透明人間たちのひとりごと

続、未来記 イソップ物語

 「渇しても盗泉の水を飲まず」 といった孔子も …、

 「天網恢恢(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏らさず」
といった老子も …   偉大なる中国の哲人です。

 たとえ、どんなに困窮しても決して不正は行なわない …、

 悪事は、必ず露見して早晩に天罰が下るとした先哲たち
の言です。

 翻(ひるがえ)って、昨今の尖閣諸島付近での中国漁船
衝突事件にしても …、その 「関与が強くうかがえる」 として
昨日(10/4)、強制起訴すべきとの議決が検察審査会より
公表された民主党の小沢一郎元幹事長の収支報告書虚偽
記入事件にしても …、なんだか、スッキリとしません。

 大阪地検特捜部の組織ぐるみをにおわせる押収資料の
改竄(かいざん)・隠蔽(いんぺい)事件にいたっては、検察
の信用失墜につながる大事件で、ただただ、むなしい限り
ですし、何を信じ、何を是とするのか、権利とは、義務とは、
責任とは、そして正義とは …question2 と、果てしない疑問の迷宮
から脱出できなくなりそうです。

 先日、東大・安田講堂で行なわれたハーバード大学での
超人気の講義を模した 「ハーバード白熱教室@東京大学」
の様子が、NHK教育テレビで放送(10/3夜)されました。

 気づくのに遅れて途中(イチローの年俸は高すぎる?)から
の視聴になってしまったので、その前の展開がどんなふうで
あったのか、なんとも気になるところなのですが …

  どうやら、『公平』・『公正』・『正義』 とは何かというような
問いかけに始まり、私たち個々が共有する 『倫理』や『善』
などについて考えさせる内容だったようです。

 講義を行なったのはハーバード大学で政治哲学を教える
マイケル・サンデル教授で、著書には、日本でブレイク中の
「これからの『正義』の話をしよう」 の他に 「民主政の不満」
や 「リベラリズムと正義の限界」 などがあります。

 それは講義というよりも対話といった趣きで、ディベートとも
異なり各個人が自分で考えて検証してゆくように仕組まれた
問題提起の姿勢に重きが置かれていたようでした。

 講義の模様は、前後半2週に渡っての放送になるそうで、
先の迷宮入りの疑問に解決の糸口が見つかるかも知れず、
その意味からも次回(10/10)が、いまから楽しみなのです。

 ところで

 経済は一流、政治はニ流、などと言われて久しい 「日本」
ですが …、外交にいたっては三流以下なのでしょうか

 もっとも、いまでは経済もなんとなく怪しい限りですよね。

 その 「日本」 は、西から東に流れ抜けることのできない
極東の地にあって、東からは、太平洋に阻まれて西への
流入も隔絶されていたわけで、言わば 《吹き溜まり》
のような島国だったのです。

 幸か不幸か、その発祥国を凌駕して余りあるほどに仏教
や儒教的な道徳や倫理観が培われたのも、独自の文化的
な発展がみられたのも、言わば外敵からの脅威や襲撃に
晒(さら)される機会の少ない島国であったことに起因する
もので、多くの日本人が性善説を肯定し性悪説を否定する
ような心情的気質もそうした環境の中で自然に醸成されて
いったのかもしれませんね。

 それが為か 特に、外交最悪 です。

 他者も自らと同質であると認識してしまうからでしょうか

 さて、本来は、

 「アリとセミ(キリギリス)の物語」 の予定だった
のですが、いろいろな事件の重なりやタイミングの問題も
あるので、前回の続編としての 『続、未来記 イソップ物語』
というタイトルに改めさせていただきます。

 冒頭に掲げた言葉は、いにしえの中国の哲人たちの
《善悪》 に関連する格言ですが、当の中国の人たちは
その限りにありません。

 そこで早速、それならばと言うことで、

 「善い者と悪い者たち」 あるいは、「善と悪」 について、
ギリシャ人のイソップに訊いてみることにしましょう。


   ――― 『善い者と悪い者たち』 ―――

  むかし、善い者と悪い者たちは、共に人間の面倒をみて
 いましたが、ある日、悪い者たちによって、善い者たちは
 追い出されてしまいました。 … と申しますのも、地上では
 悪い者たちの数が勝っていたからです。

  善い者たちは、天国へと昇っていくと自分たちを迫害した
 者たちに対して公正な処置がとられるように神様にお願い
 をしました。
 
  彼らの主張は、自分たちは悪い者たちとの共通点が全く
 ないので、一緒に暮らすことは出来ないし、悪い者たちの
 間では争いが絶えないので関わりたくはないと言うのです。

  そして、絶対的な法によって自分たちをお救い下さいと
 訴えたのでした。

  神様は、彼らの訴えを聞き入れて、悪い者たちは集団で
 地上に行き、善い者たちは、一人一人、ばらばらに人間の
 住まいに入るように定めたのです。

  それ故に、悪い者が大勢いるのは、彼らが集団でやって
 来るからで、一方で、善い者たちは、一人一人やって来て、
 決して集団で来ることはないのです。

 そうして、善良な人を見つけると、順番に彼らの許に入って
 いくというわけなのです。


 性善説の根強い日本では、わかりにくい内容かもしれない
ので、同根の別訳としての 「善と悪」 も紹介します。


         ――― 『善と悪』 ―――

  悪に迫害された善はすっかり弱ってしまいました。
 そこで、善は天に昇って神にお願いすることにしました。

  「どうしたら人間たちのところに留まって善い影響を与え
 られるのでしょうか?」
 
  すると神は、「すべてを一緒にして善い影響を与えること
 は出来ない。 人間ひとりに対して個別に影響を与えるの
 ならば、なんとか留まれる」 と言われました。

  そんなわけで、善は天に逃げ去ったままで、その後は、
 悪が地上を支配して、やりたい放題なのです。

  ですから、人間の世界には善は一向に見あたらないし、
 善を行なうには大変な時間が必要なのです。

  なにしろ注文が届いてから天を出るわけで、その到着を
 待たねばならないのですから …。

  ということで、

  いくら善を行なおうとしても簡単には行なえないのです。

  それは悪が自分の縄張りである地上に蔓延(はびこ)り、
 犇(ひし)めいているからなのです。
 

 ことほど左様に、

 人間の世界では 《悪》 が普通で 《善》 は希少である
というのが西洋では一般的でしょうし、東洋においても国境
を接する国々においては事情は同じでしょう。

 しかるに、日本人の大多数が性善説を信奉するような
お人好しでは、尖閣諸島の問題も他の領土問題も、いまさら
《言わずもがな》 の話なのです。

 先の小沢元幹事長の虚偽記入事件の強制起訴の議決も
「疑わしきは被告人の利益に」 という従来の司法の原則に
縛られずに、「国民の責任において、法廷で白黒をつける」
べきとの結論に達したのも性悪説に由来するものでは
ありません。

 それは、一般的な国民の目線からの意識の反映であり、
常識的な判断の結果であると言えるのでしょうが、あくまで
も気持や納得性の問題であって性善説に大きな変わり
はないのです。

 それでは

 次回こそは、「アリとセミ(キリギリス)の物語」
を記事にすることをここでお約束したいと思います。

 夏のあいだ、一所懸命に働きすぎて過労死したアリさん
と四六時中、騒いだあげくに熱中症で亡くなったセミさんの
お語でしょうか

 多くの日本人が性善説の信奉者だけに …、

 どうか悪しからず!! 合掌 clap なんてね 
 
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