透明人間たちのひとりごと

アリとセミの物語 <4>

 クリスマスも終わり、あっという間に師走も大晦日です。

 「光陰、矢を凌ぎ、弾丸の如き速さかな」 ですね。


 「年年歳歳、花相似たり。 歳歳年年、人同じからず
 
 人の世の移り変わりの激しさや年とともに老い朽ち果てる
人間のはかなさに対して、自然はなんとも悠久だと詠う。

                      出典 『唐詩選』
 
 そうは言っても、年々、時が加速度的に速くなる感覚に
「花の命はもっと短い」 と抵抗したくもなります。

 もちろん、《》 は単なる草花のことではなく自然の総称と
しての譬えなのですが …

 花を単一の生命と見ずに短いサイクルの繰り返しからなる
ひとつの大きなものと見立てる観念というか、同じ四字熟語
の 《巧遅拙速》 や 《大同小異》 にしても、受け取る感覚が
日本人と中国人とでは大分違うようです。

 《巧遅拙速》

 「巧遅(こうち)は拙速(せっそく)に如かず」 といい、上手で
遅いよりも、下手でも速い方がいいと言うこと。 

                       出典 『孫子』

 スピードと効率や能率主義の現代人にはピッタリとはまる
成句なのかもしれませんが、それでも日本人的には遅くても
確実で巧みな方がいいとする人も少なくないでしょう。

 粗製乱造のパクリ体質や模造品国は中国の代名詞です。

 とは言え、

 「兵は拙速を聞くも、未だ功の久しきをみず」 とあるように、
1分1秒を争う戦場ではその限りではありません。

 《大同小異》 

 些細な食い違いで意見が割れて、議論がまとまらなくなると
小異を捨てて、大同につく」 とか言って調整役が根回しを
したりしますが、少しの違いはあっても大方は同じという意味
です。
                       出典 『荘子』

 一旦、大同につくと決めたのならばあくまでも小異を捨て
去ることが日本人的にはあたりまえの大前提なのですが、
かの国の考え方は違います。

 差し詰め中国なら 「小異を残して、大同につく」 つまりは
一時的には組みするけど大同することに意味価値
見出す期限内だけの話であって小異は決して捨て去らずに
持ち続けるわけなのです。

 先の 《》 にしても、桜の花の散り際にその潔さを見出す
ような美学(美的センス)を持つ日本人は、危機的状況下に
あって、退路が断たれつつあると判断した場合には、再起を
賭けて捲土重来を期すという精神構造よりも、むしろ、自ら
得心しておのれの死にざまの潔さに、その重きを置く傾向に
ありますが、中国人ならば、たとえ、絶体絶命と思われても
何としても逃げ延びようと試みるはずなのです。

 この辺りが、日本人と中国人の違いなのかもしれませんが
そのことを理解しながらお付き合いしないといけません。

 上海万博尖閣諸島 の問題など …

 いろいろな意味で大暴れしたトラ君(2010年)の傍若無人で
獰猛なさまは、隣国中国を象徴して余りあるような年でした。

 夏のセミ(キリギリス)の如く時代を謳歌する中国に対して
ただ、ひたすら低姿勢で何も言えずにいる能のない日本の
政治家たち …、

 せっせと荷台に荷を運ぶだけのアリのような日本の姿に、
その荷を満載して暴走するダンプカーの如き勢いの蝉時雨
(せみしぐれ)国家、中国といった2010年でしたが、時間が
経過して季節が変われば、私たちの知っているイソップ物語
のような結末が訪れるのでしょうかeq

 それとも、イソップの描いたストーリーには別の 顚末
隠されているのでしょうか

 次にバトンを受け取る順番のウサギさん(2011年)には、
いろいろな意味でぴょんぴょんとジャイアント・ステップして
もらいたいものですが、果たしてどうなるのでしょう。

 さて

 そんな中国にも 「アリとセミの物語 <3>」 で、5号
触れていたように、大学を卒業しても職に就けず、ひとつの
部屋で集団で共同生活を送るワーキング・プア(フリーター)
の若者たち right 《蟻族》 の存在が問題になっています。

 また、都会の地下に住む 《ネズミ族》 なる若者たちも
数多く存在していて社会問題化しているそうです。

 イソップの生きた2600年ほど前の古代ギリシャも現代の
中国や日本も、人間の行為と営みという点では何の進歩も
ないということなのでしょうか

 特に、中国は現代版イソップ物語の 創作ネタ の宝庫
といった感じさえします。

 ところで

 『アリとキリギリス(セミ)』 は、『ウサギとカメ』 を凌駕する
ほどに有名で、解釈も 「キリギリス(セミ)のように先のことも
考えずに楽しく遊んでばかりいてはいけません。アリのように
せっせと働いて、常に変化に備える用意をしておきなさい」 と
いうような内容で定着しています。

