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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 四騎士

 19世紀以前の科学は、「神の計画」理解し、
「神の秘密」探求することでした。

 科学的・物理的な実験は、すなわち、聖書研究と同義で
あった反面で、科学異端とも同義語になり得た時代
のことです。

 万能の天才ダ・ヴィンチがとてつもない異端児だった
ことは周知のことですが …

 その時代の世渡りとして、本来的な意味での異端者との
名指しを避けることは処世の術(すべ)であったわけです。

 なぜなら、

 ひとたび異端の烙印が押されれば、排除・排斥される
だけでなく、生死にかかわる大問題となって敗者の憂き目
を見るどころではすまされない大事態となったからです。

 「歴史は勝者が作る」ということを十分に理解
していたダ・ヴィンチは、自身の知見と時の権力者(勝者)
たる教会の教えとの齟齬や矛盾に関して、無駄な対立や
無謀な挑戦(異端的主義主張)を極力避けるかわりに自己
の作品のなかに、その思いを托した数々のを仕掛ける
ことで、その正否(判断)を後世に委ねたわけです。

 ダ・ヴィンチの思考の軸は真実の探究にあり、教会の
それはドグマ(教義上の真理)の堅守にありました。

 キリスト教の正統派、ここでの正統とは、いわゆる勝ち組
のことで、本質的な意味での「正統」とは別物ですが、

 ペテロを筆頭とする十二使徒およびパウロ、テモテなどを
経て、現在のバチカンに到るまでの保守本流の大河です。

 この正統派(本流)が認めないものは、支流だろうと傍流
だろうとすべて異端です。

 誰にでもわかる悪魔崇拝のようなバリバリ系のものから、
聖書解釈の相違、教義内容への疑問、神学的な論争まで、
異論・反論・オブジェクションでもしようものなら反駁されて
ジ・エンド(終わり)です。

 その本流も本流、パウロの戦略に呼応した戦術としての
「新約聖書」のひとつが、その主流の源泉とも言える
湧き水としての『ヨハネの黙示録』なのです。

        
         太陽から噴出するプラズマの姿



 さて

 光が集まると光の三原色にあるように重なり合えば合う
ほどに光の色は白く見えます。

 つまり、

 いま現在は、あるいは いつの時代であっても、虐げられ、
迫害され、搾取される側にあるものの存在は恒久的に無く
なることはなく、永遠の光であり、希望であるものの出現を
待ち望む真理(心理)は永久に不滅のものであるならば、

 この信仰もまた不滅の輝きを保つものとなる。

 そう悟ったヨハネは、白い馬騎士が最終的には
歴史作る者として再臨するという希望
弱者たる信者たちに植え付ける戦術を採用します。



 その象徴が弓であり、冠であり、ライオンに似た生き物
にアナウンスされて颯爽と登場するという設定です。

 ヨハネの描いたシナリオは、こうでした。

 「そして、見ると、見よ、白い馬がいた。それに乗っている
 者は弓を持っていた。 そして、彼に冠が与えられ、彼は
 征服しに、また征服を完了するために出て行った」
           『黙示録 6:2』

  第一の封印を開き、最初に現れるものが王者としての
威厳に満ちたライオンに似た生き物に導かれて登場する
白い馬騎士です。 

 まず、馬は多くの場合、戦闘を連想させます。

 白く雄々しく成熟した勇姿は汚れのない神聖さ
にかなった勝利を約束するものでした。

 ヨハネがそこに大天使ミカエルやイエスの姿を想定して
いたことは間違いないでしょう。

 あわよくば、「誰が神のようであろうか」という意味の名を
持つ大天使ミカエルが、天でサタン(ルシファー)軍と戦って
勝利し、彼らを地に投げ落とす際(黙示録12:7-12)の主役
がイエス自身であるとイメージさせるようなプロットです。

 そこには、白い馬騎士他の色騎士
明確に峻別する意図があります。

      

 「すると、別の、火のような色の馬が出て来た。そして、
 それに乗っている者には、人々がむざんな殺し合いを
 するよう地から平和を取り去ることが許された。そして
 大きな剣が彼に与えられた」
           『黙示録 6:4』



 二番手は、雄牛のような生き物に呼び出されて登場する
赤い馬騎士ですが、何を表現したいかについては
疑問の余地がありません。

 義にかなうことのない人類の醜い戦争(殺し合い)です。



 「そして、見よ、黒い馬がいた。 それに乗っている者は
手にはかりを持っていた」
           『黙示録 6:5』

    

 その次には、人間のような顔をした生き物に呼ばれて、
黒い馬騎士が手に秤を持って登場します。



 秤はモノを量る道具です。 貨幣としての金・銀や穀物や
油などの価値のある物の他にも人間の欲望や罪の軽重を
問う意味も含まれているのかもしれませんが、一般的には
飢饉を表わしていると解釈されています。

