透明人間たちのひとりごと

結局、何も変わらない

 戦後最低の投票率、変わらぬ与野党の議席数、すべて
が予想通りの結果で終わった今回の衆院選を評すれば、
「ムダ」の一言に尽きるだけです。

 まず、時間のムダ、そして、税金のムダ、それらに費やす
人的なエネルギーのムダもありますが …

 朝刊の一面を飾る「自公大勝 320超」の大見出し
に空しさが去来しています。

 ところで、

 “チチカカコ”が企画する「これが教養だ」
との銘が打たれた文庫本のブックフェアが、このほど全国
の400軒以上の書店で開催されました。 

 「チチカカ湖」が何でまた … あるいは南米アンデス山脈
にある湖といったい何の関係があるのだろうと、漠然と首を
傾げていた折に、静岡新聞の【現論】(12月12日付)の
『文化支えた教養 危機に』の記事が、
その漠なる問いに答えを提供してくれたのでした。

 記事の執筆者は文芸評論家の斎藤美奈子氏で、日頃は
ライバルの関係にある5つの出版社が出している文芸系の
文庫(くま学芸文庫、央文庫、川ソフィア文庫、
文庫、談社学術文庫)の頭文字をつなげたネーミング
だったというわけですが、シノギを削るべき各社が合同で
こんな企画を打った背景には日本の教養が死んでしまう
という切迫した危機感があるようなのです

 以下に記事の一部を引用しながら紹介することにします。

 このままでは教養が死んでしまう! 思想家の
中沢新一氏の推薦文にその一端が表れていよう。

  「書物の世界に危機が迫っている今、反知性の大国の
   進軍を押しとどめるべく、ここに新しく、書物のための
   同盟が結成された。(略)彼らは愛する書物の危機を
   前に、知性を滅亡の危機から守ろうと決意した」

 大げさに思われるだろうけれど、たしかに現在「反知性の
大国の進軍」、「書物の危機」と呼びたくなるような事態が
進行中なのも事実なのだ。

 ひとつは深刻な出版不況だ。 1996年をピークに書籍の
売り上げは長期低落傾向に転じ、それでも右肩上がりに
増え続けていた新刊書の出版点数も2005年を境についに
頭打ちとなった。

 絶望的気分が出版界をおおう中、小部数の本がますます
出しにくくなる一方、「売れさえすれば」のムードが蔓延。

 韓国や中国を必要以上におとしめ、ナショナリズムを煽る
「嫌韓本」「嫌中本」が 2013年ごろから急増した
のも、それと無関係ではないだろう。

 ―― としています。

 ネット書店最大手のアマゾンが、大学生などに対し書籍
の価格の10%をポイント還元したり、電子書籍の販売条件
で出版社を「格付け」するなど、販売力を背景にした
小出版社への締め付けも厳しくなっている。

 かつては「知の殿堂」であった大学の性格も大きく
変わりつつある。

 「教育再生」を重要課題のひとつに掲げる安倍晋三
政権は「グローバル人材の育成」を成長戦略の
重要な柱と位置づけ、昨(2013)年来、昔の教養人が知った
ら卒倒しそうな大学改革プランを次々と打ち出している。

 全国の国立大学に「ミッションの再定義」と題して社会の
要請に沿った役割を課す「国立大学改革プラン」

 「世界ランキングトップ100を目指す力のある大学」を
選定して、国際競争力の強化を目指す目的に特化した
「スーパーグローバル大学」等の事業。

 教育再生実行会議など、国が求める新たな方向性に
合致した大学にのみ補助金を出す「大学教育
再生加速プログラム」


 こうした少子化をバックに年々経営が苦しくなる大学の
足元を見たような施策の数々。  その目的は「産業界の
ニーズに対応した教育改善・充実体制の整備」に尽きる。

 として、大学の産業予備校化を指摘しています。

 9月には、文部科学省が国立大学に対し「教員養成系、
人文社会科学系の廃止と社会的要請の高い分野(具体的
には理科系?)への転換」という旨の視点を示し、一部で
反対論が続出した。

 「産学協同」は何十年も前から進行していたとはいえ、
方針に従わなければ予算を削るといわんばかりの脅しに
近い姿勢で臨んでいるといいます。

 文学、哲学、歴史学、社会学といった人文社会科学系の
学問は何の利益も生まない無用の長物にみえるのだろう。

 『屁理屈の論理学』2号が書いているように

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/179.html(参照)

人文学(文学や哲学など)は言葉を基調として理論を構成
していくもので、論理的思考形成は学問の土台となるべき
母なる学問であり、すべての基礎なわけです。

 かつての日本人は教養に対する、よくいえばリスペクト、
悪くいえばコンプレックスを持っていた。

 古今東西の名著の名前くらいは知っている。 うち何冊
かは読んだことがある。読まないまでもいつか読みたいと
思っている。 そうした気分が、この国の教養水準を上げ、
豊かな文化の下支えとなってきたことを忘れちゃいけない。

 大学の方針転換は、高校や小中学校にもまちがいなく
影響する。

 「古典なんか読んでもしょうがないよ」
という「産業界のニーズ」 が国民のスタンダード
になったらどうなるか。

 “チチカカコ”はそんな文化破壊へのささやかな
抵抗なのだ。 ―― と結んでいます。

 さて

 グローバル化という名のもとに、なにもかもが西欧化して
いく風潮に以前からくすぶっていたモヤモヤとした思い
違和感をここで少し吐き出してみたいと思います。

 偏見錯覚誤解を承知の上での思い込みです
が、白人種と有色人種とは“背と腹”のような裏表
関係にあると言えます。

 黒人を射殺した白人警官が不起訴になったばかりですが
、米国での人種対立はいつまでたっても変わることのない
現実ですし、白人優位の思想や経済至上主義的な価値観
の押し付けはテロ組織である「イスラム国」でなくとも
日々に感ずる憂鬱な出来事なのです。

