jp  

 要するに、

 いずれの鑑定や測定結果にしても確たる
実証性を持ち得ないということです。

 さらに、1353年以前の伝存の経緯は不明
で リレで見つかった当時、地元の司教から
偽物との批判を受けつつも、転々と所有者
や保管場所が変遷し、1453年になって漸く
所有がサヴォイア家に移るわけです。

 それでは、それらを踏まえたうえで、早速
、ダ・ヴィンチと「聖骸布」との関係を
考察してみましょう。


  まずは、下記掲載の画像をご覧ください。


    『最後の晩餐』でのイエス

 これらは『最後の晩餐』に描かれた
イエスとされる人物をミラーイメージング
してみたものですが、


   イエスのミラーイメージング 1

   イエスのミラーイメージング 2

   イエスのミラーイメージング 3


 「聖骸布」でのキリストの顔(黒枠内)が
『最後の晩餐』におけるイエスとされる
人物に投影(ミラーイメージング)されている
のがわかると思いますpeace


 (聖骸布の顔がミラーイメージングに出現する)

 そして、この事柄から推測できるのは、

 少なくとも、

 ダ・ヴィンチが「聖骸布」に並々ならぬ
興味を抱いていたという事実だけではなく


   「トリノの聖骸布」 karapaia.com

 その作成者であることの確かな証拠である
と言えなくもないのです。

 何となれば、

 「聖骸布」からは、以下の不自然な
特徴が見受けられますが、
 

      出典:blog.goo.ne.jp

 ミラーイメージングで表現された特徴も、

 1 小さい頭部に
 2 極端に細い顔(黒枠内)


   イエスのミラーイメージング 1

 3 短縮した額に下がった眉毛
 4 閉じた瞼と目尻の様子(黄枠内)



 5 消失した耳(白枠内)に
 6 鼻の穴のように見える未露光部分
   に縁どられた2つの円形(赤枠内)



 要は、偽聖骸布の作成者しか知り得ない
キリストの顔の特徴的なポイントが的確に
ミラーイメージに反映されているわけです。


      「ネガ反転した聖骸布」 編集後 dd907.exblog.jp

 さらに、

 「聖骸布」は別名 Sacra Sindone
(サクラ・シンドネ)と呼ばれ、イニシャルの

   

 「S」の文字が『モナ・リザ』の左目
に秘密裏に隠されていました。

 この「S」の文字については、

 url『ダ・ヴィンチの罠 新発見』

 において、右目に隠された「L」とセットで
太陽(Sole)と月(Luna)を表し、太陽 right 男、
right 女を意味して、「男と女」から「昼と夜」


 
 「光と闇」、「聖と邪」、「善と悪」などを意図
していると指摘しましたが、

 

 詳しい内容に関しては、上記、『新発見』
のページ及び、『異端児』などのページを

 url『ダ・ヴィンチの罠 異端児』

 参照してみてください。

 先に、

 『最後の晩餐』におけるイエスと
される人物像に投影(ミラーイメージング)
された『聖骸布』の人物の姿かたちは、
洗礼者ヨハネを想定したダ・ヴィンチ
自身の姿かもしれないと強弁しましたが、


    キリストの顔の反転写(ネガポジ)

 すなわち、それは、

 『最後の晩餐』においてイエスと
された人物は、実はイエスではないことを
婉曲に伝えているのですpeace

 つまり、

 その人物はキリスト(メシア)ではあるが、
イエスではなく、斬首されて、露と消えた
洗礼者ヨハネを遠まわしに指し示して
いるわけです。

 その証拠が『聖骸布』に写し出された
斬首痕跡(黄枠内)で、


       聖骸布の顔と斬首痕

 頭と首筋にかけて走る稲妻のような閃光
(白枠内)は斬首イメージさせる刀剣
の刃筋の跡で、袈裟懸けによる斬り落とし
連想させるものです。

 要するに、

 ダ・ヴィンチは、自ら『聖骸布』を作る
ことで、本来『救世主』(キリスト)が
洗礼者ヨハネであったという「真実」
を未来の人々に向けて伝えたかったもの
と推察することができるわけです。