    
 
 確かに、戦争の後には飢饉が生じます。

 資源が武器や兵器の供給に転用され、農民たちは徴用
され、農耕地は戦闘で損なわれて食糧の生産が激減する
からです。

 戦争がない時でも、干ばつや洪水、地震に火山噴火など
の自然災害に定期的に見舞われるのがこの世の常です。

 最後に鷲に似た生き物に呼ばれて、青い馬騎士
が登場します。

     

 「そして、見ると、見よ、青ざめた馬がいた。それに乗って
 いる者には“死”という名があった。そして、ハデスが彼の
 すぐあとに従っていた」
          『黙示録 6:8 (前半)

    

  ズバリ、“死”騎士(使者)到来です。

          

 登場する「四騎士」のなかで、唯一、“死”が実体で
あると明示して、ハデス(墓場)がそれにつき従っている
と脅しているわけです。

              

 この節には続きがあって後半では赤い馬黒い馬
騎士の正体の手がかりを具体的に仄めかしています。

 「そして、地の四分の一に対する権威が彼らに与えられた
 。長い剣と食糧不足と死の災厄をもって、また地の野獣に
 よってそれを殺すためである」
          『黙示録 6:8 (後半)

      

 赤い馬の騎士の長い剣は、繰り返される殺し合い(戦争)
 黒い馬の騎士の秤(はかり)は、災害や食糧不足(飢饉)
 青い馬の騎士の死と墓場は、疫病と野生動物による被害

 そしてそれらが古代における早死にの主要な原因であり、
おそらくは、ランキングでのBEST-5だったのでしょう。

 要するに、

 戦争、飢え、災害、病気、事故などですが、
それらは現代においても死亡原因の上位を占める内容で、
未来永劫不変「ベスト5」かもしれません

 そうした平穏な生活を乱し、人々を不安に貶める要因を、
ヨハネは赤・黒・青の馬に乗る騎士で表現したわけですが、

    

 そこには厄害が重なることは、より暗い黒 right 暗黒の闇に
巣食うサタンと堕天使たちの介入が原因であり、彼ら一味
の仕業とすることで、白馬の騎士(イエス)との一層の対比
のなかで揺るぎない信仰への喚起を計ったということです。

 おそらく、ヨハネにとっては …

 ヘロドトスの『歴史』その他の著作物から得た知識と
布教先での見聞や旅先で収集した情報を精査し、恒常的
な人間の営みと繰り返される災害などの知見を踏まえた
うえで期待される未来図としての『黙示録』を自らの
信仰に照らし合わせて記したということかもしれません。



 しかしながら、ダ・ヴィンチのイマジネーションはヨハネの
目論見を凌駕します。

 情報の量が集まるほどに白く輝く(イエス)とは違い、
色の場合と同様にの存在は混ざれば混ざるほどに …

 言わば、情報の量が増えれば増えるほど真の「黒」
すなわち「サタン」に近づくというのがヨハネの筋書き
(思惑)でしたが、事実はそうはなりません。

 確かに、

 色の三原色の原理(減法混合)ではそうですが、

 実際には絵の具をどんなに混ぜ合わせても、暗く濃い
グレーにしかなりません 

 それぞれの絵の具の粒子が個々に担当する光を反射
しますので、それをいくら混ぜ合わせたところで光を反射
しない状態にはならないからです。

 ちなみに、

 光の三原色の原理は加法混合で、すべての波長の光が
混ざり合うと人間の目には白い色として認知されます。

 当然のことにダ・ヴィンチは、それ(黒にはならないこと)を
知っています。

 かたちあるものは崩れ去り、生命(いのち)あるものは死
に向かい、再びその姿を変えて循環する諸行無常
(エネルギー保存の法則)が支配する森羅万象の中で
、エントロピーだけが増大し続けるのがこの世界です。

 しかるに、この世にあって、たとえ現象的事実であっても、
混ざるほどに白くなる(仏教で言うところの「空」)に対し、
混ざれば混ざるほど黒く見える物質(仏教で言う「色」)を
対極に置いて二元論で二つに分けてしまうのではなく、
「色即是空、空即是色」実践していたのが
ダ・ヴィンチだったと思われるのです。

 彼は自然界にあるすべての色を混ぜ合わせると無彩色
になることを経験的に知っていました。

 ただし、それには光のすべての波長が一様に存在すると
いうことが前提となりますが、白も黒も灰色もすべて無彩色
であって、反射率を別に考えればそれらは同じ色彩である
ということになります。