 いつ頃からなのでしょうか

 商業主義に堕落した金まみれの人間が跋扈する世界と、
そんな人たちにあこがれを抱く人間ばかりの醜い世の中に
なってしまったのは …

 こうした世間に嫌気がさしたのか、

 高倉健さんが鬼籍に入り、さんを追いかけるよう
にして、菅原文太さんまでが逝ってしまいましたが、

 いみじくも、『おんぶとだっこと肩車』のなかで

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/391.html(参照)

 5号が言っていたようにさんと文太さんは、相反
する立ち位置で大成したスター同士であって、その関係を
“背と腹”に譬えて強引にブログに乱入したのは、
迷惑千万な行為だったと思いますが、西欧化一辺倒
の道にひた走る時代に、「もう諦めたよ」と、まるで
サジを投げたかように消えてしまった昭和のスターたちの
相次ぐ死に、鬱積していた何かがはじけ飛んでしまった
わけで、乱入そのものに関しては、5号に対して大変
に心苦しく、また申し訳なく思っていますが、二律背反する
さんと文太さんを“背と腹”とした着想というか、
着眼点はなかなかだったと自画自賛しているのです

 その生まれからして、九州と東北、つまり、南と北だし、
プロパーと中途採用、主役と端役からの出発という東映
での境遇、大スターとなった後の晩年にかけては、ともに
北風と太陽、矛と楯、仁と義、王者と隠者といった両面を
持ち合わせていましたpeace 

 件(くだん)のブログでは、

 近年、見かけなくなったおんぶ姿を思うにつけて …

 “背と腹”から「おんぶとだっこ」に無理やり
振ってみたわけですが、「おんぶ」の衰退ついては一家言
あったので、乱入がてらに触れてみたという次第ですase2

 お母さんの肌のぬくもりを感じながら同じ目線で対象物
(自然の景色や日常の風景)が見られる「おんぶ」は幼子
にとって三つ子の魂への入口みたいなものです。

 「ほら、喋々が舞ってるよ」「黄色いタンポポも可愛いね」
「キレイな夕焼け、真っ赤っかだね」などと見た物や感じた
ことを母子で共有できます。

 「だっこ」は顔が確認できるので状況を把握するメリットは
あっても共感力の点ではどうなのでしょう

 たとえば、「おんぶ」にしても、映画などでは西洋人の
男性がリュックや背負子のようなものに子どもをうしろ向き
に乗せて背負って歩いているのをよく見かけますが、どうも
荷物のような扱いに見えて、合理的かもしれませんが愛情
が希薄に感じられてしまうのは私だけでしょうか

 先の“チチカカコ”にしても、欧米の基準に与した末
「背に腹は代えられぬ」的な逃げ口上に終始
する産業界へのささやかな抵抗に過ぎません。

 あくまでもイメージによる思い込みですが、白人種を除く
有色人種による「おんぶ」にはなんらの抵抗感も違和感を
覚えませんが、白人女性による「おんぶ」の姿は想像でき
ませんし、男性による背負子に乗せられた子どもの姿は
個人主義的で自主独立の精神を育むのには格好の機会
であったり、育児方法なのかもしれませんが、孤独で情緒
に欠ける精神性を紡ぎ出すような危惧を感じます。

 symbol2 「ミーハー」という言葉があります。

 教養のない低俗なものや流行に左右され夢中になること
を指していいますが、

 現在の西洋かぶれ、一億総西洋ミーハー化は、疑いよう
のない事実のようです。

 「モナリザの晩餐」「最後のモナリザ」
あるいは「微笑みの晩餐」「最後の微笑」

 どれをとっても推理小説やドラマの題名のように魅惑的で
謎めいたイメージを感じさせます。

 と言っても、レオナルド・ダビンチの『モナリザ』の微笑
最後の晩餐』の前後を入れ替えただけなんですがase2

 これだけでも、すでに西洋文化にどっぷりと毒されている
ものと自覚しましょうase

 とか、なんとか言っておいて、

 次回に、ブログエントリーの順番がめぐってきた時には、
レオナルド・ダビンチの名画『最後の晩餐』
の謎解きに挑戦しようと考えているのです。

 … っ、それこそが

 完全なる西洋ミーハーじゃん

 こうして、

 何も変わりはしない日常がきょうもあしたもあさっても …
延々と繰り返されるだけなのでした。 (トホホ)ase

コメント一覧

透明人間1号
相変わらずの右向け右に終始する
ブレないおいら氏ですね。
おいら
http://sin-sei.at.webry.info/
公明党の支持者にゃ申し訳ないけど、安倍晋三が2/3を取ることによって公明党の影響を無くしたいと思っていました。

安倍自民を中心にして右に次世代、左に維新。これがオイラの目指す政治体制でっせ。残念ながら次世代は消滅しそうですが・・・
皮肉のアッコちゃん
おいらさんが安倍首相のシンパなのは以前のコメントからもわかるけど、単独で2/3はリスクが大きすぎます。
今回くらいがベターな感じで上等ですよ!
おいら
オイラにとっては安倍政権が最大2年延びるこの選挙は有益でしたわ。惜しむらくはメディアが自民大勝と早くから報じすぎたことですわ。

それが無かったなら、ひょっとして自民単独で2/3いけたかもと思うと残念でならんな。
皮肉のアッコちゃん
【そして、何も変わらなかった】 アガサクリスティーのミステリーのタイトルのような、今年の流行語のひとつでもある【安倍のままで~♪】ということですか?
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