透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 謎の手

 美術の教科書や図録などで、誰もが一度や二度は目に
したことがあるはずの有名な壁画『最後の晩餐』
、イタリアのミラノにある教会の食堂の壁に描かれました。

 ダ・ヴィンチは制作に時間的な余裕を生み出し、重ね塗り
を可能にするために、それまでのフレスコ画ではなく、油彩
とテンペラを用いることにしたのです。

 それが禍(わざわい)したのかquestion2 それとも、計画の一端
であったのかeq … は、知る由もありませんが、

 完成直後から絵の具が剥がれ落ち始めるわけです

 食堂の湿気や食堂が馬小屋として使用された時代など
もあって、1566年には「もはや染みのかたまりに過ぎない」
と画家で美術史家のジョルジョ・ヴァザーリが記述している
ほどに剥落が進み、その後も度重なる修復が行なわれて
きたのですが、いい加減な修復でオリジナルとは異なった
描かれ方をしている部分もあるようなのです

 ところで、

 ほとんどの人が聖書に馴染みのない日本人にとっては、
「最後の晩餐」と聞いても、へえっ、そういうタイトル
なんだとあまり深く考えることもないままに鑑賞する人々が
多数を占めるのではないかと推察されますが、

 そもそも絵画などの題名は誰がつけるのでしょうか

 商業ベースやビジネス・ライク的に古美術商や鑑定人等
が勝手に命名するケースがゼロではないとしても …

 その絵を描いた本人がなんらかの“イマジネーション”を
刺激されて描き上げたのでしょうから …

 当然のことに

 当の本人か、あるいは制作依頼によるものであるならば
、依頼者の意向でモチーフなり、主題(タイトル)の指定が
あって描かれる場合がほとんどでしょう。

 ならば、

 ミラノ・サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会が所蔵する
この壁画は誰の依頼だったのかというと …

 ミラノの領主、ロドヴィコ・スフォルツァの依頼で描かれた
ものですが、『最後の晩餐』のシーンをロドヴィコが
指定あるいは所望したというよりもダ・ヴィンチのプレゼン
テーション
によるものあると考える方が納得がいくのです。

 画法にフレスコではなく実験的なテンペラを採用したのも
そうしたプレゼンテーションの結果なのだと思われます。

 ダ・ヴィンチが文章を推敲(すいこう)するように、練りに
練って描き込んだ秘密の仕掛けは、彼の宗教的な立場や
スタンスについてあれこれと取り沙汰される憶測以上に
さまざまなトリック&トラップに溢れた奇蹟のような
作品に仕上がっていたのではないかと勝手に妄想的想像
を膨らませているわけですが …

 ダ・ヴィンチ・ワールドは、(地雷)だらけの地雷原
踏み入ってしまったようなもので、いたるところに埋め込め
られている地雷(罠)を避けて目的地を目指すには、地雷
探知機に相当する道具が必要になります。

 たとえば、それはどのような道具なのかと言えば、

 「王様は裸だ」と叫ぶ、アンデルセンの童話
『裸の王様』のなかの少年のように、純粋な子どもの
目で見るための“逆色眼鏡”“透視眼鏡”
いった『ドラえもん』に出てきそうな道具類です。

 先入観や思い込みの弊害が消えて、視界が透けてクリア
になれば、ひょっとすると イエスイエスではなく …
ではない … というように映る人も出てくるのかも
しれません


 前回の予告版で

 『ダ・ヴィンチ・トラップダヴィンチの罠
暴(あば)く手始めとして、下記の3つのミステリー
封印を解く鍵になると言いました。

 1 ユダの背中から現れるナイフは誰の手にあったのか
 2 イエスに向けて立てられた人差し指の意味とは何か
 3 イエスの隣りに座る女性らしき人物の正体とは誰か

 ところで

 ダ・ヴィンチは生涯に数多く(一説によると、8000以上)の
素描を残していますが、作品として完成されたものは非常
に少なく、また、彼の作品とされるものの多くが、完全
ダ・ヴィンチの手によるものではないこともわかっています。

