ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

亡くなった夫の字があった

2020-03-03 21:35:29 | 喜び
今日は召された夫が読んでいた聖書をたまたま開いて驚いた

ローマ書12章1節2節に、主人が書き残した細かい文字が見えました。
いつ、どうして、彼がそこに書いたのか、すっかり忘れたが、今日神様がそれを見るように導いてくださったことには意味があることだと考えました。

2本の線と 聖書(神のみこころにのっとった)と 読めます

そういうわけではから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。



私は昨日、 「レント」という話を聞いて、ネットで、この世的な喜びを貪欲に求めていて、神様のことを忘れていたことに気付いて、告白しました。
そして今日は、ただネットで遊ぶ時間を禁止するだけでは意味がない知りました。

 
神にささげるというのは、基本は全焼のいけにえとして、私達は生ける供え物として、自分のすべてをささげること。しかも、自ら進んで喜んで。自分を捨てて、自分に死んで、ただ神に委ねます。イエス・キリストにならって。
イエス・キリストは私達のために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

空になった心に、聖霊様に入っていただき満たしていただく。私の霊がキリストの霊に満たされて、私の思いが神のみこころのとおりになるなら、その祈りは必ず聞かれます。

今夜は、教会の兄姉と、22時から同刻祈祷をすることになっていて、祈祷課題の冊子も配られています。自分のためではなく、キリストのからだ、教会のために、熱心に祈りました。一緒に祈る姉妹も与えられて、二人でライン電話で、23分、祈りをささげました。

神様は、私に亡くなった夫の字を見せることで、深く祈り考えるようにと導いて兄弟姉妹とともに、祝福してくださいました。

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