 言い換えれば、

 無彩色とは、光の三原色がそれぞれ同じ割合で存在して
いる状態ですから反射率が異なるだけで、「白」「黒」
「灰色」も同じ色だと言えるわけです。

 そのことは、「善と悪」「聖と邪」「光と闇」
も元々は、本質において同じひとつのものであったとする
考え方を補佐・補完するもので、



 (善・聖)あるところに(悪・邪)があり、(悪・邪)
を照らすのも一条(善・聖)、古来より
精神世界(心霊世界)と物質世界(人間世界)の
両面をあらわすものとされてきましたが ・・・

           

 つまりは、「天使」「悪魔」「神」でさえも同一
で一体なのだとダ・ヴィンチは看破します。

 たとえば、

 善なる光の神アフラマズダと邪悪な闇の神アーリマンや
輝ける明けの明星 right 光の熾天使ルシフェル(ルシファー)
とローマの光の神ルケティウス(ユピテル right ジュピター)に
闇の大魔王サタン(堕天後のルシファー)も同じものだと …

    

 さらに言えば、人も神も、男も女も …

 表裏一体の不可分な存在であると、

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 小宇宙』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/429.html

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 直観力』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/430.html

 symbol2 『ダ・ヴィンチの罠 進化論』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/431.html

 などで繰り返し言っているのは、そうした根源に在る
モデル「サムシング・グレート」であって、
この世界のすべてを凝縮して描いたのがダ・ヴィンチの
「黙示録」としての『モナ・リザ』なのです。

         

  「すべては、すべてから来る。
  すべては、すべてから創られ、
  すべては、すべてに戻っていく。
  すべては、すべてに包み込まれる」


          (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 幻のなかで新しい天と新しい地を見せられたヨハネは、

 「事は成った! わたしはアルファでありオメガであり、
 初めであり終わりである」
           『黙示録21:6』

 という玉座におられる「神」の声を聞きますが、

 「すべてはすべてに包まれ、
   すべてはひとつに統合される」


 信条であるダ・ヴィンチには納得がいきませんnose7 

 キリスト教には、秘密陰謀といった要素が
やたらと多いのに対して、仏教ではそうした疑惑めいた
話を耳にすることは少ないような気がしますが、

 仏教にも秘密がないわけではないのだろうけど、
謀略陰謀というイメージからは程遠く、ワイドショー
のネタになることはほとんどありません。

 そこには、キリスト教が持つ欺瞞のご都合主義が
あって、それが誕生から今日に到るプロセスの中で、悠然と
まかり通っていたのには時代の必然が微妙に関与して
いたからなのかもしれませんが ・・・


  「ワイドショーのネタなら腐るほどあるぞい」

      

 「なにせ疑惑のデパートじゃからのぉ」


 ところで、

   この世界において、何が安全で、
    何が危険なことなのか
 

  最も危険なことは無知であり、最も愚かなことは
   蒙昧に陥いることです


 ヨハネのそれは信仰につなげるための方便であり、
ダ・ヴィンチのそれは真理の追究から出た疑問です。


 ここに理論(教理)と現実(実践)の違いがあります。


  「真理は結局、隠せない。
         偽りは役に立たない」


 と、ダ・ヴィンチは言います。


      

 「四神獣」「四騎士」の関係に話が及ぶ前に
紙幅が尽きてしまいました。

      

 今回も空手形(約束手形が不渡り)になりそうですase2

    

 いえ、空手形です。ゴメンナサイ !!



 次回こそは手形をキッチリと切らせていただきますので
きょうのところはご容赦くださいnose3ase2

 火のような赤い龍の出現か、はたまた
 あがき苦しむ断末魔の姿だったのか

        
   2011年 2月11日 太陽から噴出するプラズマの様子

 自然は時として怖ろしい未来を予言するのでしょうか



 この日から1カ月後のことでした …

 あの東日本大震災が起こったのですase



 … to be continue !!

コメント一覧

アストラダマス
自然は時として恐ろしい未来を予告するのです。
ルート1/2
歴史は勝者によってしか記録されなかったのだから、昔はそうだけど、これだけネットワークが張り巡らされた現代では、勝者と言えども、世界中を黙らせることは難しくなっていると思う。
小吉
 哲学的ですね(´∀`)
 そういえば震災のあと、「終末論」「救世主」「予言」みたいな文言を使って宗教勧誘する団体がいたとかいないとか。
 人の思考や行動原理は他者によって「作られるもの」だと私は思っていますが、
 もっとも「フラット」な考えってあるのでしょうか?
 そんなことを思いました。
デッキブラシ
えっ、絵の具を混ぜれば黒になるんじゃなかったっけ?

やっぱ、無知は危険だわ・・・
むらさき納言
妙に思わせぶりな終わり方ですが ・・・
それにしても、あれから4年半も経ったのですね(涙)
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