 それはそれで、まったくその通りです。 バブルに浮かれた
かつての日本が、うってつけの見本でした。

 企業も人も地道に仕事もせずに、土地や株の転売に血眼
をあげて投機に走り、その挙句にバブルがはじけて、やって
来たのは 《冬の時代》 です。

 それからは、いつまで経っても不良債権の処理は進まずに
構造改革もおぼつかないまま大倒産時代なんて揶揄された
失われた10年が過ぎても、春の兆しは一向に見えず
に、さらなる厳しい冬将軍たるリーマンショックを経験
することになりました。

 日本ではとうとう 失われた20年 と呼ばれる不始末
な事態となって 「そら、見たことか」 と苦笑するイソップの声
が聞こえてきそうですよね。

 だから、「企業も人も懸命に働き、常に準備を怠るなexclamation2」 と
いう戒めは、私たちにより一層の説得力をもって訴えかけて
くるようですが、BC5~6世紀頃のギリシャも21世紀の中国
も似たり寄ったりの様相なのです。

 キリギリス(セミ)は 「民意と人民のためだ」 と大声で号令
をかけるだけで遊び呆けている為政者や権力者、高級官僚
や大金持ち(財界人)や知識人などを象徴し、アリは労働者
や農民、産業従事者や古代ギリシャの場合にはイソップたち
奴隷などを指します。

 厳しく辛辣な社会情勢(著しい経済格差や飢饉、戦争)など
で国や社会が混乱すると体制は疲弊し至るところでほころび
が生じてきます。

 そのしわ寄せは、すべてに渡って社会の底辺を支えている
弱者である アリ たちが負わされることになるのです。

 その多大な負担と苦役に伸吟するのは、常に、決まって
アリ たちなのです。

 国家のあらゆる部分に問題が発生したあとに何が起こる
のかは自明の理で、国はますます衰退の一途と化して他国
の侵略を許すような結果をもたらさないとも限りません。

 幸いにして、古代ギリシャの場合にはイソップのそうした
諫言に気づいたのかどうかは、知る由もありませんが …

 その後、

 哲人ソクラテスを始めとして、プラトン、アリストテレス、歴史
の父ヘロドトス、賢者ソロン、医聖ヒポクラテス、数学者たる
ピタゴラス、詩人エウリピデスといった錚々たる人物を次々に
輩出して古代ギリシャは最盛期を形成するに至ったのです。

 、 それじゃあ、やがては中国も最盛期を迎えて
世界に冠たる覇権国家になるのだろうか

 うぅ~ん、それは、まだ何とも言えませんが、一般論と
しては、キリギリス(セミ)次第でしょうね。

 古代ギリシャの場合では、知識人たちの活躍が大きかった
のだろうけど、結局はその後200年もすると古代ローマ帝国
に席巻されちゃうわけだから … ase

 「ローマによる平和(パクス・ロマーナ)」 にしても …、
 「英国による平和(パクス・ブリタニカ)」 にしても …、

 現時点での

 「米国による平和(パクス・アメリカーナ)」 にしても …、
 
 栄枯盛衰は世の常で、諸行無常の平家物語的世界だから
果たしていつまで保てるのかは不明です。

 すでに米国の力には翳(かげ)りがあり、イデオロギーにも
綻(ほころ)びが見え隠れしているわけですからね …

 つまりは、無意識的にイソップが、この物語のなかで暗示
していることは、アリとセミ(キリギリス)の関連性においての
問題だけではなく、時間の配分、あるいは時代の配分にまで
踏み込んで歴史を見越した物語となっているのです。

 大晦日の所為で気持が高揚して、文章が大袈裟になって
いるわけではありません。

 アリ の人生にしろ、セミキリギリス)の人生にしろ、
人生は物語の示している時点で終わっているわけではなく、
前半と後半をあわせたひとつのものだし、幸せばかりでも
また不幸ばかりでもないわけで …、物語のクライマックスも
大抵の場合、終盤に起こるものなのです。

 そこでイソップの真意と暗示される予言とは何かと言うと

 「アリとセミの物語 <2>」 で、2号 が提唱したイソップに
対する次の3つの疑問のなかに、そのヒントがあるのです。

  1 アリの勤勉さは常に肯定されるべきものなのか
  2 夏に歌い冬に踊る生き方は否定されるものなのか
  3 セミ(キリギリス)が冬を生きることは不可能なのか

 それでは、これらについて考察したいと思いますが …

 それは、また 来年に !!

 では、皆様。  どうぞ、よい お年(落とし)をexclamation2

 エッサ、ホイサ ase2  kagamimoti がつきましたよ。

 …って、オチ (落ち)でしょう

コメント一覧

透明人間1号
翔さん、日々、是、努力が大切ではありますが …、
「燕雀いずくんぞ鴻鵠のアンビシャスを知らんや」
の精神も失くさないでと、陳勝とクラーク博士が
言ってました。

野うさぎさん、2011年、平成23年をどうか宜しく
お願いします。
野うさぎ
餅つきじゃなくてオチがつきましたか?

ぼくも半月が過ぎてやっと落ち着きました。

えーと、年男(干支)の野うさぎです。
その通りですね。


大志を抱くことも大事だが、一日一日を大切にすることを忘れてはならないと踏まえ、更なる前進へと精進して参ります。
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