 それというのも、彼の素描をもとに弟子たちが工房で制作
したものや、ダ・ヴィンチの作品に後世の人間が手を加えた
ものなど数多くの非オジリナルな作品が存在しています。

 そこで、その問題の解決法として、ダ・ヴィンチ本来の姿を
知るには 彼が残した素描の数々を紐解くことが先決である
と思ったわけです

 素描であれば、100%純然たるダ・ヴィンチの作品である
ことに間違いないのですから …

 尚、素描同様に手稿も重要なヒントを与えてくれます

 メモ魔であった彼の手紙やメモ書きは多くの情報を文字と
して残してくれましたが、全手稿のうち約3分の2が失われ、
現存するのは約 5000ページと言われています。

 壁画とは一致しない部分も若干ありますが、彼のノートに
は便宜上 『最後の晩餐』とされる場面での使徒たち
の反応がいくつか書き残されているのです。


  ひとりは酒を飲んでいたところに話しかけられ、その
 ままの位置にグラスを残したまま、相手の方に振り向い
 ている。

 (シモンのことでしょうか)

  もうひとりは手の指をよじらせながら、眉をしかめて
 仲間の方に振り向いている。

 (タダイかマタイを指しているようですが … )

  こちらの男は両手を広げて掌を見せ、肩を耳元まで
 すくめ、驚いたような口をしている。

 (アンデレかシモンと思われますが多分アンデレでしょう)

  振り向いているもう一人の者は、手にナイフを握り、
 テーブルの上のグラスをひっくり返している。

 (振り向くユダに対しナイフはペテロの手にありますeq

  もう一人は、話している者の方に身を乗り出し、手を
 額にかざしている。

 (手を額にかざす者はいませんが、バルトロマイかと …)


 このなかで重要なのは、 と ですが、 は局部的な
問題を超えた含意を表現していますので今日の段階では
取り上げることができませんが、 は封印を解くための鍵
である 1 に該当するナイフの持ち主に関わるメモでもあり
、追求すべき内容のものです。

 メモでは「振り向いている者がナイフを持ち、テーブルの
上にあるグラスをひっくり返す」となっています。

 symbol2 この状況にピタっと合致する復元画像があるのです。

 再三、紹介するイタリアのデジタル画像処理会社のHAL
9000による復元の高精彩画像ですが …


     exclamation                exclamation
 上が現在の壁画でペテロがナイフを隠し持ち、ヨハネの
両手はテーブルの上で組まれています。

 下の画像ではユダの手に握られたナイフを押さえ込み、
イエスに手を重ねられているヨハネに対して、なにごとか
訊ねている様子のペテロが描かれています。


 現在の壁画におけるペテロの異様にひねくれた右手首
の不自然さは尋常では考えられない曲がりようですが、




 ここだけを見たら、ユダの背後から突如あらわれたナイフ
を持った手をペテロが掴んでいるようにしか見えません。

 そうなると、この手は誰なのか 

 突如、出現した“神の手”ならぬ“悪魔の手”question2
という別のミステリーが生まれてしまうのですnose4

 一方で、イタリア版の復元でのナイフはユダの手にあり、
身を乗り出したペテロの右手に押さえつけられています。

 このために、ユダはテーブルの前に押し出されるかたち
で反り返りながら振り向くようになっていると考えると構図
からも辻褄が合うように思えるのですが …

 そこで、推測の① としては、

 ユダの右腕部分が著しく剥落してしまい、後世の修復に
より現在のようになってしまったが、当初はユダの左手は
イエスの言葉にハッとして鉢に浸したパンを手離した瞬間
の描写で、右手にはナイフが握られていたのではないか、
と考えられるわけです。