  「聖骸布キリストの顔」 karapaia.com

 しかも


   (洗礼者ヨハネとイエスが入れ替えられている)
      『岩窟の聖母』ルーブル版とロンドン版

 洗礼者ヨハネイエスの入れ替えや

 
   出典元:ダ・ヴィンチの小部屋

 デッサンでの幼児ヨハネがキリストの象徴
である「神の子羊」に変えられ、

 
  (幼児ヨハネが子羊に変わる)

 洗礼者聖ヨハネの右手の人差し指が
、首だけとなったトマスの右手に移行して、


 出典:レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋

 偽りのイエスに真実の開示を迫る場面
『最後の晩餐』での重要なシーンの
一コマとなっているのです。

 このように

 その意図はいくつかの彼の作品において
かたちを変えて表現されているのですが、

 畢竟すれば、

 「ダ・ヴィンチの罠」における主題の
ひとつは、『モナ・リザ』の目が物語る
ように、すべての事柄を「疑え !!
ということでもあるのです。

 疑っている自分自身の存在をも含めて、
そのすべてを「疑う」ことで、

  

 はじめて『モナ・リザ』に仮託された
真の姿が見えてくるのですが ・・・

 次回では、

 再び、『設計図』『展開図』に戻り、
立体(正多面体)パズルにおける残りの
正四面体への展開と正二十面体への変化
などについての解説を予定しています。

 ・・・ ってねえねえ

 

 ちょっと、待ってよ

 確か「聖骸布」は、リレで発見された後、
サヴォイア家の手に渡ったわけよね

 その年が、

 ダ・ヴィンチが生まれた翌年(1453年)と
いうことは1才になるか、ならないかの頃

   

 だったら彼に作れるわけないじゃない

 これは、

 大変な問題よ !!

 

 あんたもそう思うかのぉ

 

 じゃが、その聖骸布と、ここで問題に
している聖骸布が同じものとは限らない。  

 1520年代に「画家の模造品」という
調査結果が教皇であるクレメンス7世
(在位1523~34年)に報告されたという
情報もあるし、教皇もそれは布に描いた
絵だと宣言して、神聖物とされないよう
展示にあたっては、ロウソクを点けない、
香を焚かないなど条件を付けたそうじゃ。

 
  教皇クレメンス7世 hmn.wiki

 ・・・ って、おいおい、マジで
   
 
 そっち(反論)かよ !!

  

 わしは、「聖ヴェロニカの聖骸布」
のようなガチベタ姿が描かれていた
ように思うがのぅ

  Meister der Heiligen Veronika - Hl. Veronika mit dem Schweißtuch Christi - Alte Pinakothek.jpg
  聖骸布を手にする聖ヴェロニカ、15世紀の
   ドイツ画家(作者不明)wikipedia.org


 つまり、

 別の「聖骸布」じゃな !!

     
     (ホンマかいな)


      『洗礼者ヨハネの斬首』カラヴァッジョ(1608年) 
  

    『洗礼者ヨハネの斬首』部分 カラヴァッジョ(1608年)
  

       画像元:joseph-ssps.jp

      
        画像元:muragon.com
  
    
       画像元:blog.livedoor.jp

     
      画像元: web.kyoto-inet.or.jp

     見よ、世の罪を取り除く神の小羊
        (ヨハネの福音書 1:29)  

     ではまた、次回に ・・・ 

 はてさて


   「聖骸布」キリストの顔イメージ www.msocialsciences.com

 果たして、

「聖骸布」に、写し出されていた者の正体は、
イエス・キリストなのか、洗礼者ヨハネなのか、


   レオナルド・ダ・ヴィンチ《キリストのチョーク画?》 www.artpedia.asia

 はたまた

       レオナルド・ダ・ヴィンチ自身だったのだろうか❓

 参考動画

  … to be continued !!

コメント一覧

aidman
日本に生まれ、日本で暮らしていると、ほとんど聞くことのない言葉ですからねぇ!?
小吉
聖骸布という言葉を初めて知りました。
勉強になります。
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