透明人間たちのひとりごと

アリとセミの物語 <3>

 きのうは 冬至 でした。

 ご多分に漏れずというべきかどうか

 二十四節気のなかでも、おそらく一年を通じて、唯一この日
だけが、ボク を昔かたぎの人間にするようです。

 冬至南瓜(かぼちゃ)を食べて、柚子(ゆず)湯につかり、
冬来たりなば、春遠からじ」 とばかりに柚子の香りを堪能
するわけですから …。

 さて、唐突ですが、ここで究極の選択です。

 q 漂流中のボートの上で、死にかけの仲間を殺して飢えを
しのぐことは是か非か

 1号 さんが 『続、未来記イソップ物語』 のなかで前半を
見逃したと残念がっていたマイケル・サンデル教授
による 「ハーバード白熱教室@東京大学」
のアンコール版(NHK再放送12/19)の冒頭での質問です。
 
exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/207.html(参照) 

 ボク の前稿である 『自業自得 因果応報?』 の記事で
白熱教室】 を見逃してしまったという 1号 さんに対して、
「NHKならすぐに再放送がありますョ」 と慰めを言った手前、
その後に、ちっとも再放送されないと嘆いていたわけですが
その日が、とうとうやって来たのです。

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/209.html(参照)

 正直言って、ホッとしたのと 1号 さんがそれほどまでに
残念がるからには 【ひとつどんなものだろう】 と、ちょっと
のぞいてみたというわけです。

 それでは、もう一度 …  質問します。
 
 q 漂流中に死にかけの人間を殺して、飢えをしのぐことは
肯定されるのかquestion eq

 それは、

 難破した船から脱出した4人の漂流者たちのうち衰弱して
死にかけている身寄りのない下働きの少年を殺し、その肉を
食べて生き延びることで残りの3人が救助されたという事件
(実話)をもとにして投げかけられた究極的な問いでした。

 「その行為は道徳的に許されるのか」
という問いを題材に 1号 さんが渇望していた 【白熱教室
の再放送は始まったのです。

 たとえ、

 「どんな状況であれ殺人は許されない」 「生き延びるための
必要悪だ」 「少年の同意があれば構わない」 など予想される
大方の否定論から肯定派まで幅広い意見の交錯と続出する
異論の展開は、まさに全員参加の 舞台劇 です。

 もちろん、脚本はあっても筋書き通りにはならない舞台の
演出兼主役はハーバード大学のサンデル教授ですが …。

 東京大学で行なわれた講義を 舞台劇 だと表現した
のはユーモアを交えた対話方式で話をすすめる講義の様子
がソクラテス型のライブ(即興問答)のようだったからです。

 ボク としては刺激的で知的興奮を喚起されたような気持
になりましたが、質問の仕方が誘導的だとも感じました。

 たとえば、

 今回アンダーラインを引いた最初の質問に対する是非
再度の質問の肯否定も、一見、いや、一聞すると同じよう
に思えますが …。 

 同じ質問でも、是か非か肯定か否定では答えに違い
が出てくることもあると思うのです。

 是か非かと問われれば、正しいことか悪いことか、つまり、
善か悪かの選択になるけど、肯定するか否定するかとなる
と賛同するか否か、容認出来るか出来ないか、というように
その過程や条件によって判断が分かれてしまいます。

 人殺しは絶対悪だけど、条件次第(正当防衛その他)に
よっては許されるといった具合に …

 もちろん、それがサンデル教授の狙いで、「正義とは何か」
に対する意見を次の3つの答えに集約させるように誘導する
ためのものだからです。

1 功利主義を提唱するイギリスの政治哲学者 ベンサム
代表される 「最大多数の最大幸福」 が正義だとする考え方

2 ドイツの哲学者 カントの 「人間の尊厳と自由な選択を
尊重する
」 ことが正義だとする考え方

3 古代ギリシャの哲学者 アリストテレスの 「何が美徳で
あるかの共通善を培う
」 ことが正義だとする考え方

 … というように考え方だけは提示しますが、3つのうちの
どれが正解とは言いません。

 答えの出せない究極の問題を通して深く突っ込んだ議論を
することに主眼を置いているからです。

 つまり、哲学的課題は日々のいたるところに存在していて
日常的に発生する問題は哲学者だけのものではないという
ことなのでしょう。

 そうであれば、「アリとセミキリギリスの物語」
もサンデル教授をして哲学的に 【白熱討議】 してもらいたい
ものですが …。

 まっ、それは無理か

 それに 【白熱教室】 に関しては、当然ながら 1号 さんが
《一家言》 を持つはずですので、ボク としては、もう、
これ以上、でしゃばるのをやめることにします。

 だだ、冒頭の問題を 「アリとセミの物語」 に絡めて言えば
衰弱して死にかけている少年は、冬になって必死に物乞いを
するセミ(キリギリス)と同じ状況です。

 3人の漂流者をアリと見立てるのには多少の無理があると
しても必死に生きようとする抗(あらが)いと苦悩には、アリの
懸命とも映る姿がダブらないではないと思われます。

 夏の終わりが近づくと路上や木立の陰などに、命が尽きて
仰向けに転がる憐れなセミの死骸を見かけます。

 そうこうするうちにアリがあちこちでセミの身体を解体して、
せっせとその肉塊を食糧として巣に運ぶ行列を目にします。

 自然界はこうした食物連鎖で成り立っているのです。

 ならば、瀕死の少年の命運が尽きたのならば、その屍を
食糧とすることは是なのかquestion2 

 是ならずとも肯定されるべき条件にはなるのか

 きっと、サンデル教授は答えません。

 中国では、大学を卒業しても就職が出来ないフリーターの
《蟻族》 に対して特権階級にある一部の共産党員たちと
バブル的に大金持ち化した 《セミrightキリギリス》
な存在が跋扈していると聞き及んでいます。

 この場合の 「アリとセミキリギリスの物語」
一体全体どんな風に展開していくのでしょうか

 やはり、サンデル教授は答えません。

 なぜならば、深く掘り下げて議論し的確に論点を整理する
ような思考の持ち主だからです。

 そうです !!   そうなのですよ !!

 日本の場合も整理と統合の考え方が必要なのです。

 菅総理仙谷官房長官 に問題があるのなら

 ふたりを整理統合して、菅直人ならびに仙谷由人ならぬ、

  由人 総理 とすべきところなのです。

 直人から由人合体変身 です。

 これで、直(なお)、由(よし)となるはずですから …

 ところで、

 きのうは、冬至、 《一陽来復》 ですね。

 陰が極まり陽の気が生じ始める right 再生の日でした。

 幸運に向かう転換の日でもあったのです。

 なるほど、さすがは考え方次第ですね。

 でも、そうした

 考え(菅がええ)が大きな間違いだった … ってか

 なにしろ、仮免 だったんで …  

 、それで 納得すか nose6anger
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