 では、ひっくり返ったグラスはどこに描かれているのかと
いうと、やはりユダの前にあったのです。


 
 16世紀に『最後の晩餐』の模写が制作されています。

 作者は不明ですが、オリジナルが完成してからさほどの
年月も経過していないので、かなりの忠実さで描かれて
いるものと考えられます。

 テーブルの上の料理はオリジナルとは異なる内容ですが
他は現物に近いものであるといって差し支えないでしょう。

 この模写によれば、

 
                up
 ユダが握りしめる銭入れ袋のナナメ前にあるビンが
倒れて中の塩がこぼれているような描写があります。

 これで、ほぼ の人物がユダを指すことは間違いない
という結論になりますが、この模写ではユダはナイフでは
なく銭入れ袋を握りしめ、ナイフはペテロの不自然にねじ
曲がった手が握っている現在のかたちです。

 結局、これではまた振り出しに戻ることになってしまい
そうですが、メモ書きの内容をわざわざ変更question2 してまでも
ペテロにナイフを持たせることにしたのはゲッセマネの園
での出来事(イエスを捕縛しにきた大司祭の手下の耳を
ペテロが剣を抜いて切り落とした事件)に由来させようと
したのでしょうか

 もっとも、これが『最後の晩餐』の場面だとすると
それはこの後にゲッセマネの園で起こる事件を予告して
いることにもなるわけですが …

 そうであるならば、ナイフ ではなく、 を持たせる
ほうがむしろ自然で、ナイフが描かれているということは、
逆に言えば、ナイフを持つ手はペテロのものではないと
いう傍証推論が成り立ちます。

 それを補足すると思われる『ペテロの右腕』
習作(素描)があるのですpeace


         up
 exclamation 描かれていない指先のゆくえをラインから想像すると
単に何かを掴むようなしぐさが想定されるだけで、手首を
ひねくり回してナイフを隠し持たせるような意図や形跡など
はまったく見あたりません。


 そこで、

 “逆色眼鏡”“透視眼鏡”で素直に見ると…

 「ユダの背中から突き出されたナイフを持った手をペテロ
が取り押さえている」というようにしか見えないはずです。


 それが、いったい誰の手なのかは別にしても …





 しかしながら、現実には、完成当時に近い模写でさえ、
ナイフはペテロが握っているかのように曖昧なのです。

 そして、おそらくは これが後世から直近における修復
の際の参考(ひな型モデル)にされ、継承されてきたと
考えられるのですが …

 それでは、何故に

 曖昧なままに継承され続けているのでしょうか

 そう表現する他に解決策が見あたらないからです。

 ペテロでなければ、推測の①のようにユダである
としか考えられない構図や人物の配置だからです。

 しかし、『裸の王様』の少年のように、予断を廃し
ごく普通にみれば、もうひとりの容疑者が見つかります。

 女性のように描かれるヨハネ とされる人物です。

 ナイフを持った右の手首をペテロに掴まれ、ナナメ右下
の方向(向かって左)に思い切り引き寄せられたために、
寄り添っていたイエスからは大きく引き離され、ペテロの
顔が耳元に迫り来るくらいに体ごとグイっと斜めに持って
いかれたかたちになっていると言えなくもないわけで …



 これが推測の②です。

 確かに、普通ではありえない腕の長さになっていますが、
このシーンを特に強調したい半面で、もしも気づかれでも
して、その真意を覚られては命取りになる恐れが十二分に
あったために、あえて常識的には考えられない範囲にまで
腕を伸ばしたとも推察されるわけで、当時においては絶対
バレてはいけない秘密数々がこの場面には
いくつも収められているのです。

 つまり、腕は伸びるべくして伸びたのだと

 そのことについては、追い追い触れることにして、

 人体解剖図などに倣って、あらゆる角度での素描をもと
に、完璧な表現を目指したダ・ヴィンチが、ありえないほど
に捻じ曲げられたペテロの手に、果たしてナイフを持たす
ことなどあるのだろうか … と素朴に思わせる心理的な
誘導が封印を解く鍵になっていると思えるのですが …


 畢竟するに

 1 ナイフは誰の手にあったのか

 ここまでをまとめれば、

  聖書解釈や常識的判断と消去法からは、ペテロか
  メモ書き の内容や状況的考察からは、ユダかも
  『ペテロの右腕』の習作や見たままからは、ヨハネか
  象徴的にユダの背後に描かれた「神or悪魔」の手か

 … ということになりますが、アナタはどう思われますか

 さて

 イエスの懐(ふところ)の前に弟子の一人が横になって
おり、イエスはこれを愛しておられた( ヨハネ 13:23)

 要は、イエスの愛していた弟子がみ胸近くに寄り添って
いたということですから、聖書の記述に沿って表現すると
すれば、伝統的にイエスの向かって右側に眠るようにして
描かれるか、イエスの胸にしな垂れるように寄り添った姿
に描くのが普通ですが、親密であるべき二人をわざわざ
離しているのはどういうことでしょう

 ここでのポイントは、伝統的に右に描かれるべきヨハネを
左へ移動させたこととイエスの何ともなさけない表情です。



 ではなぜ、イエスとヨハネは隣同士なのにこんなに離して
描いたのでしょうか

 まるで反発・離反するかのようにも受け取れますが …

 そこで、左にいるヨハネをイエスの右にスライドさせて
切り張りしてみると、こんな感じになります。




 実に、意味深でいい感じの二人です

 つまり、

 本来的には親密で濃厚な関係にあったものに何か亀裂
を生じさせる出来事が起こったことを示しています。

 それは、イエスとヨハネとされる人物との間に師弟以外
の何か特別な、あるいは師弟以上の何か特殊な関係が、
ある事実によって決定的な決裂を起こさせたことを意味
するもので重大なトラブルの発生を予感させるものでは
ないでしょうか

 それが故に、

 「強引にでも向かって右から左へと移動させられた」と
考えるべきで、

 その理由はナイフを忍ばせていたことと無関係ではなく
老獪なペテロに力まかせに引っ張られた結果としての
推論の②を補強する材料のひとつになると考えます。 

 それは、AD(紀元後)からBC(紀元前)への回帰とも、
分裂の象徴とも受け取れますが …

 見たまま、感じたままが、正解への近道なのでしょうか。


 それにしても、

 今日はバレンタインデーだというのに

 二人が離れ離れになるなんて…


 なんて日だ !!
 

  みんな、みんな、みんな、みんな
      
  コイツの謎の手のせいなのか !! nose6anger
      
      「決して、許さんぞ !!

 やはり、封印を解く「鍵」と「ナイフ」は、
この2人が握っているようですが ・・・


 … to be continue !!

コメント一覧

小吉
改めて読んでみましたが難解である。
むらさき納言
いい感じの2人に指を立てるトマスが気になりますね。
ルート1/2
イタリアの復元版のユダが握るナイフとヨハネの手にそれとなく触れているイエスの姿は、ダ・ヴィンチ・コードの影響も手伝って妙に説得力がありますね!
ココナン
「謎の手」と言うなら、アンデレの背中越しにペテロの右肩に伸びる手だって(小ヤコブの左手)、人差し指を立てるトマスの右手だって、人物の位置関係から他に考えられないというだけのことで、明確に体とつながっていない以上は誰のものとは言えないものです。
その意味からは、ペテロが握っているように見える「謎の手」はやはりペテロのひねられた手という結論にならざるを得ないのです。
角度的にはヨハネの右肩からのラインと見事に一致しますので、そこにダ・ヴィンチの作為があることは確かですが・・・

餃子ライス
幸せの「鍵」と「サイフ」は、家内にしっかりと握られていますが、チョコはそれなりのものをいただいております。
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